桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

プロペラ機

2011-10-30 | Weblog
これまで、何度も乗った飛行機は、総てがジェット機だったが、今日、初めてプロペラ機に乗った。
プロペラが回ると、その振動が機体に伝わり、座席にも響いて、何か不安になる震えだった。
座席は4席が1列の小さな機内で、今までにない窮屈さだったが、それは別にだから何だの違和感を感じなかったから、俺の背負っているトラウマも鎮まったのかも知れない。
プロペラ機は高度を下げて飛ぶみたいで、今までになく鮮やかに地上を眺められた。雲に遮られることもあったが、見下ろす東北の山々は、紅葉の始まった部分と緑の部分の対比も美しくて、色とりどりの柔らかいベルベットを纏ったように見えた。
やがて津軽海峡を渡り、北海道の山になったらば、今度は灰色に見える枯木に混じる紅葉が、灰色の海に浮かぶ色の島のように見えて綺麗だった。
プロペラ機だからこそ味わえた景色を楽しみながら新潟から北海道に入った。

新潟の夜

2011-10-30 | Weblog
シンポジウム後、懇親会を抜け出して映画挨拶をして、また懇親会。そして、二次会と言う経過だったが、二次会はカラオケ、女性付きの杉山コースになった。どのように盛り上がったかは、写真の杉山で判断して欲しいが、大いに盛り上がった新潟の夜でした。

シネウインド

2011-10-30 | Weblog



シンポジウムが終わり、懇親会があったが、その途中に映画挨拶があった。
シネウインドと言う80席くらいの小さな映画館で、何でも市民から1万円の出資金を募って始めた映画館だとか。
入口を入ると、チケット売場兼もぎり場があり、映写場の入口左右には、沢山の映画に関する書物があって、映画館に来た誰もが自由に見ることが出来るようになっていた。
この天井に届くほどに並んだ書物を見るだけで、この映画館を運営する人の熱意を感じた。
映画、ショウジとタカオは、昨日から、夜7時過ぎから一回、上映されている。ぜひとも多くの人に見て頂きたいものだ。

再会2

2011-10-30 | Weblog
昨日、シンポジウム会場に着いたらば、笑いながら近付いてくる人がいた。
覚えてますか?と声。
すぐに思い出した。
再審請求後、土浦で熱心に取材をしてくれ、布川事件は勝てますね!と嬉しいことを言ってくれた読売新聞記者だ。
その方は、あの後、松戸市から長岡市に転勤されたそうで、長岡市で再審開始決定を聞いたときは嬉しかったと言っておられ、あの日のニュース番組は録画して取ってあります、とのこと。
布川事件の勝利は、いろんな人の喜びになっていたのだと、改めて確認した。
これも嬉しい再会だった。

嬉しい再会

2011-10-30 | Weblog
新潟には、俺のファミリーがいる。
福島大学から新潟大学に、更に、今は関西の大学で法学部教授をされている先生のご家族だ。
新潟に異動されたとき、寝る部屋を用意したと言われていたが、福島のときのように行けなかったし、新潟さえも来られなかった。
先生の奥さんが、まずシンポジウムに来てくれた。
夜の映画には、娘さんのノンちゃんも来てくれ、8年振りくらいの再会だった。ノンちゃんは高校3年生、ズラリとした長身の美少女になっていた。少林寺拳法初段だとか。
はにかむように笑い、でも、真っ直ぐに見つめる目とおっとりした語り口は、幼いときのまま。
ほんの短い時間のだったが、実に嬉しい再会だった。

新潟

2011-10-30 | Weblog
初めて土を踏んだ新潟は、余り寒くなかった。
新潟駅から会場のユニゾンプラザまで、4千歩くらいを歩いたらば汗をかいてしまった。
少し集合時間に遅れて会場に着き、打ち合わせ。
午後2時からの集会だったが、タイトルが、「布川事件を考える市民集会」と「ショウジさん、タカオさんからお話を聴くつどい」というユニークなものだった。
果たして人は集まるかと案じられたが、会場に7分目くらい、80名を超える人が来てくれた。
何時も通りの話だが、初めて聞いた、と言って下さる人も多かった。
話せば伝わり、理解者が増える。必ず検察をやっつけられるね。