新橋演舞場で「ヨイショ!の神様」を見てきました。
中村勘三郎、藤山直美、柄本明、火野正平…。
舞台は錚錚たる出演者で固められ、笑いと涙の入り混じったライトで上質な人間ドラマに仕上げられています。
並み居る実力派の役者陣の中で、決してひけをとらず健闘していたのが小池栄子でした。
物語は、勘三郎扮する太鼓持、「さの字」を中心に進みます。太鼓持とは、遊客をヨイショして酒興を助けるのが仕事のお座敷喜劇役者。勘三郎の演技が光ります。
小池栄子は、父を亡くし芸人小屋の興行が行き詰まりながら健気に看板を守ろうとする娘。彼女をさの字は何とか救おうとしますが、結局娘は借金の返済をたてにせまる成金の愛人になってしまう。
ある日、さの字が太鼓持ちの仕事をしていると、その酒興の席にこの成金と娘が。さの字は、二人の前で「ヨイショ」をしなければならない。
切ないシーンです。
この場面で、卑屈なまでに成金の機嫌をとろうとするさの字(勘三郎)を見て、小池栄子扮する娘がいたたまれずこんなセリフを吐き出します。
「ヨイショとゴマすりは違うものではなかったの!」
物語中盤の決め台詞の一つでした。
さて。
ヨイショとゴマすり。どう違うんでしょう?
気になってしまいました。
さっそく広辞苑の登場です。
ヨイショ…相手の機嫌をとって、おだて上げること
ゴマすり…へつらって自分の利益を計ること
なるほど。どうやら同じように相手の機嫌をとる行為ではあっても、ゴマすりの方には、「自分の利益」のために、というニュアンスが入るようです。
確かに、ゴマすり、という言葉には、何だか卑屈でマイナスのイメージがあるような気がします。
そう考えてあらためてこのセリフをかみ締めてみると、この場面での娘の心情がより深く理解できるかもしれません。
TB
http://blog.drecom.jp/vinoitaliano/archive/431
中村勘三郎、藤山直美、柄本明、火野正平…。
舞台は錚錚たる出演者で固められ、笑いと涙の入り混じったライトで上質な人間ドラマに仕上げられています。
並み居る実力派の役者陣の中で、決してひけをとらず健闘していたのが小池栄子でした。
物語は、勘三郎扮する太鼓持、「さの字」を中心に進みます。太鼓持とは、遊客をヨイショして酒興を助けるのが仕事のお座敷喜劇役者。勘三郎の演技が光ります。
小池栄子は、父を亡くし芸人小屋の興行が行き詰まりながら健気に看板を守ろうとする娘。彼女をさの字は何とか救おうとしますが、結局娘は借金の返済をたてにせまる成金の愛人になってしまう。
ある日、さの字が太鼓持ちの仕事をしていると、その酒興の席にこの成金と娘が。さの字は、二人の前で「ヨイショ」をしなければならない。
切ないシーンです。
この場面で、卑屈なまでに成金の機嫌をとろうとするさの字(勘三郎)を見て、小池栄子扮する娘がいたたまれずこんなセリフを吐き出します。
「ヨイショとゴマすりは違うものではなかったの!」
物語中盤の決め台詞の一つでした。
さて。
ヨイショとゴマすり。どう違うんでしょう?
気になってしまいました。
さっそく広辞苑の登場です。
ヨイショ…相手の機嫌をとって、おだて上げること
ゴマすり…へつらって自分の利益を計ること
なるほど。どうやら同じように相手の機嫌をとる行為ではあっても、ゴマすりの方には、「自分の利益」のために、というニュアンスが入るようです。
確かに、ゴマすり、という言葉には、何だか卑屈でマイナスのイメージがあるような気がします。
そう考えてあらためてこのセリフをかみ締めてみると、この場面での娘の心情がより深く理解できるかもしれません。
TB
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