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夢物語649

おはようございます。
今日も日々の徒然創作物語を書いてみたいと思います。

昨日は「みこころ」について自分を大切だと思う誰にもある心について触れてみました。

この「みこころ」は、生きて行く上でとても大切なものですが、心は目に見えないものですので、多くの方が意識をしてないことが多いように存じます。

自分を大事にしたいと多くの方は内心は思われていると思いますが、何となくの社会通念として自分大事というと、すなわち自分勝手=利己主義と思われてしまうのではないかというような漠然としたおそれのようなものがあるように思うのですが、これは私だけでしょうか?
このようなこともあって、多くの常識ある方々はそのようなことを語ることは控えておられるというように私には思えるのです。

ここで気になるのは、「利己主義と利他主義」というような対義語から自動的に派生するように思われる二元論的な考え方です。

二元論的というのはなんとなく○と×というふうに物事を単純化できるので、深く考える土台が少ない時には大変便利で有用です。でもそれが、本質的で、そのものの性質を描写しているというわけではないことも多々あります。

そして、心というものは、自分を大切にしたからといって、他者を大切にしない、というような不自由なあるいは単純なものではないように思うのです。

むしろ、自分をとても大切するからこそ、「みこころ」を持つもの同士で尊重できるという風に考えるのが素直な見方なのではないでしょうか。

私たちは、科学の時代を生きています。科学的な視点の根本は物事の「観察」です。そして精緻な観察を通して世界や事物の働きを明らかにして行くことで、その原理を応用し、文明を形作って参りました。

その観察眼を自分の認知や感情、「みこころ」にも向けて、正確に知ろうとすることがとても大切なように思えるのです。
当たり前にあるから、「わかっている」ということでもないように思います。

「みこころ」についての物語を書いていきたいと思います。


今日もありがとうございます😊🙇‍♀️

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