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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

芭蕉野分して

2009年08月31日 19時55分10秒 | Weblog
          茅舎の感
        芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな     芭 蕉

 古くは台風という語はなかった。今日、台風といえば雨を伴うのであるが、野分(のわき)は風だけである。
 蕭条たる野分と雨とに、更けゆく夜の感じを音の世界によって把握した句であり、境涯的なものがにじみ出てきている。
 このとき、芭蕉は三十八歳。談林の波を凌(しの)いできた気息が、おのずから「芭蕉野分して」という字余りとなって、ほとばしった感がある。
 『三冊子』には「芭蕉野分盥(たらひ)に」の句形で出し、「はじめは、野分してと二字余りなり……後なしかへられ侍るか」とある。
 後年、このように改作したようだが、改作したものよりもこの字余りの句形の方が、把握の勢いを気息に乗せて生かしているように思う。

 芭蕉葉に雨音を聞く趣は、漢詩の恰好の題材とされたもので、白楽天の「夜雨」や『詩人玉屑』などにも見える。
 㝢柳(うりゅう)の『伊勢紀行』は、「斗時庵が家珍に」として、「老杜(らうと)、茅舎破風(ばうしゃはふう)の歌あり。坡翁(はをう)ふたたび此の句を侘びて、屋漏(をくろう)の句作る。其の夜の雨を芭蕉葉に聞きて独寝の草の戸」という前文とともに、冒頭の句形で掲出し、「是は深川庵中の吟にて、これより芭蕉の翁とは世にもてはやす事になりしとよ」と付記する。
 これによれば、杜甫・蘇東坡の詩を念頭に置いた作で、当時、代表作としてもてはやされたことがわかる。

 「茅舎の感」は、深川芭蕉庵での生活の感慨を詠んだ、という意。茅舎は草葺きの家、あばら屋。
 「芭蕉野分して」は、屋外の芭蕉に野分が吹きつのって、葉のざわめく音が聞こえるのをいったもの。
 「盥に雨を聞く」は、雨漏りをうける盥に雨音がしているさま。芭蕉葉に聞くべき雨音を盥に聞くというのである。
 「芭蕉」も「野分」も秋。

    「野分が吹きつのって、外の芭蕉はしきりにはためいている。雨漏りにあ
     てがった盥には、しきりに雨水がしたたって聞こえる。まことに侘びし
     い茅屋の夜の感じだ」


      片側の雲のまぶしき野分かな     季 己