桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

2009-07-24 | Weblog
フェンスの材料を取りにいったらば、その会社の隣の山にある栗の木に、もうシッカリした毬が作られていた。
稲がなびく田には、早くも稲穂が出始めているし、秋は、確実に育ち始めている。
まだ本格的な夏にもなっていないが、どこを見るかで、明日を感じるか、感じないかがあるかもしれないね。
俺は、何時も物事を自分に都合良く考えて来た。悪いことがあったらば、その中にある肯定的な部分だけを見つめて来たのだが、それは自己中と紙一重になっているだろうし、これから勝利した後の自分の課題になりそうな気がしている。
そんなことを考えた栗だった。

暑気払い

2009-07-23 | Weblog
昨夜は、お茶の水のローズマリーと言うフランス料理店で食事会をした。
日大法医学部の押田教授と、教授を紹介してくれた岡崎佐和子さんを囲んで、岡崎さんの就職祝いを名目に楽しんだ。
このフランス料理店は、外国料理が苦手な俺が、唯一喜んで行く店で、総てが口に合う。この料理を食べて貰いたくて選んだが、生憎決めた日取りが定休日だったせいで、少人数では無理となり、割り勘要員で声を掛けて、総勢.16名の集いになった。
大崎事件のお願いで行き、大崎事件関係者が主催すべきなのに、なぜか布川関係者が中心の集まりになったが、皆さんからは楽しかった、ありがとうのメールが届いてホッとした。
人と人との繋がりこそが人生だが、俺はいい人生を歩んでいると、改めて感じた集いになった。

2009-07-23 | Weblog
東京へ行くために家を出て歩いていたらば、路上に蝉がいた。降っている霧雨に落とされたのか、触ってもジーィと、短く鳴いて微かに足を動かすだけじゃないだった。
このまま路上では踏まれて死ぬばかり。傍の石塀に移してあげた。
シャバに生まれ出て一週間の命。死ぬまでの月日は比較にならないにしても、全うさせたいよね。

週末

2009-07-21 | Weblog
週末は俺の時間。そう決めているから、なるべく予定を入れないでいる。でも、願う通りになることは、まず無くて、このところ休養になることが多い。
それはそれで疲れが蓄積した身体には嬉しいが、どうも俺は外出派みたいで家に落ち着いていられない。すぐに動き始める。
俺の未来は判ったね。どこかで倒れ、それでエンジンストップ!だな。
走り周り、走り続け、自分のやりたいことが、どこまでやれるか。楽しみなような、不安なような。
何時まで、週末を空けて過ごすかは判らないが、どっちにしろ、俺は俺らしくしか生きられないね。それも判ったなぁ。

獄友

2009-07-19 | Weblog
体験しなければ判らないことがある。
警察の取り調べ。これは酷いな。正義を旗印にしたりペテン師みたいな連中が揃っている。いや正義を旗印にした官制暴力団と言った方が正しいかも知れない。刑務所、これも酷い。職員自身が上意下達の階級社会で、上司の指示、命令には逆らえない社会になっているから、受刑者も絶対服従が原則だ。常住坐臥が指示、命令の生活は大変なんてものではない。
どっちも判らない人には、どうぞご体験下さいと言うしかない。
その体験を冤罪の立場でしてみると、同じ体験者は兄弟のような思いになる。
先日、足利事件の菅家さんに会って、話し合い、その兄弟的思いを感じた。
菅家さんは争いごとが嫌いな人らしく、話し相手に逆らうことがない。まずは相手に同調の相次ぎ相槌を打ち、それから話し始めるのだ。ときには、もっと自分の言葉を喋れよ!と苛立たしい思いになったりするが、その穏やかな人柄といると、同じ体験をした仲間だと嬉しい思いになった。
菅家さんは劇的な社会復帰を果し、社会に帰っても大変なことが多いようだ。お金も自分で自由に使えないと聞いて呆れたが、一日も早く俺たちのように自由な日々を過ごして欲しいものだと、会うたびに思う。
昨夜は、初めての北海道から楽し気な電話があったが、俺の思いを語り合える大事な獄友だなと思った。

布川事件シンポジウム

2009-07-19 | Weblog
昨年に続き、布川事件弁護団が中心になってシンポジウムを開いた。
メインは成城大学の指宿信教授の基調報告。可視化問題だったが、先生は、ただ単に捜査過程を明らかにすることだけが可視化なのでは無くて、自白の内容から過程まで、総てが明らかなになることが可視化なのだと語られた。
足利事件の笹森弁護士、福井女子中学生殺人事件の吉村弁護士、布川事件からは福富弁護士を交えてのパネルディスカッション。
それぞれに検察庁の酷い証拠隠しにあっていることから、その体験からの思いを語られたが、日本の裁判体系は、余りにも検察庁の勝手が過ぎる。
証拠開示を含めて法体系の不備が言われたが、それとともに、証拠を改ざんしたり、でっち上げたらば犯罪とし、証拠を隠すような不正を行っても犯罪として裁く法律の制定が必要だったと、改めて思った。

友人

2009-07-19 | Weblog
俺は長い月日を塀の中で過ごしたせいで、古い友人は少ない。そもそも人様の信頼を得られるような生き方をしていなかったから、塀の中で生きた月日に関係無く、友人は少なくて当然なのだ。
今、友人と呼べる人は、シャバに帰った後に知り合った人たちばかりだ。色々なの人たちの中には若い女性もいて、先日、久し振りに一杯やった。
地元茨城の支援者の娘たちである若い友人は、何時もストレートに言葉をくれる。今度も辛辣な批判をされたが、だからと言って悪意の欠片も感じないし、それはそれで若い感性からの思いを知ることは、忘れているものを思い出させてくれたり、何時も楽しく時間を過ごせる。
彼女たちがどう思っているのかは知らないが、次は納涼をしようとメールがあった。

布川事件シンポジウム

2009-07-17 | Weblog
昨日は、最高裁要請日とシンポジウムが重なり、一日大変だった。
最高裁西門での宣伝が8時15分から。それに間に合わせるには5時半には動きださなくてはならない。
シンポジウムがあるために背広も持ったが、家を出た瞬間に後悔した。早朝にも関わらず、すでに熱気が満ちていてバス停に着いたときには汗が流れていた。
成田線の直通に乗り、我孫子駅からは大手町までの千代田線に乗り換えて座って行った。
何とか8時過ぎに西門に行き着くと、すでに宣伝カーは来ていて幟旗の準備をしていた。朝日は焼くように強くて、吹き抜けていく風にも暑さを感じる中、総勢10名での宣伝行動だったが、太陽の直射を受けながらマイクを持っていたらば、汗が滲み出て来て、途中でフラフラした。一度、水を飲んでマイクを譲った他は、最後まで話し続けた。9時までの宣伝後、何時も行く若い女性店員も感じが良い健康食品店で朝飯。それから事務所に戻り、手紙を書き、今度は有楽町マリオン前での昼休み宣伝。
これも暑かったぁ!
じっとしていても暑さを感じる中、今度は、総勢15名に増えての宣伝、ビラ配り。
この有楽町マリオン前も難物、無関心の固まりが通り過ぎて行き、ひどいときには1~2枚しか渡せないときもある。でも、何時もは夕方。通勤者が相手。昨日は昼間で通る人達が違うせいか、マイクを握っている時間以外の30分くらいで10枚くらいは受け取って貰えた。
午後1時に終わり、昼御飯。それから午後2時からの最高裁要請での移動だったが、20名の参加者があり、定員を3名オーバーだった。
それぞれに思いを込めて早期の判断を願う思いを話したが、俺は夏を越えない前に出して欲しいと一言。
3時前に終わって、今度はシンポジウムの打ち合わせで日弁連へ移動した。
最高裁から堀端を歩いて行ったが、歩くたびに汗が流れ、身体がベタベタして気持ち悪くっていた。
4時半から打ち合わせ。
会場に行ったのは5時15過ぎだったが、菅家さんが取材を受けていたのに加わり、ひとしきり撮影取材ななった後、会場へ。
今日は会場の席に座っての発言が主で、一度、舞台に上がった挨拶をしただけだったから楽だった。
総ての予定が終わった8時45分ころには、かなり疲れを感じたので、打ち上げには参加しないで帰ろうとしたが、予約してあるからダメ!とのこと。ならばと行ったが、日生劇場ど帝国劇場を勘違いして、先生方を歩かせてしまった。
楽しく飲んで語って、帰宅さしたのは最終電車。風呂に入って寝たのは、もうとっくに今日になった午前1時過ぎだったが、風呂に入れる幸せを感じながら、疲労の中で一気に爆睡した。自分にお疲れさま!だった。

一周年

2009-07-15 | Weblog
昨日で高裁決定から一年になった。
難癖としか思えない検察庁の特別抗告で、その中身のない主張から考えて、いくら最高裁でも一年以内には判断を下すだろうと思っていた。しかし、最高裁は、未だに判断を示さない。どうやら俺が考えている以上に検察庁の力は強いのかも知れない。
この特別抗告が弁護側のものであれば。とっくの昔に棄却され、第三次再審を考えてることだろう。自白しか証拠が示されない事件で、自白テープが改ざんされていた。こんな決定的な反証はない。なのに検察庁は、自白は正しいとして、あれこれの言葉を並べ立て、ゆえに桜井て杉山は犯人だと繰り返す。その並べ立てた言葉が、最終的には取り消されたり、訂正されていても、そんなことはお構い無しだ。
こんな抗告でさえも、延々と判断を重ねるのは、最高裁の判事たちが裁判官としての体をなしていないか、検察庁の力が強くて、いかに理不尽な主張でも慎重にしなければならないか、どちらかだろう。
どっちにしても冤罪に苦しむ者には切ない話だね。