もう住まなくなった利根町の家だが、どきどき行っては、あれこれをしていた。行くたびに玄関の開きが悪くなり、大変な思いをしていた。
本来ならば、もう取り壊しして更地になっていたはずだが、依頼した業者が、大震災で忙しいこともあり、今日まで延びていた。それが今日、中学の先輩でもある業者から「来週月曜日から壊す」と連絡が入った。いよいよだ。
あの家がなければ俺の再審活動はあり得なかった。柱の下部の大部分が腐り、老朽の激しい家だったが、台風にも地震にも、本当に良く耐えて今日まで来た。
良く連れ合いと「この家は守られている」と話したが、父と母の思いが守ってくれていたと感じる家がなくなるのは、父母の死を認識するみたいな寂しさを感じる。でも、きっと両親は、どこかで喜んでいて、良く頑張ったと言ってくれているだろう。
本来ならば、もう取り壊しして更地になっていたはずだが、依頼した業者が、大震災で忙しいこともあり、今日まで延びていた。それが今日、中学の先輩でもある業者から「来週月曜日から壊す」と連絡が入った。いよいよだ。
あの家がなければ俺の再審活動はあり得なかった。柱の下部の大部分が腐り、老朽の激しい家だったが、台風にも地震にも、本当に良く耐えて今日まで来た。
良く連れ合いと「この家は守られている」と話したが、父と母の思いが守ってくれていたと感じる家がなくなるのは、父母の死を認識するみたいな寂しさを感じる。でも、きっと両親は、どこかで喜んでいて、良く頑張ったと言ってくれているだろう。