桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

2009-07-24 | Weblog
フェンスの材料を取りにいったらば、その会社の隣の山にある栗の木に、もうシッカリした毬が作られていた。
稲がなびく田には、早くも稲穂が出始めているし、秋は、確実に育ち始めている。
まだ本格的な夏にもなっていないが、どこを見るかで、明日を感じるか、感じないかがあるかもしれないね。
俺は、何時も物事を自分に都合良く考えて来た。悪いことがあったらば、その中にある肯定的な部分だけを見つめて来たのだが、それは自己中と紙一重になっているだろうし、これから勝利した後の自分の課題になりそうな気がしている。
そんなことを考えた栗だった。