社会の問題が発生したとき、その問題に向き合う人の構成比率が1対3対6らしい。
たとえば、秘密保護法や自衛隊が海外に出て行く法律が作られたたとき、また刑事訴訟法が改悪されたとき、その問題性を理解して行動する人と推進する人、それに傍観する人たちの比率だ。
残念ながら、どれらの法律も成立してしまい、日本は統制と管理が強化され、忖度などと言われる言葉が幅をきかせる、あやふやな国になり始めた。
今、共謀罪が作られようとしといるときも「私は真面目に生きているし、警察が盗聴しようが、何も困らない」などと思う人、その人たちが6にあたるようで、残念ながら日本は傍観者が多い。
今、社会で起きている、沖縄の基地建設問題、原発再稼働問題など、日本と日本人の未来を決めたり、未来を危うくする問題も、何も感じない人たちはいるが、その問題を感じて行動する人たちを監視したり、言い掛かりを付けて逮捕しているのが警察だ。多分、傍観者は、その事実を知らないでいたり、見えないでいるのだろうが、見るべきもの、知るべきことに目を閉ざしていられることは哀れだろうか、それとも幸せだろうか。
人間は過去に学ぶべき存在だ。日本は世界を相手に戦争した過去を持っている。なぜ戦争が起きて、どのようなことをしたのか、たった70年前だ。それぞれの日本人は、悲惨な戦塵で苦しんだ先人たちの苦難を学び、誰もが平和に生きられる日本を作り、担う責任を背負っているはずだ。
人間は1人では生きられない。親、兄弟、家族、親戚、友人、知人、そして知らない人も含めて、今を生きる人たちは、総ての人が今の社会に責任を背負ってもいるはずだ。今の日本にだけではない。未来の日本人に平和で道理と真理の通用する日本を残す責任をも背負っている。
あの戦争当時、戦争を推進した「3」に位置する人たちは治安維持法を作った。「戦争に反対し、民主主義を唱える不逞の輩、共産党を取り締まるためで、一般の国民には関係ない法律だ」としてだ。しかし、治安維持法は死刑法律にまで改悪されて一般市民の弾圧を重ねて、多くの国民を苦しめた。
今、テロ等準備罪と称する共謀罪は、テロ取り締まりとは縁もゆかりもない、現代の治安維持法だ。しかも、法律を作る連中は、あの治安維持法が作られたときに「一般市民には関わりない」と語った言葉も同じにだ。
過去を学ばず、反省しない人や組織的は、必ず同じ過ちを犯す。治安維持法を使って国民を監視し・弾圧した警察は、その行いを責められることもなく、全く反省しないで存在し続けている。警察が共謀罪を持てば、必ず国民の生活に干渉して弾圧することは必然だ。
俺は冤罪を体験して社会の正義や真実を守るのは、警察や検察、裁判所などではない知った。平和や道理を守るのも、決して警察や検察、裁判所ではないし、政治家や財界人など、権力を持つ人たちでもない。冤罪を作るな、事実を尊重しろと声を上げる人たちが社会正義や真実を支えているように、人の命を守る平和を保て、人が平等に生きる道理ある社会を守れ!と声を上げる人たちこそ、この日本の平和や道理を支えているのだ。
だから、俺は、何があっても嘆かないし、諦めない。俺が冤罪を体験して目覚めたように、6割の怠惰な眠りも、何時か自らの天に放射能が降り、弾圧の拳が振り下ろされたときには目覚めるのだ。その日まで、俺が知る問題に声を上げ続けるだけだよ。
たとえば、秘密保護法や自衛隊が海外に出て行く法律が作られたたとき、また刑事訴訟法が改悪されたとき、その問題性を理解して行動する人と推進する人、それに傍観する人たちの比率だ。
残念ながら、どれらの法律も成立してしまい、日本は統制と管理が強化され、忖度などと言われる言葉が幅をきかせる、あやふやな国になり始めた。
今、共謀罪が作られようとしといるときも「私は真面目に生きているし、警察が盗聴しようが、何も困らない」などと思う人、その人たちが6にあたるようで、残念ながら日本は傍観者が多い。
今、社会で起きている、沖縄の基地建設問題、原発再稼働問題など、日本と日本人の未来を決めたり、未来を危うくする問題も、何も感じない人たちはいるが、その問題を感じて行動する人たちを監視したり、言い掛かりを付けて逮捕しているのが警察だ。多分、傍観者は、その事実を知らないでいたり、見えないでいるのだろうが、見るべきもの、知るべきことに目を閉ざしていられることは哀れだろうか、それとも幸せだろうか。
人間は過去に学ぶべき存在だ。日本は世界を相手に戦争した過去を持っている。なぜ戦争が起きて、どのようなことをしたのか、たった70年前だ。それぞれの日本人は、悲惨な戦塵で苦しんだ先人たちの苦難を学び、誰もが平和に生きられる日本を作り、担う責任を背負っているはずだ。
人間は1人では生きられない。親、兄弟、家族、親戚、友人、知人、そして知らない人も含めて、今を生きる人たちは、総ての人が今の社会に責任を背負ってもいるはずだ。今の日本にだけではない。未来の日本人に平和で道理と真理の通用する日本を残す責任をも背負っている。
あの戦争当時、戦争を推進した「3」に位置する人たちは治安維持法を作った。「戦争に反対し、民主主義を唱える不逞の輩、共産党を取り締まるためで、一般の国民には関係ない法律だ」としてだ。しかし、治安維持法は死刑法律にまで改悪されて一般市民の弾圧を重ねて、多くの国民を苦しめた。
今、テロ等準備罪と称する共謀罪は、テロ取り締まりとは縁もゆかりもない、現代の治安維持法だ。しかも、法律を作る連中は、あの治安維持法が作られたときに「一般市民には関わりない」と語った言葉も同じにだ。
過去を学ばず、反省しない人や組織的は、必ず同じ過ちを犯す。治安維持法を使って国民を監視し・弾圧した警察は、その行いを責められることもなく、全く反省しないで存在し続けている。警察が共謀罪を持てば、必ず国民の生活に干渉して弾圧することは必然だ。
俺は冤罪を体験して社会の正義や真実を守るのは、警察や検察、裁判所などではない知った。平和や道理を守るのも、決して警察や検察、裁判所ではないし、政治家や財界人など、権力を持つ人たちでもない。冤罪を作るな、事実を尊重しろと声を上げる人たちが社会正義や真実を支えているように、人の命を守る平和を保て、人が平等に生きる道理ある社会を守れ!と声を上げる人たちこそ、この日本の平和や道理を支えているのだ。
だから、俺は、何があっても嘆かないし、諦めない。俺が冤罪を体験して目覚めたように、6割の怠惰な眠りも、何時か自らの天に放射能が降り、弾圧の拳が振り下ろされたときには目覚めるのだ。その日まで、俺が知る問題に声を上げ続けるだけだよ。