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氏神様参拝456


おはようございます。
今朝も参拝はお休みです。
氏神様参拝417、玄米食540、縄跳び025です。
アーユルヴェーダ習慣は147となりました。

昨日は、お仕事で前向きな話ができたのでとても良かったです。ありがたいです。

今朝、お笑いのキングコングの西野さんという方が、日本人は誤った清貧の洗脳にかかってお金の勉強をしないという記事がございました。
一部抜粋しますと以下のようです。
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「『貧すれば鈍する』という言葉があったりしますが、貧しくなったら物事の判断が鈍ったり、卑しい考えを持ったり、自尊心が傷ついて攻撃的になったりすることがあるよ」と発信したら、「金持ちがそんなに偉いのか!」という声が返ってきたりする。

ーーーーー

私はお金に関わらず、様々なことについてこのようなことはあると存じます。

日本の方は、我慢の美徳が行き渡っておりまして、そのこと自体は大変良いことでございますが、その一方で、本心ではやりたいことを抑圧することも無意識のうちに習慣となってしまっていて、無理に目をつむっているものですから、羨ましいけれども、無意識に抑圧していることに関連することに触れると、情動がおかしな形で出てしまうということが、私を含めて、あるように存じます。

一般に、我慢あるいは忍耐は多くは具体的に「目に見えるモノやコト」を「封じ込める」のに対して、感謝は神様、仏様という「目に見えないもの」に対して行うことが多いように思われます。

しかし近年の科学の考え方を重視した教育がなされることによって、「目に見えないこと」を考えることは、能力が低い、という風潮が生まれてしまったことから、神仏に感謝を捧げるという習慣が庶民の生活から失われたように存じます。

私は、本来、我慢、あるいは忍耐の美徳は、必ず感謝とセットにしないといけないように思っております。

我慢、あるいは忍耐は、感謝の習慣(先祖供養、神棚のお祭り、お勤め)によって毎日昇華することにが可能でございます。この、「心を感謝の気持ちでキレイにすること」が翌日の仕事や生活の活力となり、新しい物事への挑戦の意欲となるように存じます。

掃除、洗濯、入浴、美容など目に見えるものを清める文化は非常に伸長したように存じますので、心の浄化も行なえるとより良い社会になると存じております。

今日もありがとうございます😊🙇‍♀️


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