はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

駿河百地蔵7回目-1

2013-12-22 23:10:01 | 寺社遍路
  95番目 ~ 100番目 地蔵                              歩行月日2013/10/27

歩行時間:6時間00分 休憩時間:2時間30分 延時間:8時間30分
出発時間:7時00分   到着時間:15時30分
歩  数:  31、339歩  GPS距離:25.7km
行程表
 沼津駅 0:05> 95番 0:50> 香貫山 1:15> 柿田川 0:40> 96番 0:15> 97番 0:15>
 98番 0:10> 99 0:45> 100番 1:15> 仏の里 0:30> 函南駅

              95番目(95番) 蓮光寺

 駿河百地蔵の遍路も今日で最終回だ。今日の予定は前回山門が閉じていた蓮光寺を廻り、次にこれも前回
中止した香貫山に登る。香貫山を下ったら柿田川の自噴を見て、源平川のせせらぎを歩きながら三嶋大社に
向かう。最後の100番目の札所を打ち終ったら、番外として函南に新装となった「仏の里美術館」を見学する。
そこから函南駅をゴールにする予定で、想定距離は30km弱。余裕のゴール予定だ。

 前回閉まっていた山門の扉は開いていた。朝が早いので少なからず心配していたのだが、お蔭で助かった。
境内に入ると本堂の前は砂利に箒目が入り清々しく感じる。その砂利の上に何やらオブジェ風の物が置いて
あるが何だろう。竹で籠を編んだ物や、枯枝を黒く塗った物もある。電灯線も引いてあるのを見るとイルミ
ネーションなのだろうか。それにしては電球が見当たらないが。
本堂の裏の墓地の方に行ってみると、寺は高台に建っていて東海道線の方が低く見える。本来なら富士山も
見えるのだが、生憎今日も姿を見せてくれていない。どうもこの百地蔵の遍路では富士山に嫌われたらしい。
寺が高台にあるので思いついたのだが、前回見付けた沼津城の本丸は狩野川に隣接していた。あの場所に
平山城を築くならこの高台に本丸を置いて、水運が必要な狩野川畔には三の丸でも設ければ、水難にも、
外敵にも防御しやすいと思うのだが。
 本堂の裏には「友愛地蔵尊」が建っていたが、この寺の百地蔵本尊は延命地蔵だからこれではない。
他に地蔵像がないかと探していると、本堂の前の方に立派な地蔵堂があった。その柱には「救世厄除地蔵尊」
と朱書きで書いた札が掛かっている。延命地蔵ではないがこれがご本尊だろう。

 
                        蓮光寺本堂                          蓮光寺地蔵堂
      蓮光寺の地図
 山門を出ると石仏を横に長く並べて置いてある。その中には六地蔵もあるが大量生産型で面白味がない。
その横にこれも大量生産型と思われる三十三体の観音像もある。台座を見るとそれぞれ番号と寺名が彫られて
いて、最後の観音像の台座には「三十三番 十一面観音 美濃国 谷汲山」と見れるので西国三十三観音なの
だろう。こうして六地蔵と観音像を並べてみると、同じ機械彫でも観音像の方は彫も細かく繊細に出来ている。
一方地蔵像はふっくらとした体形で、手に持つものも少なく変化に乏しい。そのため大量生産型の六地蔵を
見るとどれも同じように見えて詰まらなく感じてしまうのだろう。

 その六地蔵と観音像の横には古い石仏を集め露座のまま置いてある。その中に一風変わった子育地蔵が
あった。細身の体で顔を傾けた姿は、キリストを抱いたマリアのようにも見える。
厄除け地蔵ではないが、この地蔵尊を私の百地蔵としよう。

 蓮光寺を後にしてから門前に建っている「南無大師遍照金剛」の事を聞くのを思い出した。だが蓮光寺では
人影は無かったのだから仕方ない。きっと蓮光寺の元の宗派は真言宗だったのだと、これも勝手に断定する。

      
                       西国三十三観音像                        子育地蔵

              番外 香貫山

 沼津警察署の前で旧国1と合流し、その道を横断して狩野川を渡る。狩野川の水量が多いのは今日寄る予定の
柿田川の自噴の水が流れ込むのも一因なのだろう。川にはやはり水が似合う。天竜川や、大井川は上流でダムで
水を堰き止めているので川原は砂漠の状態で干上がっている。まさに河原砂漠の状態だ。かと言ってダムを廃止
すれば電気も水道も、工業や農業用水も早速困ってしまう。一度頼りだすともう後戻りはできなくなってしまう。

 車道を五重塔まで歩く。この五重塔は「沼津市平和塔」で沼津市出身の戦没者慰霊塔だそうです。ここからの
眺めも良いが、今日は更に山道を歩いて山頂に行く予定だ。前回沼津アルプスを歩いた時、山頂からの山道が
分からず車道を五重塔まで下ってしまったのでそのリベンジでもある。
五重塔から山頂に向かう車道の分岐点にハイキングコースの案内板はあった。山道を登り出すと途中に何度か
展望台への標識があったが、それを無視して山頂に向かう。そして五重塔から15分ほどで山頂に到着。
香貫山の山頂は見晴らしが効かないので展望台に移動するのだが、ここで途中にあった展望台の意味が分かった。
あの展望台とはこれから行く山頂直下の展望台の事なのだ。それなら五重塔から香貫山に登るときは、最初に
展望台に寄ってから山頂に来れば無駄な往復はしないで済むのだろう。
でも分からないのは山頂の標識に「右回り 山頂→山道→五重塔」となっていて「左回り 山頂→展望台→
車道→五重塔」
となっている事だ。展望台からは矢張り山道は無いのだろうか。

      
                        狩野川                           五重塔

 富士山の展望台からは富士山が見えなければ興味は半減する。しかも今日は遠くが霞んでいて伊豆半島も見えて
いない。こんな時は早々に退散するに限る。
また山頂への車道を戻り大きな地図を書いてある案内板を見る。この先に行先は狩野川の香貫大橋の袂に出てから
柿田川に向かうのだが、案内図を見ると最適な道は車道を少し東に進み、そこから山道を斎場に向かって下る。
そして一度車道を横断したら次の分岐を「グラウンド」に向かって下れば良さそうだ。
余りジロジロ案内板を見ていた所為か「何処へ行くんですか」声が掛かった。
「このグラウンドと言う所へ行きたい出すが」と言うと、最初は分からなかったようだが案内板を見て
「アー香貫大橋ですね。じゃ私もそっちに行くので入口まで案内しますよ」と言ってくれた。
これ幸いとばかりに一緒に歩いたのだ。山道の入口はすぐのはずなのに車道をずんずん進む。少し心配になり
「柿田川に行きたいのですが香貫大橋から近いのですか」と遠回しに私の行先を告げるが、別段慌てずに
「車道を20・30分も歩けば着きますよ」と言う。仕方ないもう任せるしかない。
ようやく「此処が入口です。分岐が一カ所あるけど右に行けばいいからね」と教えてくれた。言われた通り分岐を
右に取ると香貫大橋はすぐだった。途中に斎場の標識は無かったが、マーいいか。車道歩きで距離も稼ぎ無事
着いたのだから。ありがとうございました。


                      香貫山展望台から沼津港方面6
              95番目(96番) 蓮馨寺(湧水地)

ハイキングコースが県道と合流してアーチ型の香貫大橋を渡ると新しい太い道になった。道の両側も新しい
家が多い。その太い道が細くなり暫く行くと柿田川の駐車場があった。その前に三枝神社があり、その
鳥居の前に「十句観音経二百萬遍供養塔」彫られた石碑がある。その案内に
「十句観音経二百萬遍供養塔は天明9年(1787)建立。柿田川を渡る石橋は狭く(両側は目もくらむ奔流)で
溺死する事が絶えなかった。人々が集まり観音経を二百萬遍唱え亡き霊を弔った。」

そのまま見過ごせば良いのだが矢張り気になる。「両側は目もくらむ奔流」とは何処の川を指しているのか。
当然柿田川だが、柿田川とは全長は約1.2kmの日本で最も短い一級河川で、流水はほぼ全量が湧水から成る。
こうした川が目もくらむ奔流だろうか、マー行けばわかるだろう。

   
                   柿田川の流れ                      柿田川の地図

 案内板の供養塔は静岡県では他に見た事のない石碑だった。石碑の中央に観音像を丸く浮き出しにして
上部に文字を書いてある。十句観音経とは四国遍路のときに購入した経本に載っている「延命十句観音経」
ことなのか。それなら私もそらで唱える事が出来る。以前駿河一国、遠江、遠州の観音巡りをしたとき、般若心経
だけでなく、観音さんに縁があるお経がないかと見たところ、延命十句観音経が目に入った。その後札所で読んで
いるうちに自然に覚えてしまった。勿論自己流なのでアクセントも抑揚も適当なので人に聞かせるような物では
ないが。
「観世音(かんぜおん)。南無仏(なぶつ)。 与仏有因(よぶつういん)。与仏有縁(よぶつうえん)。
仏法相縁(ぶっぽうそうえん)。常楽我浄(じょうらくがじょう)。 朝念観世音(ちょうねんかぜおん)。
暮念観世音(ぼねんかぜおん)。念念従心起(ねんねんじゅうしんき)。念念不離心(ねんねんふりしん)

意味ですか。門前の小僧より落ちますので分かりません。

 柿田川を渡り、川の見えない道を遡って行くとお寺が見えた。休憩を兼ねて境内に入ると静岡県では珍しい
青面金剛像が二基もあった。しかもどちらも三猿が刻まれている。ここは清水町で駿河なのか伊豆なのか知ら
ないが、とにかく珍しい。寺の標識は「駿河・伊豆両国横道33観音札所 蓮華寺」となっていたが、伊豆の
横道33観音なら聞いた事があるが、駿河・伊豆両国33観音は初めて聞いた。色々な霊場があるものだ。

   
          十句観音経             青面金剛と三猿             青面金剛と三猿

 事前に清水町の図書館の所から柿田川の湖畔に降りると調べていったので、案外容易に川の畔に降りる事が
出来た。さざ波も無い静かな流れの柿田川をみて、また先ほどの。「両側は目もくらむ奔流」を思い出す。
それでも天明9年の今から226年前は湧水量が多く、柿田川奔流のように流れていたのだろう。としておこう。

 
                  柿田川の遊水地付近                     柿田川湧水地

 柿田川を出て国道1号線を東に進む。次の目標は三島の源兵衛川水辺の散歩道を歩いてみる予定だ。
ただこの目標は昨夜急遽決めたため、源兵衛川の場所がはっきり分からず、地図で玉川とか丸池の地名が
あり、水色の表示がある場所を源兵衛川だと適当に決めて地図を印刷してきた。
国道を右折して小さな川を辿って行くと、正解!池がありました。ここが源兵衛川に違いない。と池を回り込み
上流に行くと、アレ?川が無い。池は丸池と云い記念碑なども経っているが水は淀み清流とはとても呼べない。
それに何処にも源兵衛川の表示が無い。多分間違えたのだろう。それも又ヨシだ。
 丸池の横の県道を歩きながら右側の丸池の上流部を見ると一段下がって川のように見える。しかし今は川は無く
緑地帯と言うか住宅も所々に見えている。かってはきっと川だったろうと思われる。
県道が三嶋大社に続く道と合流した地点が千貫樋の交差点だったが、どうも腑に落ちない。今まで右側は川のように
落ち込んでいたのに合流した県道は平らで落ち込んでいない。そこでハタと気が付いた。丸池の上流はかって
柿田川のような湧水地だったが、今は水が枯れて緑地になってしまったのだ。きっと230年前はここも水が奔流の
ように流れていたに違いない。とまたもや妄想的歴史観が働いた。
それにしても富士山の積雪量が増え、昔の様に湧水が復活したら、この辺りの住宅はどうなるのだろう。横からの
水なら堤防で防ぐ事は出来るが、下からの涌水はどうして防ぐのか----

 千貫樋の事は東海道の時に話したので今回は止めておこう。

      
                   丸池                           千貫樋

 次の札所蓮馨寺は千貫樋から大社に続く道を東に進んだ三島広小路駅の先にあった。
山門を入ると右手に「芭蕉老翁墓」がある。エッ!松尾芭蕉の墓は大津「義仲寺」の義仲の墓の隣りあるのでは。
調べてみると「芭蕉の弟子だった蓮馨寺の住職が安永7(1778)年に建てたもので、墓の左面に
「いさともに麦穂喰はん草枕」
の句が刻まれている。」
とあった。

 ここの百地蔵のは本尊は本堂に祀られている聖徳太子作の日限地蔵で、かつては60年ごとに開帳されていた。
ところが、この地蔵が開帳されるたびに三島市内が大火に見舞われたため近年は開帳されていないという。
では仕方ない地蔵堂に祀られていた子安地蔵を私の本尊としておこう。

      
                  蓮馨寺本堂                     蓮馨寺子安地蔵
      蓮馨寺の地図

 境内の奥に聖徳太子を祀った太子堂がある。これはきっと日限地蔵を聖徳太子が造った縁で太子堂建てた
のだとおもったら、聖徳太子は建築に必要な曲尺を発明したとされており、建築関係の職人たちの守本尊だ
という。それで三島市内の職人たちが大正11年に奈良の法隆寺から勧請した太子像を祀ったものだという。

 聖徳太子像の写真を写すため境内の奥に行くと川が流れていた。その川べりには遊歩道らしき物が見えた。
辺りを見回すと「源兵衛川」の標識がある。ラッキー!既に諦めていた源兵衛川水辺の散歩道が楽しめる。

      
                   蓮馨寺太子堂                  聖徳太子像