桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ヘボ

2014-07-29 | Weblog
今年の巨人は面白いねぇ。何を、どう勘違いしたか、判らないが、原大監督は、自分の指揮能力で勝つつもりらしい。
クルクルと打順が代わり、打線の主軸に起用した選手に対して「やって欲しい」と期待を語るくせに、すぐに先発を外したりしてる。これじゃ選手はついてこない。
もう語るのも馬鹿馬鹿しい。
これから巨人が勝つとすれば、選手が自ら勝ちたいと思うかどうかだね。
選手の適性を見抜き、期待して起用し、自らの進退を託して戦い続けることこそ、監督の力量だ。

賑やかなことで

2014-07-29 | Weblog
俺がヘイトスピーチの単細胞たちに一撃したところに、柳田さんなどが、色々な主張を書き込まれた。
皆さん、熱いですねぇ。
別に、俺が加えるべきことはないが、警察や検察を恨んでるとか書くのには、少しだけ反論したい。
俺は警察も検察も恨んでいない。憎んでもいない。可哀想な人たちだと思っているだけだ。
この書き込みさんも、警察官になろう、検察官になろうとし、なった人たちの正義観を信じているだろう。社会正義を守り、市民の安全を守りたい、と思ってなるのだが、残念ながら、それぞれに持っている正義観は汚されてしまう。
警察官は、組織として決めたことは、何があっても守る。警察組織を守るためにら嘘も言う。目の前の人を犯人と思い込んだらば、「こいつを無罪にしたらば社会の治安が乱れる。犯人なのだから、有罪にするのが正義だ。正義を守るためだから、証拠を作っても許される」と、こんな理屈で証拠もでっち上げる。おまけに裏金だ。人間が歪まないはずはない。
検察官も同じ。犯人として起訴したらば、無実の証拠を隠してしまう。もちろん、裏金もある。
俺は、警察官や検察官になろうとした初心が守られる警察と検察になって欲しいと願っている。
そのためには、やはり間違いを犯したときには、素直に詫びて過ちを正す組織になって欲しいと思い、国賠裁判も行っている。
人を恨んで良いことなど、何もないだろう。1度しかない人生だしね。何があっても自分にプラスになるように考え、行動しなければ、つまらない。俺は、誰も恨んでないし、怒ってもいない。冤罪生活は有意義で幸せだったよ。勝手に決めつけないように頼みます。加えれば、そんな俺から見ると、まるで自分だけが正義のように他を詰る人たちは、警察官や検察官と同じに哀れな人たちだと思えるなぁ。