人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

激励の辛さ

2017年07月05日 | 日々闘病日記

 ようこそ

私は、このブログでも書いたように、生死をさまよい生きる事を諦めた時もあった。  本当に多くの方にお見舞いに来ていただき激励を受け感謝しているが、 「がんばれ」 「大丈夫だ」と根拠もなく励まされる事には、少々申し訳ないが嫌気がさした事もあった。 そんな思いを持つ自分にも嫌気がさし、腹立たしく思ったが、 一方的な激励には、体が受け付けない時もあった。 「恩着せがましい見舞い」 「来てやっていると言う見舞い」 「義理でのお見舞い」 など少々厄介に思った事もありました。

人間は一般論として、生きている時はお医者様、亡くなるとお寺様のお世話になりますが、生死の中間は誰か専門に担当してくれる人はいないものか  と思った事があります。

私の4人の主治医の先生もガンの体験者ではなく、やはり患者の当事者しか知りえない、辛さや怖さ悲しさなど説明のしようのない苦悩がある。 これをお見舞いに来ていただいた方々に 「理解しろ」 と言う方が、むしろ勝手なのかも知れません。

そんな闘病生活時の病床で、寄り添い理解しようと努力してくれる人々に出会った。 そうです。お見舞いとは、 「激励ではなく」 「寄り添いと理解」であると気づいた。

そんな中、自宅でテレビを見ていた時の事である。初めて 「臨床宗教師」 と言う資格や職業が有る事を知った ある大学で専門に育成講座が開かれていると言う。 正にお見舞いの原点であるが、この「臨床宗教師」と言われる専門担当師は、本来は生死に直面した患者の心のケアを担当する。 患者自身の辛さや怖さ悲しさ、死への恐怖など患者当事者しか知りえない事に、寄り添い聞き出し共に理解し、これらの患者の苦悩を少しでも和らげ穏やかな闘病生活が送れる様に共に病と闘ってくれる人らしい。 

私が闘病生活を送る中で求めていた人が、この 「臨床宗教師」 と言われる人達である。 初めて知って、食い入るようにテレビに噛り付いた事は言うまでもありません

こんな体験は、私だけで十分です。 みなさん気を付けてくださいね

 

では又ね

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