桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

我孫子市議会

2021-08-30 | Weblog
今日は我孫子市議会に行って来た。
この9月議会で再審法の改正決議をして頂けることになり、支援して頂いている松島さんの案内で、全会派の議員さんに挨拶して請願の提出書面に署名して頂いた。
布川事件の守る会で代表世話人として力を貸してくださった松島さんは、もう我孫子市議を10期以上も務める長老だ。市長の信頼も厚くて、今日も副市長とともに会ってくれた。
松島さんに言われたら誰も断れないよ❗️と語る議員さんもいたが、本当に有り難い限りだ。
提出した今日、既に全会一致が決まったようなものだが、俺の闘いは、実に人様の支援に恵まれていると、今日も、ただただ感謝だった。

ある想い出

2021-08-30 | Weblog
俺が、これまでに占いを3度したことがある。
18歳のときが最初で最後は、この5月だ。俺は、何でも、すぐに忘れてしまうから、この5月に龍ヶ崎で観て貰ったときは、かなり良いことを言われたが、良く覚えていない。でも11年ほど前の下関での占いは覚えている、
何しろ「あなたは死なない。飛行機事故があっても助かる」と言われたのだから。
ホントかよ❗️と思って、俺は近く入る刑事補償金のことを聞いた「近く大金が入るはずなんですけど❓️」と。占い師は馬鹿にしたように俺を見て返事もしなかった。それで死なないと言われてもね。
そんな占い体験だが、最初の占い師には、もう1度会いたい、観て貰いたいと思う。
もう56年ほど前のことになる。布川事件の犯人にされる前のことだが、親しくしていた同級生がボイラーマン見習いとなり、銀座の平和生命ビルに勤めた。
何度か遊びに行っていたが、ある夜勤のときに行って、彼と一緒に泊まったことがある。
その平和生命ビルの脇には、何時も年齢の行ったオバサンが占いをしていた。
占いは嫌いではない。当たるも八卦当たらぬも八卦。何かを示されても、それが決定ではないし、そうなんだ❗️と楽しむような気分になれるのが面白い。でも、金を払ってまで、見て貰うものではないと思っているが、その夜は占い師の前に座った。
漢字は忘れたが、ア、オウ、レイコウという名前の占い師だった。
当時、付き合っていた彼女との将来、俺の将来を見て貰ったと思うが、なぜか占い師が狼狽えたように言葉を飲み込んだことが、何度かあった。そして言った俺の将来の適職は「木工関係」だった。
布川事件は玉村象天さんが殺された事件だが、玉村さんは蔵前高専を卒業して知識や能力があったのだろう、ちょっとした大工仕事を引き受けながら生活し、闇で金貸しもしていたそうだ。
あのときに、あの占い師は、何を見て言葉を言い淀み、狼狽えたのだろうか。
それから2年ほど後、俺は大工殺し事件と言われた玉村さん殺しの犯人にされて29年を塀の中に過ごすことになる。更には再審無罪、国賠裁判勝利はじめ、冤罪との闘いの中でドラマチックな人生を過ごした俺だが、あの占い師が、あのときに何を観たのか、改めて聞いてみたい気持ちになってる。