ぱんくず介護録

在宅介護事情。

災害時を想定する

2011-03-30 23:00:06 | じじの在宅介護
じじ宅にヘルパーを派遣している
居宅介護事業所の責任者と電話で話した。


この度の大災害に触発され、
この地域にも2メートルの津波が来た事もあって、
地震が来た時、大津波が来た時、火災が発生した時の
じじの避難経路を相談した。


地震の時はエレベーターが止まる。
車椅子でじじを避難させるのは不可。
むしろ寝室にじっとしているのが安全である。
地震が多い地域なので地震災害を想定してじじの寝室には
背の高い家具を置かず、箪笥も本棚も全て別室に配置してある。
どうしようもない食材の収納庫などはL字金具で壁に直接固定してある。


大津波の時も同様。
高い階にいるのでじじは動かない方が安全。


火災発生時は、
車椅子を使わず外の非常階段を伝い歩きで避難誘導する。
ただし、それから先、車椅子が無い状態でどうするかが問題である。
火災発生時に車椅子を取りに戻ってはならない。
引き摺るなり這わせるなどしてでも、
とにかく可能な限り遠くに避難させる。


今回東北で起こったような大地震や大津波が
私の勤務中に襲って来た場合、私は職場から動けない。
医療従事者が災害時に現場に患者を残して
自分の家族を救出しに行く事はあり得ない。
私の勤務中の災害緊急時はヘルパーやケアマネに頼むしかない。
じじにはヘルパーが来るまで待っていて貰うしかない。
到着したヘルパーがすぐにじじを避難場所まで誘導出来るように
玄関に非常持出袋を設置した。
中身を整備して、目立つように表示した。


使わずに済みますように。

じじ就寝せず。

2011-03-27 23:15:16 | じじの在宅介護
職場の送別会であったが
じじの与薬時間もあって一次会で失礼の抜け人なり。


行ってみればじじは
某国営放送の被災地や原発事故による放射能漏れ問題のテレビ番組に
興奮して就寝せず。
放射能が来るから被災してもいない千葉の妹一家をここに呼べと言う。
やっきりこいた。

被災地福島からのお願い

2011-03-26 14:17:00 | Weblog
mixiのお仲間の所から転載。
切実な訴えです。


以下本文。


1.福島県民に対する差別をしないでください。
  福島県民全員が被曝したわけではありません。
  仮に被曝していてもきちんとスクリーニング検査を受けていますし、
  一生放射線を体から出して生きてくわけじゃありません。
  きちんと対処しています。(除染等)。
  それをきちんとわかってください。
  福島県出身者を見かけたら、暖かく迎えてください。


2.福島県産の特産物を買って下さい。
  今は無理に買わなくてもいいです。
  福島県民の私だって、
  県産特産物に放射能が含まれてるんじゃないかと不安です。
  だから、他県の人が不安になるのは当然だと思います。
  ただ、半年も経てば状況はだいぶ落ち着きます。
  市場に出回るということは安全だということです。
  そうなったら福島県産の物を買ってください。
  福島県産の特産物を購入してもらうことが、
  福島県を助ける一番の方法です。
  福島県の農家、酪農家を助けてください。
  福島県は果物も野菜も海産物もとてもおいしいです。
  福島牛というブランドもあります。
  ぜひ購入をお願いします。


3.そして、できれば福島に旅行に来てください。
  今回の被害を実際に見ていただきたいのと、
  福島県の復興を助けてほしいからです。
  よろしくお願いします。

  被災地を長期的に支援していただくためには、まずは
  福島県産の物を買ってもらうことが一番です。
  よろしくお願いします。
  このお願いは、できればみなさんの日記に転記&拡散願います。
  この2つが地震、津波、原発での被害を受けた福島県を風評から守り、
  支援することになります。




応援しますよ。
ほうれん草も牛乳も、もったいない。
北海道にだって原発はあります。
いつ同じ境遇になっても不思議は無い、他人事ではありません。
どうか、くじけないで下さい。 (井上)

良薬は口に苦し

2011-03-19 23:36:19 | じじの在宅介護
デイケアから帰宅したじじに葛根湯を飲ませた。
ピュアドリップという高いやつで、
私が自分用に買い置きしてあった物である。
液状で、少量の湯に溶いて飲むが物凄く苦い。


覚悟して飲みなさいと言って飲ませたら、
苦い苦いと大騒ぎする。
検温しても発熱は無い。
温かいお茶で口直しして、早々に就寝した。


風邪を引いた、喉が痛いと言うと、
デイケアに来ている婆さん達から茶化されたらしい。


「喉が痛いって言ったら婆さん達が言った。
 “あんた、毎日珈琲飲んでるから俺は風邪引かないって言ってたのに
  風邪引いたのかい。(笑)”ってな。」


「で、お父さん何て言ったの。」


「“俺も人間だからな”って言ってやった。
 わっはっは(((^□^)))」


大口開いてわっはっはと笑ったから明日には治るだろう。
笑いは免疫を活性化させると昔私が勤めていた脳外科の院長が言っていたし。


ヘルパーさんには、
明日の教会行きは本人が体調不良を訴えたら中止と連絡ノートに書き送った。

テレビ

2011-03-19 23:20:38 | じじの在宅介護
私の自宅でテレビは一切見ない。
テレビはあるがBSチャンネルも入らない大昔のVHS再生テレビで
コンセントすらつながっていない。
精神に及ぼすテレビほどの負の効果、電力の無駄が他にあろうか。


しかしじじ宅では認知症予防のために意識してニュースを話題にしている。
日付を認識させる上でテレビは有効である。
じじはちゃんと某国営放送に料金も払っている。
あ、間もなく地でぢ移行のため見られなくなるのか。

この一週間

2011-03-19 17:18:00 | じじの在宅介護
2011年3月11日。先週の金曜日。
午前中の外来は多忙を極め、
仕事柄バタバタ本気走りする訳にいかず小走りし続けて
午前中に飲む筈だったペットボトルのお茶を一口しか飲まず
何か頭が痛いかなと思いながら遅い昼休みに入って
社食で昼食をかっ込み、午後は処置室にいた。
救急外来と行ったり来たりして、
患者さんに使った車椅子を回収し、
夕方からの夜間診療まで少し時間があったので
点滴中の方に声をかけたり物品の補充したり雑務をしていた。


何だか眩暈がした。
午前中全然水分を摂っていなかった、
ああまずい、自分は脱水だなと思った。
しかし他の人達も「何だか眩暈がする」「更年期かな?」
などと同じような事を言っていてそのうち誰かが
「あ、地震じゃない?」と言った。
処置室の天井から吊ってある点滴棒が
振り子のようにぶんぶん揺れているのに初めて気がついた。
それから大きめの横揺れが来た。
皆で手分けして、
待合室、処置室、各トイレ全部を見て声をかけて歩いた。


足元がゆっくり回っているような揺れだった。
あ、これ以上大きく揺れたら物が倒れると思った。
多分震度3か4だなと思っていたら、震度4だったらしい。
速報を聞いた人が「東北方面で大地震になっている」と言った。


この地元では5、6年前に震度6を経験しており、
また震度3や4は珍しくない、しょっちゅう揺れる
地震の多い地域という事もあって、
震度4くらいだと余り危機感が起こらない。
誰も体調不良を訴える患者さんは無く、逃げる人も無く、物も倒れず、
何事も無かったように仕事に戻った。


じじが一人で家にいる時間帯だったので
念のため電話をかけたら寝ていたらしく、不機嫌だった。


「こんな揺れくらい何でもないっ」


「そうかい、そりゃ起こしてごめん。
 でもお父さんテレビ見てて。
 東北で地震が大きかったみたいだよ。」


それから間もなく外が騒がしくなった。
広報車とサイレンと外来の喧騒と、
どれが何の音か声か判別つかないまま勤務が終わった。
ロッカー室では大津波警報と避難勧告で国道や幾つかの橋が
通行止めになって家に帰れないと言う職員が何人かいた。
じじ宅の夕方のヘルパーも来られないかも知れない。
急いで目の前で客待ちしていたタクシーに乗ってじじ宅に行くと、
じじはテレビの前で固まっていた。


「・・・大変な事になった。」


市内の海岸沿いに住んでいる教会仲間と
河口近くに住む教会仲間と、
千葉の妹にまず連絡してみたが当然通話はつながらず、
メールを送った。


飯を炊け、握り飯を作る炊き出しの用意をして
避難所の教会仲間に届けろと言うじじに辟易した。


定刻通りにじじの晩飯の配食とヘルパーが来た。
幸い、ヘルパーはいずれも橋の手前の地区在住だったので
私が交替する必要は無く、通常通りのケア業務をして貰い、
私は珈琲店で自分の夕食を摂ってから
ヘルパーと入れ替わりでじじ宅に行った。


余震が何分か置きに繰り返し続いており、万一の避難に備えて
その晩はじじ宅で夜明かしした。


アクション映画のCGにすら出て来ないような物凄い大津波が
人と民家と街全体を飲み込んで行く光景をテレビ画面に見た。


水が燃えながら街を飲み込んで行く。


この街にも2mの津波が来て、河畔の商業施設が浸水した。
水嵩を増した川は逆流していた。
震度3から4の余震が何度も繰り返し来た。
私は避難路の確保を考えていた。


震度6が来てもじじは動かさない方が安全である。
そのために大きな地震を想定して家具を配置し、
背の高い家具は別室に集めて配置してある。
どうしようもない物はL字の金具で壁に固定してある。
しかし万一火災が発生した時はエレベーターが使えないので
どうやって介助して階段を下りさせるか。
それを考えていた。
ダンボールに座らせて引き摺り下ろそうか、とか。


こんな夜に、
病院で夜勤をする同業者は生きた心地がしないだろうな。


テレビの中継では
夜の暗闇の中で中継地の街のあちこちで火柱が上がっていた。
妹一家のいる所でも工場火災が発生し、炎上したのを知った。
まさか地震発生の時にちょうどその近くにいたら、などと思ったが
じじの前で口に出す訳には行かず。


じじは興奮し、血圧が高かった。
就寝したと思ったらまたすぐ這い出してトイレに行く。


深夜近くなって
避難している教会仲間と
同じ市内で津波の来た場所に近い病院で働く友達から
無事を知らせる連絡が届いた。


午前2時半過ぎに限界を感じて少しうとうとしたが、
何度も余震で目が覚めた。
室内が点灯して目が覚めると、
じじが早々と起きてテレビに見入っていた。
4:30。
黙って座らせて置く訳にも行かず、茶を入れて時間を持たせた。
それでもいつもより3時間も早いじじの朝食だった。


妹から明け方になってメールが届いていた。
たまたま一家全員が家にいて、無事で帰宅難民にもならなかったと。


こんな時でもなければ淹れる事の無い朝の珈琲を淹れてやり、
じじが飲んでいる間に
ヘルパーとデイケア職員宛ての申し送りを書いて夜が明けた。


雲一つ無い青空に、東の地平線から太陽が昇って来た。
(携帯の変なボタンを知らずに触っていたのか、
 うっかり暗闇モードで撮った空と太陽は画像が変に荒い。)


定刻に来たヘルパーにじじを頼んで申し送りをした。
朝食がいつもよりも3時間も早いため、
昼食の時間までに低血糖を起こす可能性がある事。
そのために念のためブドウ糖を2袋持たせた。


私は室内を片付け、量販店に行った。
前回の震度6以来5年以上も放置して使えない状態の
『非常持出袋』を整備するため。


量販店には良い物があった。
阪神淡路大震災の被災者の声を聞いて作った避難グッズのセット。
リュック入りのがあったので1個購入した。
災害緊急時の最低限の必要物品のセットには、
生活事情に応じて追加して用意すべき物リストや
災害時の171電話の使い方を書いた小さなパンフレットが入っている。
これがあれば、セット商品そのものが完売しても
自分で手持ちのリュックに百均で買い揃えた物を詰めて置く事が出来る。


なるほど。
これは役に立つ。
いい仕事してるなぁ。
棚に一個しか残ってないが在庫あるかと店員に聞いたら
この商品を出している会社自体が仙台にあって被災したため、
次の入荷がいつになるか見当もつかないと言う。


無念だ。
これを作っていた人々は今災害の真っ只中なのか。


私はもう一セット分の物品を買い揃えて
じじ宅と私の自宅に設置した。


『非常持出袋』は二つ要る。
災害発生から避難所に行くまでを想定すると、
じじが在宅していた場合はじじ宅に一式設置してあるのを
その時居合わせたヘルパーまたは私が
『非常持出袋』を持ってじじを避難誘導する。
じじがデイケアまたは教会などで外出中だった場合は
私が自宅にあるのを持ってじじを迎えに行く。
幾つかの場合を想定した。
しかし本物の災害時に私の姑息なシュミレーションなど
どこまで通用するだろうか。


夜、『非常持出袋』のパンフレットをコピーしてじじに読ませた。
じじは寝不足でくたびれていたのか早々就寝、
私も「揺れたら来る」事にして帰宅した。


日曜日は教会。
教会関係者で消息不明の人がいる事を聞いた。


月曜日、仕事に行くと血圧の高い患者さんが多かった。
皆寝不足だった。
寝てなどいられる筈が無い。


一週間はあっという間だ。
一日24時間が飛ぶように過ぎて行く。
しかし被災した人々にとっては
一日が拷問のように長い事だろうと思う。


毎日仕事の後じじ宅に行き、私のする事は決まっている。
デイケアやヘルパーからの申し送りを確認し、
じじの血圧を測って服薬させ、足の爪と血流をチェックし、
祈って聖書を開き、じじと共に朗読。
茶か珈琲を淹れる。
終わったら食器洗い、室温と火の元確認、植物に水を遣り、
戸締りして帰宅する。


元々は認知症の入り口にあって不穏で落ち着かないじじの
精神的な安定を目論んで始めた聖書朗読だった。
この一週間、
聖書の箇所はたまたま山上の垂訓の「幸いな人」だった。


主の祈りも、山上の垂訓も、これほどまでに心に沁みた事は無い。
あの金曜日、激震と大津波と大火災に遭って肉親とはぐれ、
着の身着のまま氷点下の避難所で身を寄せ合い、
救援の毛布とおにぎりを待つ人々を目にしてから、
主の祈りと山上の垂訓を冷静に読めなくなった。


炊き出しのおにぎりを配るが人数分に足りず、
一個を数人で分け合って食べる避難所もあるとテレビで聞いてから、
主の祈りが苦しい。
「わたしたちに必要な糧を今日与えて下さい」という文言に
苦しくなって涙が出る。
長年住み慣れた街で、自分の住まいで、暖かい部屋で
いつものように食事を摂り、珈琲を飲む、
そんないつもと同じ日常の営みに罪悪感と後ろめたさを感じ、
祈りの言葉に詰まる。


主なる神、憐れんで下さい。

風邪

2011-03-19 10:56:16 | じじの在宅介護
どんより曇って寒い。
寝起き悪い。


携帯に着信。
デイケア職員から。
さっき行ったばかりのデイケアでじじが帰るとゴネている。


風邪を引いて喉が痛い、
木曜日のデイケアで他の利用者が手も当てずに咳をしていた、
感染したに違いないから病院に行く、
とじじは電話口で言う。


平熱であり、咳も鼻水も無く、咽頭痛以外に症状が無い。
ヘルパーを急遽頼むのはシフト上不可能。
昼食の用意も間に合わない。
今から受診したとしても脳外科で風邪薬を出して貰うのか?
内科受診したらしたでインフルエンザの患者がぞろぞろいて
間違いなく感染する。
そんなリスクを犯すよりも予定通りに入浴して体を温め、
だるければリハビリは休んでいいから昼食を食べて
通常通りデイケアに参加するように説得した。
じじは「そうだな」と納得した。


帰宅したら緑茶うがいさせねば。
普段じじはうがいをバカにしてやらない。
喉が痛いなら今のうちにうがいしないと。


後で手持ちの葛根湯を持って行く。

握り飯を

2011-03-14 19:35:52 | じじの在宅介護
2011年3月11日金曜日の夜遅く、
じじと私はテレビの前で固まっていた。
救助を待つ人々や避難所で夜明かしする人々の映像。


その時千葉の妹一家の安否はまだわからず、
私達の住む街にも繰り返し津波が来た。
海岸沿いに住んでいて避難していた教会仲間から無事の連絡が
私の携帯に入った。


教会仲間が津波から避難している事を伝えたら、
じじが握り飯をたくさん作れと言い出して聞かず。
着の身着のままで空腹の人々に
握り飯を配れとじじは言い張った。
それをしたくても道路が通行止めで無理であると
言い聞かせるのに苦労した。


子供時代に空襲を逃れ、
腹を空かせて配給の食料を待つ体験をしたじじの世代は
空腹に対する危機感が強い。
認知症になり始めても
腹が減って着の身着のままの人
を見たら
握り飯をたくさん作って腹一杯食べさせたいのだろう。
認知力、理解力が落ちてもそこだけは落ちない。


じじが握り飯を作れと私に言う横で
配給の握り飯が足りなくて避難所にいる全員には
到底行き渡らないとテレビ映像の中の誰かが言った。


泣けてきた。


早く輸送路が復旧しますように。
お願いします。
主なる神。
どうか、一刻も早く。

週が明けた。

2011-03-14 08:16:51 | じじの在宅介護
仙台に移転した教会仲間の安否が今もまだわからない。


今後の大きな余震を覚悟して
じじ宅と自宅に非常時持出袋を置いてあるが
はたしてこれで間に合うだろうか。


『非常時持出袋』のリュック入りセットを量販店で見かけた。
照明、充電、ラジオ、サイレンの一台四役する物や
咄嗟に必要なものが一式揃っている。
阪神淡路の被災者の声を反映して作られた商品と書いてある。
その中に入っている必要物品のリストは大変参考になった。
実用性高い良い物だ。
良い仕事してるんだなと思った。
しかし店には在庫が一個しか無かった。
その防災グッズは本社が仙台にあって、
入荷のメドは全く立たないと店員から聞いた。


悲。