桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

道後温泉に

2013-05-26 | Weblog
明日の富山入りを考えて、今日はどこに泊まろうかと考えたが、たまたま一緒に集会に参加していて志布志事件の川畑さんが、松山空港から帰るために車で送って貰うと聞いていたので、俺も同乗して松山の道後温泉へ行って休養することにした。
高知を出て、高知白バイ事件の片岡さんの故郷、仁淀川町を通り、松山市へ行くのだが、途中、昨日の集会を取材に来たライターと会い、昼を食べながら片岡さんは取材。その後、片岡さんの家へ。そして、奥さんも同行して松山に向かった。先月の巡礼で歩いた久万高原町などを通って道後温泉に着いたのは、午後4時前だった。
宿を決めていなかったので、無料案内所へ。
プリンスホテルになってパンフレットを見れば、巡礼道で通った場所にあった。すぐに来た送迎巡回バスに乗り、行って温泉!
食事をして、久しぶりに野球を見て、寝たが、そう熟睡は出来なかった感じだ。時差ボケがあるのかないのか判らないが、北松戸に荷物を置いて高知へ移動するとき、携帯充電器は忘れる、岸和田で俺が行くのを待ってくれている可愛い女の子にハガキを書く予定の住所を書いたモノは忘れる、これが時差ボケかも知れないなぁ。

高知城

2013-05-25 | Weblog








今日は予定なし。
川畑さんと一緒に高知城を見学に行った。
高知城は国宝らしく、大手門前に石碑があった。
どこの城も同じように石段を上がり、天守閣へ行くが、高知城の石段も、かなり多くて、しかも右に行くのか、真っ直ぐなのか、左手なのかが判らない感じになる場所があった。更に、ここが天守閣への場所と思う場所には、道を塞ぐように建物があって、内部に入ると廊下になり、武者が侵入した敵と対峙出来るようになっていた。完全に戦う城だ。
天守閣の木造も、かなり古くま滅していて、階上に昇る階段は狭くて急。歩くのに恐々としている人が、沢山いた。
天守閣階上から、まず悪党の巣、県警本部(中央の色の濃い建物)方面と、その反対方面を撮影した。
回廊は、2人が同じに歩くのは困難なくらいに狭かった。

さすがに眠かった

2013-05-25 | Weblog
昨夜は、午後9時ころからの懇親会だった。
久しぶりの日本料理は、どれもが美味くて、改めて日本はいいと思った。
高知の懇親会は、それぞれに盛り上がるだけで、誰かが仕切って挨拶したりや話したりがないので気楽に飲むだけ。俺は、わざわざ松山市から来た冤罪体験者の中村さんご夫婦に囲まれ、弁護団の坂本先生と話して飲んだ。
中村さんは2度の冤罪逮捕体験があり、20日間ほどだったが、それでも自殺を考えたこともあると、ご夫婦ともに語っておられた。冤罪は、長い短いもなく、人の人生を深く傷付けるのだ。
11時の閉店まで飲み、二次会も誘われたが、とても無理。ホテルに帰って爆睡だった。

高知

2013-05-25 | Weblog

高知への移動便は、午後2時半辺りと思っていたが、行ったらば、1時55分だった。まあ間にあったから良いけど、俺はドジだなぁ。
高知空港には、片岡さんと孫を抱いた息子さん、川畑さんも迎えに来てくれた。高知白バイ事件は、なかなか地元のマスコミが動かない問題がある。何しろ、警察のでっち上げ事件だから、真実を報道することは警察と全面対決となる。マスコミとして踏ん切れないのかも知れないが、この度、バスのスリップ痕の写真解析鑑定を行った千葉大学名誉教授三宅先生は、警察側の鑑定者として活動されていた第一人者だ。最早、警察が、片岡さんを被告人とし、白バイに責任がないとするために、バスが動いていたようにスリップ痕を捏造したことは動かない事実として解明された。これでマスコミが正しく報道しないのであれば、マスコミは警察の共犯者と言うことになろう。
集会者は、やや少なくて80名くらいだったのが残念だったが、中学生たちを乗せた片岡さんのバスの後ろから自家用車で付いていた、元校長先生も参加してくれていて「誰が、何と言ってもバスは止まっていた。裁判で有罪になったときは、こんなことがあるのかと愕然とした。何時でも、どこへでも行って、私は真実を話す」と、参加者の前で語られたのには感動した。三宅先生の鑑定事実が会場のスクリーンに映像で紹介されて、バスのスリップ痕は「タイヤのゴムが全く残っていない、液体を塗り付けたでっち上げであり、片岡さんがバスに乗った形の見分写真などには、切り貼りした改ざんも存在する、インチキ写真である」ことが、本当に良く判った。
高知白バイ事件は、必ず勝つ。そのときは、更に警察と検察が、その存在価値を問われる日になるだろう。その確信を深めた集会だった。

無事に帰国

2013-05-24 | Weblog

チューリッヒ空港でブログを書き、メールをやっていたらば、また発受信が出来なくなった。
昨日の午後、チューリッヒ空港を発って成田までの11時間半余り。正直に疲れた。
行きのルフトハンザと食事が違うとは聞いていたが、ハッキリ「マズイ」と言える食事が出た。あれでは経営危機も当然だな。
日本時間に合わせて寝ようとしたが、それもウトウトしたのみだった。
何とか無事に帰国出来てホッとした。
次の外国は、果たして、どこにやりますか。

帰路

2013-05-24 | Weblog


今朝は5時半にモーニングコール。
事前の話では、ホテル側が用意したサンドイッチ程度を食べて出発だったが、朝食を準備してくれ、何時もと同じに食べられた。
俺のサンドイッチは苦手。持参したカップ麺を食べ、フルーツと牛乳だった。
ホテル出発は7時過ぎ。大した混雑もなく空港に着き、ツアーコンダクターの宮村さんの手引きでチェックイン手続きをしたが、自動の、そのやり方が面倒で大変だった。
ジュネーブ空港からチューリッヒ空港までは1時間程度。アッという間に到着し、今、乗り継ぎゲートで時間待ちだ。
こうして委員会に傍聴に来て、それがどんな成果になるかと言われれば答えはない。だが、あの日本政府の「憲法が拷問を禁止しているから拷問はない。この法律があるから大丈夫」と、白々しく答える内容を聞くと言うのは、絶対に無駄ではないと確信出来る。
この前、誰かが言っていたが、どのような勧告があろうとも、実際に日本の司法を変えるのは日本人自身だ。帰国して頑張るしかない。

ラストナイト

2013-05-23 | Weblog

昨夜は、ニヨン最後の夜。参加者一同の反省食事会だったが、団長以下、幹部5名が、ジュネーブ駅まで飲み屋に入り、20分弱の遅刻。
これもエピソードだった。上田大使のシャラップ発言があって、最後の食事会も盛り上がったが、レマン湖対岸の街に射し込む夕陽が、1つ場所を輝かせて、実に綺麗だった。
驚くのは、この光景は午後8時45分過ぎだということ。ヨーロッパは、夜が長い。

日本審査

2013-05-23 | Weblog
ニヨン市内を連れ合いと歩いた後、ジュネーブ駅まで行き、買い物をし、それからパレ・ウィルソンに行った。
パレ・ウィルの守衛は、俺がパスポートを出したらば「OK、アイ、リメンバンー、ユウ」と言う。覚えられたようだ。
日本審査は3時から。
法務省、警察庁、外務省の順に回答していったが、言われたことを理解していないと言うか、全く世界の常識を理解しない回答ばかりで呆れてしまった。
日本の回答を録音して来たので、帰国後に、その馬鹿さ加減を披露するつもりだが、日本政府の馬鹿さ加減を示すエピソードが上田大使の発言だった。
拷問禁止条約委員会の委員が、日本の回答に対して再質問し、「日本の取り調べの在り方は中世的だ」と、かなり鋭く指摘した。我々は、よし!と喜んだが、上田大使は面白くなかったらしい。最後の発言で、「日本は世界の先進的な近代国家だ!」と、大声で反論した。
もちろん、我々は大使の激怒と反論の馬鹿馬鹿しさに笑ったところ、「シャラップ!」と2度も叫んだのだ。公式会場で、こともあろうに大使たる者が、感情を露にしてシャラップと叫ぶとは、中世的なのは司法だけではなくて国家そのものだと、上田大使は暴露してしまったねぇ。
最後の最後に上田大使がシャラップと叫んだのを聞いて、今回の傍聴に参加した意味があった。
散会後、大使たちと一緒に部屋を出て、「上田さん、日本は中世的ではないですよね。世界に較べて30年くらい遅れているだけですよね」と言ってあげようとしたらば、同行者に止められてしまった。残念!
我々が玄関広場に揃ったとき、最後に来た女性代表が携帯カメラを構えて俺たちを撮影するような態勢をしたので「誰を撮ってんの?」と聞いたらば、「彫刻を撮りたいが、逆光で」とか言ってた。「権力は監視が好きだからねぇ」と言ったらば真っ赤になっていたけど、「ポーズを取りましょうか?」とでも言えば良かったなぁ。上田大使並みの反応になってしまった、と反省。

原因不明

2013-05-23 | Weblog
この前のネパールでもだったが、突然に圏外表示になり、携帯が使えなくなった。仕方なく、発信予約にしておくだけにブログを書いていたが、今朝、起きたらば、また携帯が通じるようになっていた。
ただ、溜まっていた60通のメールは、俺のミスで消えてしまった。
ジュネーブに来ても、訳の判らない迷惑メールは順調に届いていたので、その過半数は迷惑メールだと思うが、もしメールを送ってくださった方がいたらば、ごめんなさい!

ニヨン散策

2013-05-23 | Weblog
同行の皆さんは、ジュネーブ旧市内見学組と、鈴木弁護士推薦の山組とに別れて行ったが、俺たちは市内散策をした。
ニヨン市街は狭いから、すぐに周回が終わってしまうが、店を見学したり、土産を探したりで、結構、時間を食った。
最後はニヨン城。前回は無料だったのに、今回は8フランの入場料だったが、まあ維持費には仕方ないか。城内は、かなり改修されて小綺麗になっていた。でも、その分、荒々しさは消えて、何となく物足りなかった。
あぁ綺麗になって物足りないと、最上階に入って衝撃。旧牢獄跡には、明らかに拷問によって残されたことが明らかな血飛沫が、何ヵ所にも残っていた。前回は、ここは見られなかった。いゃあ生身の痛みを直接に触れるのは衝撃だ。
人の歴史は無残なものが多い。
昼飯は、結局、店に入らないでホテルでカップ麺。ニヨンでのカップ麺な、なかなかだった。