やまと人の独り言

私は死にたいと思う位、大変な目に遭いました。幸い復活して面白いから生きています。日々の生活の中の気づきを書きます。

日田(飛騨、日高)と、河南(カナン)

2022年10月03日 | 忘れられた古代史
倭人達は、三内丸山で太陽の通り道の、日高を望み神に感謝した。
気候変動の後に、岐阜の飛騨(日田)に遷都した。
倭人達は、行く先々に日田という名前をつけた。
九州の日田市、四国の日高村、和歌山の日高町、北海道の日高町(ここが基本)だ。
これらを拠点として、倭人達は活動した。
以後文化に変化があると、一斉にこの拠点に伝えた。
時代を経て、出エジプトの時代のユダヤ人達が日本に帰ってきた。
飛騨にいた天皇は、最初諏訪に一同を住まわせた。
その後手狭になったので、日本の拠点にエジプト帰りのユダヤ人達を移住させた。
ユダヤ人達はモーセにカナンの地に導くと言われていた。
モーセが目指したカナンの地は中東にあるが、日本で恵まれた土地に住まわせて貰ったのでそこを河南と名付けた。
大阪の河南と、四国の香南がそうだ。
大阪は天の磐船伝承の磐船神社がある。これは中東から船に乗り日本に来たという伝承だと思う。
四国はユダヤの伝承が多い。これは物部氏(ユダヤ人)が多く移り住んだからだ。
現在の四国の剣山での伝承やエリコーヘンさんが訪れた礼拝所などは、最近つくられたものだと思う。恐らく観光の為につくったのだろう。
以上のように、日本に元々居た倭人達と、シュメールから帰ってきた倭人達、エジプトから帰ってきたユダヤ人達が各地に移り住んだ。
その為聖所は倭人が礼拝した山岳信仰と、シュメール帰りの人達が礼拝した磐座信仰、エジプト帰りのユダヤ人達が礼拝した青銅の蛇の3つが合わさっている。
だから皆さんは惑わされて何が何だかわからないと思う。
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