昨日、群馬県の旧三国街道の宿場街、須川宿にある匠の里を散策しているとき、金木犀が香った。
俺が逮捕された43年前に、この香りに包まれながら取手警察署に行き、長い冤罪生活が始まったから、この香りを嗅ぐたびに、色々な思い出が蘇り、懐かしいやら切ないやらの気持になる。
今回の葉留日野山荘の旅は、冤罪になったことによって得た幸せを感じ、俺の人生は恵まれ、満たされていることを再確認する時間でもあったが、金木犀の香りにある思い出には、そんな喜びや満足はない。もう一度、あの日々をやり直したいような後悔が溢れるようだ。
今、金木犀の香りには、俺が社会で積み重ねて来た思いも含まれるようにはなったが、この香りを感じるたびに、きっと俺は、若き日の傷を振り返り続けるのかも知れない。
俺が逮捕された43年前に、この香りに包まれながら取手警察署に行き、長い冤罪生活が始まったから、この香りを嗅ぐたびに、色々な思い出が蘇り、懐かしいやら切ないやらの気持になる。
今回の葉留日野山荘の旅は、冤罪になったことによって得た幸せを感じ、俺の人生は恵まれ、満たされていることを再確認する時間でもあったが、金木犀の香りにある思い出には、そんな喜びや満足はない。もう一度、あの日々をやり直したいような後悔が溢れるようだ。
今、金木犀の香りには、俺が社会で積み重ねて来た思いも含まれるようにはなったが、この香りを感じるたびに、きっと俺は、若き日の傷を振り返り続けるのかも知れない。