桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

何時も通り

2012-06-25 | Weblog
私のブログを見てくださる人は、結構いるみたいで、それぞれの皆さんが色々な視点で見てくださっている。
今、そのおひとりから「東海原発に勤務する加害者と書かれている。これは問題では」と、ご指摘があった。
何時も通りの誤変換。
俺の携帯は「かが」と入れるだけで、「加害者、科学的、科学、鏡、加賀、価額、科学者、輝き、輝く香川県、課外、化学」など、ずらりと候補文字が表示される。昨日、「かが」で選択した文字が「加害者」だからトップに掲示されているが、そそっかしい俺は、ときどき選択ミスをする。
昨夜は、きっと科学者と加害者が並んで表示されていて、俺が何時も通りに間違って選択したものだ。
でも、加害者って表現も、意外とありだよね。原子量産業に勤務する以上、加害者になり得る。まあ、私の話を聞きに来たり、救援会に集う意識の方は、加害者ではあり得ないが。
何時も通りの書き間違いからでした。

救援会取手支部

2012-06-24 | Weblog
布川事件を支援する会を基にして誕生した、救援会取手支部は、その後、確実に歩みを進めて、今日は総会だった。
俺の話があると宣伝したらしくて、それが目的の人も来たが、30名。
大成功の総会だった。
利根町から来てくれた人もあったが、桜井の本を出せ、ライブをやれ、と言ってくれる方があって、少なくとも、今日の話から響くモノを得てくれた方がいたと知ったのが、大変に嬉しかった。

一昨日

2012-06-24 | Weblog
東海村で名張事件学習会があった。
あの決定後に地元の名古屋で流されたテレビ番組を見た後、名張決定に付いて、救援会神奈川県本部の人から科学的な解説をして貰った。
専門家特有の欠点で、数式を並べての解説は、俺には理解出来なかったが、東海原発に勤務する科学者たちには理解し易かったらしくて、大好評だった。
俺が声を掛けて来て貰ったので、本当に良かった。

五箇村

2012-06-24 | Weblog



先日の富山行きのとき、白川郷に連なる世界遺産の合掌造りの村、相倉に行った。
福井女子中殺し事件の冤罪仲間、前川さんの入院する病院に面会に行ったが、すでに退院していた。
では、折角なので見学となったらば、その近くに相倉があった。
トンネルがなければ、とても行く気にならない場所は、さすがに平家落人の棲家だった。
写真は、川畑さんや合掌造り内の菅家さん。

国賠支援組織

2012-06-24 | Weblog
支援組織を立ち上げる準備会が、昨日、開かれた。
他の事件を支援する人たちが4名。布川を支援してくれた人が5名。それに救援会から1名。合計10名で、今後への思いを語り、どうすべきかを話し合いした。
提訴地が茨城となった場合、地元に支援の中心になってもらい、東京はサポート的存在になるとの提案があって、弁護団の進展と合わせて支援組織も立ち上げを進め、提案と同時に正式発足にとなった。

さすが自衛隊

2012-06-23 | Weblog
自衛隊のイジメ自殺の国賠裁判で、国側の代理人をしていた三佐が、存在しないと否定した資料が「存在する、見た」と告発した。そして、自衛隊が、これまで「存在しないと言ったのは間違い」と認めた。
偉いねぇ、この三佐。
国を守る意識は、命を守る意識だ。そうでなくてはならないが、「行政が嘘を言ってはならない」と語ったらしい、この三佐の意識の気高さには敬意を表したい。
これは当たり前の話だが、残念ながら日本では当たり前ではない。国と言う国民の生きる手段が存在目的になってしまい、あたかも国の下に国民があるごとくに錯誤した輩は、国を守るために嘘を連発している。
変えなければならないよね、この三佐のような人たちを増やして。

城山

2012-06-22 | Weblog


じょうやま、と呼ぶ民宿は、すぐ前が海。海を眺める右手に突き出た岡があって、そこに古くに阿尾城があったことから、この民宿の名前になったらしい。
大友家持の歌に詠まれていることから、この城山は古くから知られた存在だとか。
民宿での写真は、菅家さん、柳原さん、川畑さん。
この舟盛りが美味かった!でも、俺は体調不良で、余り食べられず、飲めずで残念だった。

殺されるはずはない

2012-06-22 | Weblog
週刊誌の「橋下徹が殺される」という記事に、殺された方が、世のため、人のためと書いたらば、過激な言葉を案ずるメールを頂いた。
俺は記事を読まないで書いたが、実際に橋下が命を狙われていることを書いたとは思わなかった。
今も昔も日本で政治家が殺されるのは、権力に対峙して戦い、世の中を変えようとするとき、権力の金で生きている暴力組織が動いて犯行になった。
橋下徹は、君が代の強制はじめ、やることなすこと権力の覚えめでたいことばかり。命など、守られこそすれ、狙われるはずはない。チラリと週刊誌を立ち読みしたらば、案の定、橋下徹の将来を案じる記事。
やはり橋下先生は殺されるべきだと、政治家として死んで頂いた方が世のため、人のためだと思い重ねた。

風邪

2012-06-22 | Weblog
微熱を自覚しながら、水戸から富山に車で行き、帰って来た。
これで風邪が治るはずはなくて、氷見の夜への誘いも断って寝ていたが、昨夜も微熱の不快感を味わった。富山にいたときは、喉が痛くて声が出ず、話すのも苦しかった。今朝は、少しは楽になったが、まだ痰がひどいし、微熱がある。
ここまで悪い風邪は久しぶりだ。少しは休めのシグナルだろうな。
今週は、どうしても行かなくてはならない予定以外はキャンセルして休むことにする。

氷見事件国賠裁判

2012-06-20 | Weblog
今日は、午前11時から裁判だった。
民事と言うのは、刑事よりも裁判内の言葉のやり取りが専門的で、なかなか判り難いところがあったけど、女性裁判官の言葉は判り易くて、次回には文章開示命令を出すか、出さないかになると判った。
いよいよ、それから証人尋問となるらしい。
午後1時からは記者会見をした。テレビカメラ5台が並び、会場に一杯の記者だった。
こちらでも布川の国賠に付いては感心が高くて、色々と質問された。
記者会見後、弁護団会議になり、参加したが、警察の捜査の違法性を追及するのに充分なモノがあると判り、安心したし、俺の闘いの参考になった。