人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

親友が・・・・

2020年02月29日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

一昨日の朝に私の携帯が鳴った。友人からの電話である。「何々君が、今月15日に動脈瘤が再発して、意識不明で豊岡病院に入院している」と言う内容だった。

入院している彼は、私の小学、中学時代の同級生で、高校、大学は別々に進学したが、その後はお互いに帰郷して、色々と家族ぐるみで付き合いがあった。

5年前には、彼も左の肺がんを患い、左肺の三分の二を摘出した。当時、私も膀胱がんや前立腺がんで入院していて、お互いの病室を行き来して、励まし合った仲である。

その後、お互いに退院したのだが、悪夢は再びお互いに訪れた。私は、悪性胸膜中皮腫に、彼は動脈瘤にと災難が続いたが、事ある事にお互い励まし合った仲で、特別な関係が続いていた。

彼は、動脈瘤の手術では、心臓から脳に太いパイプを埋め込む手術を行い、私は、兵庫医科大での大手術。お互いに手術は成功し、昨年末には忘年会をしたほどまでに回復していたが、彼は右肺にも肺がんの疑いが有り、経過観察中だと話してくれていた。

そんな最中での悲報である。意識不明で手術をすることも出来ずに、面会謝絶中と言う。いわゆる危篤状態である。

お見舞いに行きたいのだが、意識不明の重体では、どうしようもない。お互いに、励まし合いながらの5年間で有ったので、何とか意識が戻り回復してくれる事を願うばかりであるが、きっと彼も疲れ果てている事だろう。私に出来る事は、見守る事ぐらいしか出来ないが・・・・・

これも偶然だが、私の生体検査の為に受けた3回目の手術の外科医は、彼の動脈瘤の手術を担当した外科医と同じ先生であった事も、お互いの絆を深める要因でもあった。

退院した当時は、回復度合いを競争し、自慢話に花を咲かせていた彼が・・・

何ともやるせない電話であった

では又ね

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