微差を積み重ねること、始末をきちんとする事を目指します。悩まずに行動に移します。
毎日0.1%でも
氏神様参拝265
おはようございます☀
今朝は参拝出来ました。
氏神様参拝348、玄米食366です。
先程の記事は昨日の記事です。
今朝はやっと通常のモードに戻ってきました。
また淡々とお仕事を進めたいと思います。
最近は100回の礼拝に准胝観音様のご真言を唱えるようにしています。縁あって御影をお迎えしました。
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さて話は変わりますが、私たちの中には内在する神様(のようなものとしておきます。既存の宗教からは、それは違うと言われるかもしれません)がおられるとして、それはどのように接したら良いのでしょうか?
私たちは生活をしていると、もやもやと不安に包まれたり、怒りにとらわれたりします。私たちの頭や意識はその時、自動的に敵や言い訳をサーチします。
例えば、「今行なっている仕事がほかの人にも簡単にできるようになって、あなたなんてもう必要ないですよ、と言われたらどうしよう」と不安になるとします。
心あるいは頭は自動的に言い訳を始めます。曰く「あの時はあの人が私に意地悪するから私は集中出来なかった」、「あの時あの人がもっとちゃんと教えてくれないからいけないのであって、このような状況にあるのは自分のせいではない」、などなど。
これは「考え」ではなくて「言い訳」や「怒り」だと思います。あるいは不安から自分を守る「防衛する心」です。
こういう場合どうしたらいいでしょうか。
私は一旦諦めます。仕方ない、そして「私は役に立たないカッコ悪い人間だ」、と怖いけど受け入れます。
受け入れたら、その受け入れた心こそが内在する神様、あるいは仏様のひとつだと思っているのです。
テレビや映画のように「大丈夫ですよ」とか優しくお声がけくださるわけではなく、また「あなたは偉いですよ」と褒めてくれるわけでもないと思います。
でもそうして落ち着くことができると、仕事をしたり休んだりすることができます。
その落ち着く心が出てくれば、神様のような精妙な波動に気づけるようになるのだと思います。訓練することでその気をコントロールできるようになるのかもしれません。
サッカー選手が体をコントロールしてボールを上手く扱うようにです。
お勤めや神社参拝はそのトレーニングだと思います。続ける方がより強固に失敗なくできるようになると思います。
今日もありがとうございます😊🙇♀️
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