永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

磨く(きらく仙女さんの日記の転載)

2021年07月17日 | 日記
最近、持ち物の片づけをしておりますと、
拾ったり買ったり贈られた石たちが目に留まりました。
そういう物を見ますと、つい手入れが始まってしまいます。

久しぶりに、磨くという作業が毎日少しずつ暫く続きました。
形を変えたくない物は、ただ柔らかい布などで拭くだけですが、
造形的に気になれば改刻と言いますか、刀入れが必要になります。

少し時間を掛けて丁寧に磨きますと、みんなピカピカになりました。
中でも土産物店にあった小さな翡翠の仏像などは素晴らしくなりまして、
私が触ると価格のゼロが増えると言っていた人達の事を思い出しました。

けれど、一寸磨いて驚くほど美しくなる石は希です。作硯の師匠の説では、
「良質な石は磨くと化ける。良くないと、いくら磨いても無駄。」だそうです。
やはり素材の価値が発揮されていない場合の手入れは張り合いが有ります。

人も同様かもしれません。一つのきっかけ、一言の提案から別人のように
輝き始める人は殆んど希だと思います。私も亦そういう種類に属せたら、
と思います。そして又、そういう人達とご縁があれば、とも思います。

磨くという作業は大抵楽しいです。家の床でも、古い家具や日用品でも、
それなりの輝きを取り戻すか、又はそれならではの古色の輝きを始めます。
ただ、物は必ず原料の世界に戻りますから、輝きや楽しみも一時的です。

永遠に輝ける物は人の真霊であると謂われます。自身の真霊を修養して、
輝きが増してくる様子が感じられるのは楽しい事です。それは3次元の
物たちが磨かれてだんだん綺麗になってくるのを見る時と似ています。

ご縁があって来られても、中々修養の実践と成果には繋がりません。
誠意さえ通じない場合があります。けれど、どのような状況でも常に
誠意を持って対応する事は他者の為ではなく、自身の為になります。

人には他者の形態を磨く事は可能で、手助けや機会の提供も可能です。
けれども、自己の本心や真霊を磨く作業は自己自身にしかできません。
そして、自己を消耗したり傷害する事も自己自身にしかできません。

今、こうして文章を書き起こしていますと、自然に平静になれます。
そして考えが整理されてきます。言葉を選ぶうちに客観的になれます。
それは思考力や観察力などが磨かれる功候と言えるかもしれません。

物を磨く作業は、一見つまらない暇つぶしのように見えそうですが、
様々な効果があり、奥深い世界に通じる不思議な作業であると思います。
皆様も、お手許に縁じて来ている物を磨いてみられては如何でしょうか?

石の場合は、思い出の石や標本店などにある石、極端に高価でなくて、
なるべく良質な、水晶とかジェダイトとか透明感のある物がお奨めです。
それを市販のサンドペイパーの1000~2000番くらいで丁寧に磨きます。

自然に気持ちが静かになり、その石の中に吸い込まれてゆくかと思うと又、
表面がだんだん鏡のように輝いてきて、心地良い時間が延々と続いてゆく、
そのような状態になります。善い修養法の一種であると言えるでしょう。

磨かれた作品は、飾って偶に布で拭いたりするのも優雅でしょう。また、
同様の感覚を有する人にプレゼントすれば楽しさは広がるでしょう。
そのような感覚の人が増えてこられると宜しいでしょうね。
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鬼雷)
2021-07-17 17:17:49
修方さん。すみません。ごめんなさい。

扨て、道に生きる、老祖の弟子は、現象世界の美しさには、囚われない。私が触ると価値が上がると云われる価値等、すべからく現象世界。

真の実相世界は、人間的美しは当てはまらない。

実るほど、頭が下がる稲穂かな。

道にある人には、先天の炁が宿り、神の魂が在り、磨けば、光る人ばかりなり。

確かに、石質により、石にも光らない、光沢も出ない石もある。

しかし、地球生誕から成る原初の石なのである。

自ら誇れば、即ち善から悪へとなります。

釈迦やイエスキリスト、玄奘三蔵は、全ての生きとし生けるものを救う為に道を歩まれました。

例え、他人が述べたにしても、良くない石は磨いても無駄である言葉を肯定するは、老祖の道を歩む人の言葉であるのでしょうか。

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