江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

横須賀ドブ板通り ネイビーバーガー

2022年10月22日 21時55分00秒 | Weblog
 秋の一日 思い立って 横須賀に行きました。

JR横須賀駅を降りました。すぐそばに ヴェルニー記念館があり、
横須賀の歴史の根幹を見ました。

小栗忠順 江戸町奉行 目付となり 日米修好通商条約批准交換の使節として 正使 新見正興 副使 村垣 範正とともに渡米。その後 外国奉行 勘定奉行を歴任。

 破綻寸前の幕府財政を支え日本産業の近代化を進めた。

幕府体制を維持する立場から フランスと組み マルセイユの東 フランスのツーロン軍港の3分の2の規模の軍港を横須賀に作ろうとした。
慶応元年横須賀製鉄所 後に造船所海軍造船所海軍工廠となる横須賀発展の基礎を作り教育をしたのはフランス人技師のベルニーであります。
横須賀発展 それより むしろ日本近代工業が発展の礎を築いたベルニー氏を記念して 横須賀市はベルニー公園を作っております。
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ベルニー氏と並んで小栗正順の銅像があります。でも横浜横須賀市民は逆賊として 
斬首された小栗上野介をあまり大事にしているようには見えません。

新選組は名誉回復の気運 にあるのに まだまだ遅れているようです。

その後 軍港めぐりのクルーズ を楽しみました。











7

問題は 横須賀基地の大きなメインの部分が 米第7艦隊の基地に 召し上げられている事実である

いまだに戦後の占領関係を引きずっていると言うべきか それとも過去の戦争での力関係の結論がついたその結果で 今は安定していると言うべきなのか

その後横須賀のどぶ板通りを歩いて 横須賀名物の 海軍カレー ではなく ネイビーハンバーガ を食べました。
例によって 名物に美味いものなし。

横須賀は海に山が迫っている 断崖の土地であり 海軍が進出するのに向いていると思われる。

ちょうど呉軍港と同じ性質を持っていると 素人目にも 分かった。

そのあと 戦艦三笠記念をみました。


1905年 明治37年 日本の国力増大の 坂の上の雲の時代の栄光だ。

現代の ロシアの脅迫や進出の現実は 日本の国力 国民の能力などからして 余りにも 劣化していると感じる モニュメントでもある。




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