人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

日大アメフト部の事件に思う

2018年05月24日 | 日々の出来事

ようこそ

45年ほど前の学生の体育会系の部活は、今話題になっている日大アメフト部の部活と同じか、それ以上の雰囲気があった。私の言う学生とは、大学生の事で高校生、中学生は生徒、小学生は児童と区分けしている。高校生も含めて学生と呼ぶ人があるが、生徒手帳を持つ高校生は生徒であり、生徒会である。

大学は、高校とは違い個人の自由が尊重され、高校の様な拘束はほとんどなく、一般社会人と変わりないが、自己責任が重くのしかかる。2回生になると、成人であり大人だ。

今回の事件で、日大の選手が記者会見をした。私も当時を思い出し、食い入るように見入った。私の個人的な思いだが、彼も断れない雰囲気があったにせよ、試合に出られるか出られないか。自分の損得も判断基準に有ったと思うが、事の重大さに気づき、今度は損得の判断基準から善悪の判断基準に切り替えて、素直な自分をさらけ出した。20歳と言う事らしいが、感心である。しかし、大人の加害者が犯した違反は、やはり許されない。その陰には、被害にあった学生が存在していると言う事を忘れてはならない。

しかし、監督、コーチの責任は極めて重大である。ましてや隠ぺい工作と思われる様な言動は、決して許されるものでは無い。一般的には、大学の監督は、外部から専門の技術や経験を持つ人と契約をするケースが多いが、今回の監督は常務理事で人事部長の肩書を併せ持つ、権力のある人物であるから、複雑な構図になっている

大なり小なり、一流と呼ばれるオリンピックのメダリストや、プロの世界では、ボクシングの世界チャンピオン、大相撲の横綱、など多くの選手や力士は、厳しい練習や稽古に明け暮れ、苦難を乗り越えての結果である事は言うまでもない。勿論、社会人の私達も報酬や給料を貰っている以上は、プロであり試練を乗り越えなければならない。

話を戻すが、当時の体育会系の中でも応援団と武道系は、格別の存在であった。学内でも学生寮内でも一回生から、肩で風を切って闊歩していた。私が居た学生寮では、新学期が始まって一か月くらい経ったころには、一回生が全員外で「ヤキ入れ」という暴力行為が恒例で行われていたが、幸い私は拳法部に所属していたので、暴力を振るう側の立場に回された。我が物顔である。

部内では、この「ヤキ入れ」は、日常茶飯事に行われるが、人間慣れてくると怖く無くなるから不思議である。殴る蹴るは当然、バケツやパイプ椅子、なども飛んでくる。大体は、一回生、二回生に挨拶などの不手際が一人でもあると、一回生、二回生は部室の外で整列して待たされ、四回生が三回生に「ヤキ入れ」を行うが、特別の事が無い限り暴力を振るわれる事は無い。そして四回生の帰りを全員で横一列に整列して、「失礼します」と二回生の一人が発声し、続いて全員で「失礼します」と姿が見えなくなるまで、これを連呼る。四回生には一人ずつ一回生が、車の先輩には車まで、電車の先輩は校門まで、荷物を持って見送る。

次は、三回生が二回生を部室に呼び入れ、「ヤキ入れ」が始まる。外で待つ一回生には、大きな罵声や「ガタン、ゴトン」と何かで殴られている様子が分かる。これが終わると三回生を同じように見送るが、付き添いはしない。そして、最後は一回生の順番だ。同じ事が繰り返される。一人のミスが全員の責任として、公平に「ヤキ入れ」が行われる為に、結束や団結の絆は強力であった。全ての事は四回生が前面に出て、責任を取る組織体制だ。

正し、部内の先輩後輩の範囲で、監督やコーチが意図的に指示する事は、まったくなかった。そんな環境での学生生活は、一回生は奴隷と呼ばれていた。

私には、こんなエピソードもある。大学祭の祭事は、部ごとの出店やコンサート、芸能人のコンサートや演芸など三日間に及んだが、その中の部活単位のリレー競争に出場した時の事。私の組は、サッカー部やアメフト部、ラクビー部などそうそうたるメンバーで、それでなくても足の遅い私が勝てるはずもなく、「ヤキ入れ」が待っている事は想像するに難しくない。それぞれの部活のユニホームで走るのだが、武道系は皆、道着で走る。とうとう私は、前をはしる選手のユニホームを掴み倒してしまった。当然に退場だが、部内では称えられ「ヤキ」を入れられる事は無かった。

そんな日々の生活でも、唯一、応援団と武道系の学生には、膝まである長い「学ラク」と呼ばれる学生服を着る事が許され伝統となっていた。当時は他の大学も同じであった。詰襟もコルセットと思うるくらいの高いものであり、大きな金文字のバッジが輝いていた。これが、一般学生との見た目での最大の違いであり、私達の最大のプライドであった。そして、二回生に三回生にと進級する事で夢は膨らむ。

大学は違うが、ボクシングの世界チャンピオンになった渡辺二郎君や大相撲の大関 朝潮関(本名は長岡君)などは、何度か交流したが、当時からオーラが違っていた。

しかし、このような伝統は1980年ごろを境に全体的に、薄れていった。時代が変わったと言えばそれまでだが、伝統を継承出来ない学生になってしまった。体験者としては、この上も無く悲しい事である。ある時に二度ほど訪ねた事があるが、すっかり雰囲気も変わり、一般学生の部活と化していていて、直ぐに退席した。当時は、OBが来ると分かると二日前から部室の大掃除をして、発声練習を繰り返して待ったものだが・・・・

今回の日大の事件は、監督の損得が見え隠れし、加害者選手の素直さが評価されている。私も同感である。甲子園を目指す中学生は、甲子園の常連校に進学する。もし、この高校の監督が優しく甘い監督で、結果的に甲子園に出場出来なかったとしたら、この選手は監督を恨み怒りを覚えるに違いない。

選手を指導する前に、指導者には資格試験を義務付け、等級を与える事も必要であろう・・・・過去の栄光だけで監督の要職に就く事は避けた方が良いのではないだろうか・・・・・・・

これらは、あくまで私の体験談と個人的な思いであります。他に何の意図もありませんので、気を悪くされた方がありましたら、お詫び申し上げます。

では又ね

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