桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

御殿場少年事件

2008-09-05 | Weblog
そう呼ばれる冤罪事件がある。
ある女子高生が、帰宅が遅れた理由を「御殿場中央公園で少年たちに暴行されたからだ」と母親に話した。それで母親が警察に訴えて事件になった。やがて、女子高生の訴える少年たちに見合う人たちが逮捕され、自白もさせられた。少年事件のため、まあ色々の経過があった後、裁判になったが、事件があったと女子高生が訴えた時間には、出会い系サイトで知り合った男といた事実が判った。しかも、その男が証言台に立ち「親に帰宅が遅れた理由を、婦女暴行されたからとか、誰かのせいにするとか言っていた」とまで、証言したのだ。勿論、嘘を言って帰宅の遅いのを言い逃れようとする強かな女子高生のこと、男を知らないと裁判で否定した。でも、最後は泣き崩れて認め「親に怒られるのが怖かった」と認めた。これで、ホントは一件落着でしょ、普通は。でも、そうならないのが日本の裁判。
この女子高生、かなりの悪だった。「その日は間違いで、ホントは1週間前だった」と被害の日にちを変更した。でも、嘘は言えないもので、その変更した日は、静岡地方は台風が接近していて、御殿場でも風と雨の記録が残されていた。女子高生が暴行されたとする芝生は濡れ、彼女の「全く雨もなければ濡れもしない」との話は、全く矛盾することになった。
テレビ朝日でも取り上げた。雑誌「冤罪ファイル」最新号でも取り上げた。
普通、我々社会の常識は、被害を受けた日が1週間違うとなれば、それは嘘の話をしたとなる。被害者の主張の矛盾は、天候だけでは無い。連行された状況、暴行の状況など、この女が言葉を翻したことは何度もあるのだ。
しかし、この少年たちは有罪にされた。
昨日、東京高裁でも、この被告とされた一部の少年たちに、再び有罪の判断が下された。
どんな落胆したろうか、きっと絶望感を味わってるだろうとあの日の自分に重ねて思うと、可哀想で仕方ない。負けないで欲しい、挫けないで欲しいと願うばかりだ。
警察や検察は論外として、事実を客観的に、かつ公正に判断出来ない裁判官と言うのは、本当に罪作りだ。こういう司法過誤を犯した輩を犯罪者として裁ける法律を作れるまで、この御殿場少年事件の冤罪仲間ともを力を合わせて闘い続けるつもりだ。

水戸地検土浦支部

2008-09-05 | Weblog
初めて来たのが、1967年、覚えてるよ、10月25日だった。
あれから41年。今日は久し振りに来た。
渡航許可を得るのに、まだ仮釈放の身は、先ず外務省に事前審査を受けなければならない。その資料として有罪判決文が必要なのだ。なぜか判らないが、水戸地裁土浦支部が下した判決文は、今は検察庁の保管物らしくて、今日、貰いに来たと言うわけだ。
俺は検察庁は嫌いだ。嘘ばかり言う、証拠は隠す。好きになれるはずがない。でも、職員が悪いわけじゃない。判決文謄本の取得申請と電話をしたとき、つい口調か強くなりそうになって、我が検察アレルギーはかなりだと思った。
勿論、木造だった建物はコンクリート製になり、あのときの面影はどこにも無い。対応してくれた若い女性は布川事件を知ってるのか知らないのか、極事務的に処理してくれた。