人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

お墓終い

2020年09月12日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

少し投函から時間が経ってしまいました。養生をしていた訳ではありませんが、少しバタバタと忙しくしていたためです。

先日は、兵庫医大に3か月ぶりの定期健診に伺いました。主治医の先生の笑顔に会えると、やはり何とも言えない安心感があります。この日もCT検査や血液検査などの検査を受けて、最後に主治医による診断結果の報告を受けたが、転移や再発も無く順調に回復して居る事を聞き、改めて安心しました。

以前のように万全の体調とまではいかないが、この歳になると誰しも一つや二つの不具合を抱えながら生活して居る。私に限った事では無い。まだ、健康な方だと言い聞かせて、日々の生活を楽しんでいる。

さて、以前にも投函したが、一昨日より新しく購入した墓地の工事が始まった。長男と二人で現場の工事の進捗状況を堪忍するために墓地に向かった。

クレーン付きのトラックが一台と運搬車、クレーンの3台の重機が運ばれていた。この墓地は市営の墓地で、なだらかな丘陵地にあり一見は公園の様に整備されている。私が購入した当時は5年前で、最も早い段階で、駐車場やトイレ、水汲み場にも近く、最高の場所だ。

そもそも墓地の購入を思いついたのは、最初のガンの告知を受けた時だ。私は分家の新所帯だった為に購入したのだが、妻や子供達に迷惑を掛けない様に手配したものだ。その後、5年間は更地の状態であったが、この度の妻の実家の「墓終い」の工事の依頼と同時に、こちらも縁石だけは整備しようとお願いしたのだ。

同時並行して、昨日は妻の実家の「墓終い」の工事も始まった。山の急斜面の上の方にあり、墓石の撤去には重機が入らない為に、全て手作業で行う事になっていた。このお墓は妻の実家の先祖代々のお墓なのだが、この家系も義母で最後になり、義母も88歳で最近見る見る弱ってきているのが分かる。義母が亡くなると妻の実家も途絶える事になる。永代供養のお願いは、既に菩提寺の住職に手配してあり安心だ義妹家族からの支援もあり、大いに助けてもらった。ありがたい事である。

長年に渡り、頭の片隅には何時も「墓終い」の思いはあったが、私のガンの告知により、これらの行事を始めるきっかけになった事は間違いない。

そんな事で昨日は、妻と二人姉妹である義妹と長男の4人で、最後のお墓参りを済ませ、工事を見守った。墓石を撤去すると、二つの骨壺が出てきた。義父と義祖父のものだ。蓋を開けてみると、当時のままの形で遺骨が残っていた。40年と言う年月が経っているが、見事に残っていた。

石屋さんが準備してくれた遺骨入れの白い布製の袋に移し替えた。どちらがどちらかは分からないが、これを菩提寺に持参して合祀の墓に納めてもらうのだ。こちらは9月14日と決まった。この時には義母も連れて行き、最後のお別れをさせるつもりだ。

遺骨の一部と墓石の一部を持ち帰り、我が家の新しい墓地の端に妻の実家の歴史として、残すことにした。新しい墓地の工事が完成したら、そちらに移動させて祀るつもりだ。これで我家と妻の実家の墓参りは、同時に行える。私のせめてもの妻の実家の尊厳を守りたい気持ちである。

しかし、このような文化や習慣も今後は薄れていくに違いない。今後は、お寺を中心に合祀の形が増えるに違いない。東京を中心に都会に人口が集中すれば、家としての継承も難しくなるだろう。私は、このような形を選択したが、本当に人それぞれで、お墓も例外では無くなった。そんな事を考えさせられる一日であった。

新しい我家の墓地に入る一番手は、普通に考えればガンの事もあり、私が最初になると思われるが、もう少しだけ時間が頂けると幸いである。

それにしても、火葬して骨壺で墓石の中で保管すると、40年経っても原型をとどめている事にも驚いた。失礼だが、けっこう長持ちするものである。勿論、遺骨を取り出すと言う経験は初めての事だ。

先日、兄から借りた太平洋戦争のDVDを10巻見たが、これらの歴史が現在の日本を形は変われど継承されている事に想いを馳せる。今は、長男にも勉強の為に見せているが、胸の熱くなる思いだ。亡き父親も義祖父も、おそらく戦争体験者だ。遺骨を見て、このDVDを思い出していた。

しかし、生存していただけでも幸せな事だ。私もガンくらいで、くよくよしている場合では無い事を思い知らされた一日であった。

では又ね

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