江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

日光街道 千住宿を歩く

2020年08月02日 16時13分00秒 | 歴史を旅する
8月2日やっと夏になった。
良いお天気で暑い。久しぶりで北千住を散策する事にした。今 一番のファッショナブルな街と言う評判である。軽佻浮薄な我輩も出かけました。何しろ長い間コロナウィルスや梅雨空で閉門蟄居の心境であったから。ただし マスクをしてへっぴり腰で。


千住大橋たもとの芭蕉奥の細道のスタート地点。1689年芭蕉は深川からここまで舟できて歩き始めたのだ。
 日光街道はこの千住宿から事実上始まる。

千住宿には色々歴史が残っている。


坂本龍馬の元カノの千葉紗奈がここで灸治院を開いて 私が坂本龍馬の妻ですと名乗っていたそうな。
(去年の秋 宮崎県高千穂の 天の逆鉾 を登った時坂本龍馬がお竜さんと新婚旅行で行って天の逆鉾を引き抜いていたずらをしたから早死にしたと言う話を聞いた。人生いろいろ。)


森鴎外の父親がここで医院を開業していた。そこに若い頃鴎外が居候して医者の道を歩み始めたようだ。




赤門寺の閻魔様。  江戸4宿 品川 内藤新宿 板橋 千住には江戸への入り口でそれぞれ閻魔様が睨みを利かしているそうな。
 安養院は弘法大師のお寺。(ああうれし行くも帰るもお大師様と2人連れ)という碑文があった。


千住氷川神社の 大黒天。


安養院のカンカン地蔵。カンカンと小石で売って願うと願い事が叶うと良い伝えられるおじぞうさま。1699年元禄12年以来打たれ続けているため 顔がのっぺらぼうになっている。




名倉医院。説明書にあるように 江戸期の医療状況を示している。ちなみに現在もここで整形外科をやっておられるのに感嘆。


横山家の姿。江戸時代紙問屋であった商家が残っている。この辺から先は東京空襲の被害を免れ残っているよし。

 今 北千住は芸大など大学が集まりおしゃれなビルや賑やかな商店街と充実した飲屋街 更に無数の静かな路地と荒川の川辺と言う新しいものと古いものが混在した良い街である。
 
 今日は相撲の千秋楽で早く帰らねばならないから北千住の飲み屋街探訪をせずに帰ってきたのが残念。
 ここは中野と同様 夜の楽しみが待っているようだ。













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