桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

布川事件シンポジウム

2009-07-17 | Weblog
昨日は、最高裁要請日とシンポジウムが重なり、一日大変だった。
最高裁西門での宣伝が8時15分から。それに間に合わせるには5時半には動きださなくてはならない。
シンポジウムがあるために背広も持ったが、家を出た瞬間に後悔した。早朝にも関わらず、すでに熱気が満ちていてバス停に着いたときには汗が流れていた。
成田線の直通に乗り、我孫子駅からは大手町までの千代田線に乗り換えて座って行った。
何とか8時過ぎに西門に行き着くと、すでに宣伝カーは来ていて幟旗の準備をしていた。朝日は焼くように強くて、吹き抜けていく風にも暑さを感じる中、総勢10名での宣伝行動だったが、太陽の直射を受けながらマイクを持っていたらば、汗が滲み出て来て、途中でフラフラした。一度、水を飲んでマイクを譲った他は、最後まで話し続けた。9時までの宣伝後、何時も行く若い女性店員も感じが良い健康食品店で朝飯。それから事務所に戻り、手紙を書き、今度は有楽町マリオン前での昼休み宣伝。
これも暑かったぁ!
じっとしていても暑さを感じる中、今度は、総勢15名に増えての宣伝、ビラ配り。
この有楽町マリオン前も難物、無関心の固まりが通り過ぎて行き、ひどいときには1~2枚しか渡せないときもある。でも、何時もは夕方。通勤者が相手。昨日は昼間で通る人達が違うせいか、マイクを握っている時間以外の30分くらいで10枚くらいは受け取って貰えた。
午後1時に終わり、昼御飯。それから午後2時からの最高裁要請での移動だったが、20名の参加者があり、定員を3名オーバーだった。
それぞれに思いを込めて早期の判断を願う思いを話したが、俺は夏を越えない前に出して欲しいと一言。
3時前に終わって、今度はシンポジウムの打ち合わせで日弁連へ移動した。
最高裁から堀端を歩いて行ったが、歩くたびに汗が流れ、身体がベタベタして気持ち悪くっていた。
4時半から打ち合わせ。
会場に行ったのは5時15過ぎだったが、菅家さんが取材を受けていたのに加わり、ひとしきり撮影取材ななった後、会場へ。
今日は会場の席に座っての発言が主で、一度、舞台に上がった挨拶をしただけだったから楽だった。
総ての予定が終わった8時45分ころには、かなり疲れを感じたので、打ち上げには参加しないで帰ろうとしたが、予約してあるからダメ!とのこと。ならばと行ったが、日生劇場ど帝国劇場を勘違いして、先生方を歩かせてしまった。
楽しく飲んで語って、帰宅さしたのは最終電車。風呂に入って寝たのは、もうとっくに今日になった午前1時過ぎだったが、風呂に入れる幸せを感じながら、疲労の中で一気に爆睡した。自分にお疲れさま!だった。