桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

納骨

2016-01-15 | Weblog
千葉刑務所仲間にも色々な人がいた。
これならば人を殺すだろうと感じる人がいれば、なぜ?と感じる人もいた。
俺が行ったときの千葉刑務所は初犯者の入る刑務所だったから、ほとんどの人は「きっと人生をやり直すだろう」と思える人ばかりだった。でも、信頼出来るかとなれば、そう感じる人は、そう多くはなかった。
その中で新井清明さんは信頼出来る、何人かの独りだった。
かなり有名な殺人事件の犯人だったが、「俺、酒を飲んで薬も飲んでたから記憶がないんだよ。確かに、朝起きたらば手などが血だらけだったし、殺したと思うが、覚えてない。覚えてないから、悪いけど罪の意識もないんだよなぁ」と言っていた。
その罪の意識の無さが反省の無さと思われてか、1審が死刑、2審で無期懲役になって千葉刑務所で一緒になった。
新井さん(俺はセイちゃんと読んでいた)とは10年ほど、一緒の工場にいたが、彼は感情的になることがなかった。何時も冷静、平静。仲間に喧嘩を売られても買うことはなく、自分から進んで「仕事をしません」とか言って懲罰に行ってしまい、両成敗になる喧嘩を回避していた。他人の足を引っ張ったり、自分だけは良い思いをしようとする仲間が多い中で、このセイちゃんの行動は驚くばかりだった。「なぜ、自分だけ懲罰に行ってしまうの?」と聞いたことがあったけど、「トラブルは嫌いだし、相手の家族などを思うと喧嘩して懲罰に出来ないと思う」などと言っていた。
そんな彼も、対職員となれば違う。意地の悪い職員に嫌がらせなどをされようモノならば、「殴りますよ!」と宣言して殴ってしまう。身体にイタズラ書きをしてるヤクザさんでも、社会に帰る時期を左右する職員には、へいこらする人が多いのに、セイちゃんは特別だった。
社会に帰った後、それなりに付き合いを続けたが、彼には欠点が2つあった。
1つは異常な薬好き。
何しろ、刑務所にいたときには「3日後の頭痛薬」を貰うし、飲める薬ならば、何でも貰って飲んでいた。社会に帰っても、それは変わらなくて、薬に身体が蝕まれて逝ってしまった。
2つ目は意志の弱さだ。
セイちゃんは芸術の才能を持っていた。詩や俳句を書いても、彼の視点はカミソリで描き取るような鋭さがあった。絵を描いても見事だった。でも、その才能を育てる継続した努力をする意志力がなかった。
昨年、亡くなったときは、身寄りの無い彼の荷物を整理したが、1年が過ぎて、誰も身寄りが出て来ないと言うことで福祉事務所から遺骨が戻された。
俺は、自分の任務は終わったと思い、納骨まではやる気持ちが無かったけども、新井さんのデイケア仲間から「代金は半額出します。納骨したいので協力してください」と言って来た。
そこまで言う人がいるならば、これもセイちゃんとの縁。引き受けて、今日、納骨して来た。
墓を開いて、並んだ母親、祖母の骨壷と一緒になるのを見たらば「良かったなぁ」の思いが湧いて来た。
セイちゃん、安らかに眠ってな。
この絵は、セイちゃんの水彩画。仮釈放で出て来たとき、プレゼントでくれた作品だ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿