鹿の庵

鹿の書いた小説の置き場所です。
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第26話 出向前の日常

2009年10月19日 19時58分00秒 | 二次創作
1993年10月5日 京都コンサートホール 大ホール三階の貴賓席


 武が悠陽の傍仕えを始めて数日、この日は京都コンサートホールの完成披露公演を観覧に来ていた。

 京都コンサートホールは、平安京建都1200年記念事業の一環として、三階建ての大ホールとアンサンブルホール、その二つホールを備えた演奏場として1995年の竣工が予定されていたが、戦況悪化で予算確保が難航した事も有り、計画は三階建て大ホールのみに縮小された。

 それに加えて大陸からの帰還兵を慰撫する施設としても活用する為、竣工時期は前倒しされ1993年の九月中に完成した。完成披露の初日は皇帝陛下と将軍殿下も臨席の上で公演が行われ、大陸からの帰還兵は無料で招待されている。

 私的名目で悠陽が観覧しているのは、同席している将兵に対して労いの気持ちを表すのはもちろんとして、現在のような情勢下では娯楽要素の含まれる行事を、自主規制する風潮が生まれかねないので、日本帝国は次代にあっても音楽を含む文化の振興をし続けると示す為でもある。

 こういう一見正論に聞こえる事を声の大きな人間が言い立てると、前線の兵士に対する罪悪感から多数意見ではなくとも主流になってしまう危険性が有り、それを防止する為に悠陽は様々な文化行事に出席する事で、主催者には大義名分を、参加者には免罪符を与えている。

 他と違い音楽には軍歌が有るので、その物自体をどうこう言われる事は少ないが、逆に士気高揚に繋がる曲に限定すべきだとする意見は出易い。しかし、前線の兵士が求めるのは勇ましい曲ではなく、悲しい曲や故郷を懐かしんで泣けるような曲で、帰還兵が求めるのは寂しい曲や穏やかな曲だ。

(苦しい時こそ心の安寧が第一ってのは、俺にも言えるわけか)

 強張った心を揉み解してくれるような演奏を聴きながら、武はしみじみと思った。考えてみれば桜花作戦の数日後にこの世界に転移して来て、それから休みなしで未来を変える為に奔走していたのだから、武の精神状態が大陸からの帰還兵と大差なくても不思議はない。

(二人に感謝しないとな)

 何故か悠陽の隣に武の席が取ってあった事からして、根を詰め過ぎている武を休息させる為に、傍仕えの件は悠陽と真耶が計ったのだろう。傍仕えが最後の盾であることは確かだが、基本的には秘書的役割が主で護衛は他にも居るので、二人の意を酌んだ武は演奏に聴き入る事にした。

「生で聴くのは初めてですけど、なんと言うかスゴイですね」

 オーケストラの演奏なんて日曜日にテレビで見かける程度で、それもチャンネルを直に変えていた武だったが、コンサートホールで聴けば流石に迫力が違う。御剣財閥の絡みでも何度か演奏を聞いた気もするが、落ち着いて聴いていられない状況ばかりだったのでノーカウントだ。

「強引だったかと気を揉んで居ましたので、安堵いたしました」

 二人が座っている場所は周囲から離れた貴賓席なので、演奏の合間に小声で会話する程度は問題ない。武の感想は表現力に乏しい素人らしいものだったが、それでも感謝の気持ちは十分に伝わったようで、悠陽は安心したように微笑んだ。

「最近は行き詰まり気味でしたから、良い気分転換になりました」
「そうでしたか、それならば何よりです」

 その後は悠陽があれこれと演奏の合間に武に解説して、普段ならこの手の高尚な話は勘弁して欲しいと思う武だが、聴く直前直後に分かり易く話されれば興味を持って聞ける。つまり並んで座って歓談しながら演奏を聴いているのだが、状況がデート同然とは思い至らないのが武だ。

 両者の想いに若干のズレは有れども、二人は楽しい時を過ごし全ての演奏が終了した。今後の予定としては公演を行った楽団の指揮者とその家族が挨拶に来て、暫し悠陽と歓談する事になっている。



 余韻を味わい終わった頃合に、護衛が伊隅夫妻を先導して来た。

「伊隅一家をお連れしました」

 夫妻に付いて来たのは娘のやよいで、武の方は想定していたが。

「武君っ!? ……失礼しました」

 無理もないが、やよいの方は完全に予想外だったようだ。

「構いません。武殿、お知り合いでしょうか?」
「はい。帝国大学初等部に在学中、お世話になりました」

 態々振り返ってから問う悠陽に対して、武は気軽に答えた。

「そうでしたか……。武殿に助力して下さったのならば、わたくしからも礼を言うべきですね。感謝致します」

「いいえ、とんでもございません」

 悠陽が丁寧に礼を言ったので、やよいは恐縮しきりだ。そして会話が途切れた所で、やよいの父親が助け舟を出すように口上を述べる。

「この度は煌武院様に御臨席戴き――」

 それから家族の事を簡単に紹介すると、悠陽とクラシック談義を交わして歓談は無事に終了した。



 伊隅一家が退席した後、悠陽は目を伏せて呟く。

「わたくしは未熟者です……」

 そして何かを振り切るように目を開けた。

「わたくしは暫し休んでおります故、武殿は久方振りに再会した様子の方と、旧交を温めて来られては如何でしょう?」

 逡巡した武だが、悠陽が先の対応を後悔しているようなので頷いた。

「……すみません。直に戻ります」
「急がずとも、よいのです」

 その言葉に反して悠陽の声は寂しげだった。


1993年10月5日 京都コンサートホール エントランスホール


 武が伊隅一家に追い付いたところ、夫妻は気を使ったのか会釈だけして立ち去り、やよいとはエントランスホールのソファーで話す事になった。

「挨拶もなく帝大を辞めてしまい、すいませんでした」

 事前に予告できる状況になかったとはいえ、世話になって置いて無言で去った事は謝罪すべきだ。

「いいのよ。ちゃんと言付けは受け取ったわ」

 そう言いつつも、やよいが苦笑しているところを見ると、どうも左近本人が伝えに行ったようだ。その際に左近がどんな振る舞いをしたのかは想像に難くない、武は普通の相手への使いとしては人選を誤ったかと後悔した。

「その、他に伝言を頼める人がいなかったもので……」
「ふふっ、いろいろ……有ったみたいね。任官おめでとうございます」

 武の年齢で任官は志願意外に有り得ない――武は志願年齢にも達していないが――ので、やよいは祝いの言葉を述べながらも複雑そうだ。

「ありがとうございます。そちらの皆さんは変わりありませんか?」

 やよいの妹は前の世界で散々世話になった上官なので、武としても近況は気になる。

「ええ、お蔭様で家族はみんな元気よ。そうそう、妹の誕生日が13日で簡単なホームパーティーを開くのだけれど、良かったら武君も来てくれないかしら? 妹達に武君の話をしたら興味を持ってしまって」

 興味云々の理由も嘘ではないのだろうが、やよいは武の事を心配して誘っていると思われる。

「残念ですが、数日後から長期の任務が有るので行けません」

 武としても息抜きの重要性を実感したばかりだし、現在のみちるに会って見たい気持ちも有るのだが、13日では既に技術廠へ出向している。

「……そう、残念ね」

 誕生会の誘いを断っただけにしては、やよいの表情がやけに暗くなったのを見て、武は誤解させてしまった可能性に思い至った。任務内容は言えないにしても、この誤解は解いて置くべきだろう。

「えーと、国内の任務です」

 やよいは明らかにホッとした様子なので、やはり誤解していたらしい。

 帝国は九-六作戦での被害を受けて、大陸派遣軍の再編成を実行中だ。この演奏会からして帰還兵の慰撫が目的であり、少し考えれば帰還した人数分は新たに出征する人間が必要だと察せられる。この状況で長期任務と言えば、大陸への出征だと誤解されても仕方ない。

(周りに気を使われてばかりだ。そんなにオレって疲れて見えるのかな?)

 そして悠陽が気がかりになって来た武は、話を切り上げる事にした。

「それでは、また機会があれば誘って下さい」
「ええ、またね」

 武が一礼して言うと、やよいも察したのか明るく送り出してくれた。


1993年10月5日 京都 煌武院の屋敷 悠陽の居室前


 武は貴賓席で待っていた悠陽と合流して、その後の予定を消化してから煌武院の屋敷に戻って来たのだが、アレ以降の悠陽は精彩を欠いているように見える。

(真耶さんだったら上手く慰められるんだろうけど……)

 そして武は悩みながらも良案が浮かばず、終点である悠陽の居室前に着いてしまった。

「本日も傍仕えの任、大儀でありました」

 僅かに寂しさの滲む微笑みを浮かべながらも、自分に労いの言葉をかけてくれる悠陽の姿を見て、どうせ器用な真似など出来ないのだからと、武は直球勝負に出る事にした。

「悠陽様に気掛かりがあるのならば、なんでも言ってください」

 悠陽は唐突な申し出に驚いたようだが、熟考してから意外な質問を口にする。

「……武殿は、齢幾つになりましょうか?」

 こうして神妙に尋ねる以上、肉体年齢の事ではないだろう。

「年齢ですか……。正直なところ、自分でもハッキリしないんですよ」

 武は苦笑しながらも、なるべく誠実に思いを打ち明けた。

「主観時間では23年近く生きてる計算になりますけど、前の世界では同期と同い年のつもりでいましたし、特別に意識しない限りは先任の事も年上だと認識していました。現在は自分を9歳だと思ってる訳ではありませんが、かと言って二十歳を超えた実感もないので、精神年齢は18歳辺りで止まってるような気がします」

 年月分の成長をしていないようで情けないが、偽らざる本音である。

「……ではっ! わたくしが武殿に追い着く事が叶うのですね!」

 その意味を理解したらしい悠陽は一転して顔を綻ばせる。

「むしろ追い抜かれそうな気がします」
「ふふ、武殿と同い年と成れば十分ですよ」

 何はともあれ、武は悠陽の翳りを拭う事に成功したようだ。

「時に武殿、今後は軽々しく“なんでも”等とは仰らないで下さいね?」
「いや、あの……わかりました」

 交友関係で進退窮まる事態に遭遇すると、気軽に『なんでも言う事を聞く』を使ってしまう武だが、妙な迫力を醸し出す悠陽に気圧されたのと、似たような注意を以前にも誰かにされたような気がして、理由は判然としないないながらも素直に頷いた。


>>唯依:Side<<


 唯依は京都駅の六番線乗り場で舞鶴からの電車を待っていた。他にも出征から生還した将兵を出迎えようと、それぞれの家族が大勢詰め掛けている。しかし、場の雰囲気は喜び一色とは言えぬ複雑なものに成らざる得ない。

 中には紙切れ一枚の死亡通知では納得し切れず、この場に一縷の望みをかけて来ている人もいるのだ。その人々の切迫した顔を目にしてしまえば、いかに嬉しくとも浮かれる気には成れない。

 やがて目当ての電車が到着し、唯依の待ち人が降りてきた。


――叔父様っ! ……お帰りなさい。


続く

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
更新お疲れ様です (tak)
2009-10-20 16:33:07
次回も楽しみにしてます。
変にプレッシャーをお掛けするつもりは無いので、マイペースでお願いします。
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Unknown (鹿)
2009-10-20 17:43:19
応援ありがとうございます。
マイペースで頑張りますね。
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