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人間関係づくり・人間力育成の授業

2012年10月 9日 慶應義塾大学 教職課程教育学コース 自主研修会

2012-10-08 23:45:09 | 研修会

レジメ(携帯用)

慶應義塾大学教職課程教育学コースの皆さん、遅い時間までの研修、どうもありがとうございました。

私は、次の日、ちょっとだけ仕事をして、今、杜の都、仙台にいます。杜という言葉は、広葉樹一般をあらわす意味もあるそうです。宿泊しているホテルの前には、広い道が通っているのですが、並木の広葉樹がすごく覆い茂っていて、道路を走る車が全く見えません。すごい並木道です。杜の都という意味がよく理解できます。

研修会では、皆さんがあまりにも優秀すぎて、「あとだしじゃんけん」が完全にすべってしまいました。どうなることかと、手に汗を握ってしまいましたが、深い気づきや、私自身にとってストライクにくる気づきもありました。さすがです。今回は、参加者のみなさん全員にフィードバックをしました。さらに何かありましたら、ご遠慮なく投稿してください。必ずお返しをいたします。

ありがとうございました。

 

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依存的な人間は、社会で見ても大部分を占めている... (Baさん)
2012-10-10 08:16:34
依存的な人間は、社会で見ても大部分を占めていると思う。私は、少なくても社会に出たばかりはそうだった。嫌な事、気にくわないことを人のせいにする、グチを言う。こういった人間は依存的だ。主体的な人間は環境を自ら変える。今回のワークを通してあらためて依存的とはどういう人を言うのかを考えさせられた。私もまだまだ依存的な人間であるので、成長を続けたい。いじめを主体・依存で考えたのは初めてだったが、新しい観点として良い会だったと思う。
(深美です・・・サッカーの長友選手は、インテルというチームで監督が交代した直後にスタメン落ちをしました。その時「あの監督は自分をわかってくれない」とは感じずに「自分に足らないところがあるのだ」感じたそうです。そして、今現在、スタメンに復帰しているわけです。長友選手は、自分がそう感じたことで、更に成長を遂げたようです。この人間の枠組みこそが、「環境を自ら変える」ということなのでしょうね。)
今回のワークショップでは、前回のワークショップ... (Naさん)
2012-10-10 08:45:32
今回のワークショップでは、前回のワークショップで感じた疑問点にも答えて頂き、気付きも多かった。いじめを解消するために教師は主体的であること、具体的には関係を把握して個別の対応を取ること、クラス編成や席変えなどの工夫をすることが議論の時間でも挙がった。ただ、最後の「ホールド」に関して、全ての人間を許容できるか!?が大切とおっしゃられていたが、それは、自分を押し殺す依存的なあり方につながってしまうのではないか!?という点は疑問に残った。
(深美です・・・ホールドできない人がいるということは、「自分に何か足らないところがある」という枠組みで考えるのです。すると「認知」から「行動」に至る部分が新たなものになり、違った結果を生み出すことができます。ただ、それは、一朝一夕になしうるものではないかもしれません。失敗や試行錯誤を繰り返すかもしれませんが、明らかに前と違った自分が発見できるはずです。私は、これが成長ということだと思うのですね。依存的なあり方は、要因を自分以外に求めてしまうので、自分を押し殺して相手に従った時点で、その人の成長は止まりますし、依存の深い部分へ落ちていく事さえあります。ただ、自分が所属している組織や、自分の職務、あるいは仕事上のマーケティングにおいて、自分自身がホールドする必要のある人なのか、そうでない人なのかを判断することが重要です。万人をホールドしなければならないという事ではないのですよ。しかし、学校の教員ということであれば、子どもたちをすべてホールドするということは、教員としての職務ですよね。)
いじめへの対応するプロセスや重要な姿勢をマクロ... (Kuさん)
2012-10-10 10:14:42
いじめへの対応するプロセスや重要な姿勢をマクロ学視点から考え、理解することができた。ただ、教師経験のない自分にとっては、この理論を具体的にどう応用していくかが想像しにくかった。
(深美です・・・教員の仕事というのは、コミュニケーションのるつぼのような状態であると言われるくらいですので、主体的であることが特に要求されるのだと思います。しかし、現実的に社会で生きていくという事自体も、それにあてはまると思うのですね。仮に、無人島で一人暮らしをしなければならなくなった時の事を想像して下さい。誰に頼ることもできずに、結果的に主体的に行動しないと生きていけないですよね。ですので、なぜ、依存というものがあるかというと、それは、人間社会の中で生活をしているからなのです。そこで、依存から主体へという枠組みをつくっていく必要が出てくるわけです。ですから、今、学生であるということにおいて、主体とは何か、相互依存とは何かという事を考える意義があるということです。ぜひ、トライしてみてください。)
学校の中のいじめの構造が理論的に説明されていて... (Kaさん)
2012-10-10 10:27:17
学校の中のいじめの構造が理論的に説明されていてよく分かった。依存的・主体的の話は特に興味深かった。一口には言えないと思うが、教師としてどうやってフィードバックをするのかというのが課題だと思う。
(深美です・・・フィードバックとは、まわりの人や組織からかえってくる反応ということですので、それを受ける人がどうとらえるのかということで、フィードバックとして自分にかえせるのか、攻撃や賞賛あるいは、関心・無関心、あるいは単なる反応というふうに感じるのかという違いが出てきます。フィードバックという言葉自体に、自分の成長を促すものという意味を込めて受けとめることが大事だと思うのです。よく「マイナスのフィードバック」という言葉が使われていますが、そう考えると「マイナスのフィードバック」という概念付けは成立しないのですね。それが、攻撃であっても賞賛であったとしても、フィードバックとして捉えることができれば、それは、すべて成長の糧とすることができるのです。ですから、教師としてのフィードバックとは、どういう返しであったとしても、人間として成長にプラスになるものであることが望ましいと、私は考えています。)
依存的なあり方には攻撃的な面があるという考え方... (I cさん)
2012-10-10 11:20:48
依存的なあり方には攻撃的な面があるという考え方が強く印象に残りました。教師には厳しさも必要だけれど、それは“依存的”になりかねないため考えなければならない点だとわかりました。私自身が主体的であろうとし、生徒の主体的な面を引き出せるよう努めたいと思いました。
(深美です・・・「厳しい」という事は「強引に押し込んでしまう」という側面と、「心の根底からの成長を迫る」という側面があると思いますので、「依存的になりかねない」と感じられたのでしょう。さらに、人間には依存的になってしまう側面と、主体的になりうる可能性をもっているのですから、個としての「主体を引き出す」ということは、個が持っている成長の可能性を信じて支援するという意味が含まれているのでしょうね。この観点は、今日の研修でのコアになる部分です。これを、いじめに関わる子どもたちの支援ということにあてはめると、被害者と加害者の双方をホールドしなければいけないということになるのですね。厳罰主義である「ゼロ・トレランス」の考えとは一線を画すものなのです。実際、「ゼロ・トレランス」の立場に立った考えは、多くの教育関係者に影響を与えています。憂慮すべきことです。)
やはり、自分たちでグループで話し合いながら消化... (Isさん)
2012-10-11 07:58:54
やはり、自分たちでグループで話し合いながら消化(疑問を示すこと)してくことで内容理解も深まりました。具体例まではいかないけれど、主体的(受身)なありようの関係と変容がよく見えました!
(深美です・・・グループで話し合いをしてもらっているときに、話し合いのなかみを横で立ち聞きしてると、私自身が気づかせてもらうことが多々あります。今回も同じです。特に、ものの考え方のヒントをいただくことが多いです。ですから、今回のグループ討議も、「内容理解」以上のものがあったはずですね。そこに、気づいていただければ、学びのクオリティーが一段とアップしていきます。)
主体的、依存的の意味合いが、今まで考えた事のな... (Kuさん)
2012-10-11 08:14:07
主体的、依存的の意味合いが、今まで考えた事のない意味を含んでいたので、新しい考えができた。
(深美です・・・そうですか。初めて接していただいたのですね。Kuさんには、写真のことで無理を言わせていただいたので、今回の会に来ていただいて、私自身、うれしかったですよ。私がみなさんに問いかけた時に、「う~ん」と考え込む反応がありました。あの考え込みが必要なのです。その時って、結構自分の心の声を聴いているのですね。で、そういう反応に影響されて、あまり考えていなかった人がいたとしたら、その人に影響を与えます。自信をもってこたえた人にも影響をあたえます。それが、グループの中での気づきにつながるのです。このプロセスは教員になったら必要なものなのですが、ビジネス的なプロジェクトにおいても重要であるものだと思っています。)
今日はありがとうございました。論文を読んだだけ... (Yaさん)
2012-10-12 08:36:08
今日はありがとうございました。論文を読んだだけではイマイチつかめなかったあり様の変化についていじめとのつながりを意識しながら具体的に講義をして下さりとても分かりやすかったです。あり様という視点から分析してみると、教師がイジメにどのように対処するかはとても難しい問題だと感じました。集団の関係を意識してもある意味で教師にできることってなんだろうと改めて考えさせられました。
(深美です・・・そうでしょうね。読んだだけではなかなか自分自身の中を通って、自分の枠組みに組み込むという作業は、なかなか難しいものだと思います。基本的に、他人の考えは、他人の枠組みを通じて考えられているものですから、もう少し背景がわからないと、理解をするということ自体が難しいのだと思います。実は、いじめについても同じようなことが言えます。対処するということは、自分の枠組みで接していくということなのですが、対処となると、「無理からそうさせる」という感じになるのですね。そうすると一時的には緩和したり、止まったりということはあるのですけど、根本的なことにはなかなかならないわけですね。ですから、「あり様を対峙する」ということが大切になってくると思うのです。それが「フィードバックを返す主体的なあり様」です。時間はかかりますが、そうすることによって、他人の気づきを引き起こし、その人自身が成長するということになっていくのでしょう。)
いじめ、という問題は、色々なパターンがあると思... (Maさん)
2012-10-12 08:52:55
いじめ、という問題は、色々なパターンがあると思うので一概には言えないが、なくなることは不可能なのだと思う。深美先生が「長期的ないじめにはならない(主体的な人がいれば)」とおっしゃっていたのが印象的だった。主体的、という言葉をまだ具体的にとらえきれていないけれど、いじめとどう向き合っていくか、ということに焦点をあてて、もっと考えて、話しあってみたい。
(深美です・・・子どもは、子どもであるということだけで、困難性を抱えており、しかも、依存的な部分が大きいわけですから、教員がつくっている教育的な枠組みがしっかりとしていなければ、当然誰かを攻撃したり、受身的になったりということは、あたりまえのこととして生じてくるわけです。しかし、教育的な枠組みというものは、いつまでもあるものではありません。義務教育であれば15歳で終わりです。その間に、子どもを主体的なあり様の人に成長させることができるか? ということなのですね。実際、そんなことは不可能なことです。しかし、「主体的なあり様」に育っていくために、必要なものの考え方や行動様式を提起し、子どもがそういう生き方をしたいと感じることは可能なのです。いじめの事で言えば、強引に止める事はある程度可能であっても、それを持続させることは難しいのです。ですから、おっしゃるように「いじめにしっかりと向き合って」主体的なあり様の人間をめざしたいと感じるような気づきを起こすことが大切なのです。時間はかかりますけど・・・。
前回の講座で納得の行かなかったり、心の中でもや... (Yaさん)
2012-10-12 09:11:44
前回の講座で納得の行かなかったり、心の中でもやっとしていたりしたことが、何となく見えてきた。主体的であるとはどういうことか、という根本的な問題も、言葉にして、修正していくなかで少し形がつかめた。「経験」や「時間」という限界があったとしても、主体的であること、主体的な子どもを求めることを諦めないようにしたい。もう一度自分たちの手と頭で今回の内容を組み直したいと思う。
(深美です・・・そうですね。「へー、そうなんですか」とか「ストレスに対処する」とか、ロールプレイング、すごろくなど前回の研修のすべての事は、今回の研修の内容に収斂されていきます。「言葉にして、修正していく」こと、すごく大切だと思います。私は、自分の経験や結論を文章としてあらわし、人に伝えていくときに、自分なりの造語をつくったり、既存の言葉でも、自分なりの意味を込めて使うことがあります。「あり様」などという言葉も既存の言葉ですけど、教育の世界では使われることはありませんでした。しかし、「あり様」という言葉でないとあらわせない意味が、依存と主体の中にはあるのです。これからも、「手と頭」に「心」を加えて、「手と頭と心」で、ものごとに向き合ってはどうでしょうか。)

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