桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

思案中

2011-10-27 | Weblog
久しぶりに北松戸に帰ったらば、新聞や請求書が溜まっていた。
電話の使用料の7月分が未払いだと、この24日までに払わないと停めると請求書が来ていて、見事に切られていたが、NHKからも未払いだと来ていた。
俺は利根町に住んでいたとき、家のテレビはNHKが映らないのに視聴料金を払っていた。冤罪と闘う立場を考えて、どこからも後ろ指を指されないように払っていたのだ。
我が家に取材に来たNHKの人たちが、テレビを操作して治そうとしたが、結局アンテナに問題があるかも知れないとかで匙を投げて帰ったのだった。
NHKが見られないまま視聴料金を15年近く払い続けたが、北松戸に越して来て請求されたらば、今まで見られないままに払った代償を求めたくなった。
払うべきか、払わざるべきか、悩んでる。

マヤの暦

2011-10-27 | Weblog
人間は限りある命の尽きる日を考えて、誰しも恐怖を感じる。その思いから宗教も始まるのだろうが、始まれば終わるのが世の常、この世の総てに終わりはある。そして世の中の終わりを予言する書物も沢山ある。1番有名なのが、ノストラダムスだったろうか。
1999年、天より恐怖の大王きたる。そのときマルスは平和のもとに、それを支配するだろう、と言う予言だったか、その訳された言葉をめぐって世界が終わると騒ぎ立てる人もいたが、結局、何事もなく時代は変わった。
実は、今日も世界が終わる予言の日なのだ。
マヤの暦と言われるが、長く刻まれたマヤ文明が残した日付が、今日で途切れている。
この他に、ローマ法皇を短く論評する予言もあって、俺は詳しくは知らないが、これも、あと2代くらいで「終わり」と明言されているらしい。
人の心は弱い。そして怪しい。それゆえに、人の心を惑わす言葉に悩まされたり、苛まれたりする。
科学的に見れば、やがて地球は水素が燃え変わった物質で膨張する太陽に飲み込まれ、百億年単位後には消滅することがはっきりしているが、そんなことの前に人の命は尽きる。哀しい定めだが仕方がない。
俺も、子供のときから、何時か死ぬ!と恐怖に包まれたことが何度もある。今でも怖くないわけではないが、命が尽きるときはエネルギーが消失して、これで良いと思って死ねるだろうと考えている。
ふいの災難や事故で死ぬのは、その意味で重くて辛いだろうから、そうならないように祈るしかない。そして、生まれたことを喜びとして、今日の1日を満ち足りた1日として生きて行きたいと思っている。
でも、どうせ予言するならば災いではなくて喜びを予言して欲しいよね。

週刊現代

2011-10-27 | Weblog
新幹線で移動中に、隣に座る人が週刊誌を読んでいた。
何気なく見ると、創価学会の脱税を暴露した元公明党矢野委員長の記事があった。学会の無法も日本社会の害悪と思っている俺だから、これは買って読まない手はない。
今日、東京へ帰る新幹線で読もうとして驚いた。駅の売店は、どこにもない。
創価学会の常套手段の買い占め?かと疑ったが、やっと新幹線ホーム売店で見つけて買った。
中身は、まあ驚くほどのことはなくて、この程度は創価学会ならばやるだろうと思える範囲だった。
本当に汚い組織で宗教の風上に置けないし、真面目に信仰心を持って日蓮宗に帰依する人たちを汚す組織は、1日も早く解体すべきだと思った。
しかし、何時も不思議なのは創価学会を支えた幹部たちが、最後は学会の脱税やら人権侵害を告発することだ。矢野委員長で、何人目になるだろうか。
きっと信仰心の真面目さが、池田大作によって行われる諸悪を許せなっての告発かも知れないが、学会の所有する巨額の金が力となり、今の権力は創価学会と池田大作の無法を看過している。
情けないよなぁ、この実態は。

いよいよ

2011-10-27 | Weblog
昨夜は、ライブやレコーデイングの話などで大阪に行き、泊まった。
俺が唄うと言うと、関東では笑う人がいて、またかよ!という顔をする人もいるが、関西方面では、素直に喜んでくれる人が多い。
いよいよ念願と言うか、自作の歌を自分で唄った作品が世に出るが、これを闘いの力として、必ず警察と検察の無法行為を止めさせるつもりだ。
また闘いの楽しみが増える。