サジッタ&清史郎の部屋

相棒3頭と暮らす馬日記

♪♪~瞳を閉~じて・・・その2です

2005-12-21 18:55:03 | 庄原TRF
下記は10月3日の記事。このブログ、多い日には何と100人弱の方が訪問してくださっています。しかしコメントは無し。平井堅の歌を寂しく口ずさむ日々です・・・・。


『誰か、助けてください・・・!!』
そう、空港でサクが叫ぶあのシーンです。近々TVでノーカット放送するらしく、しばしばCMが流れています。

私のブログはさしずめ・・・、
『誰か、誰か見ている人・・・、コメントください・・・!!』でしょうか。

アクセスカウントを見ると、毎日40人ほどの方がいらして下さっているようなのですが・・・。(今は平均60人だよ~)
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OB会記念誌への寄稿-1

2005-12-21 13:18:50 | 庄原TRF
母校の京都産業大学馬術部OB会が、創部40年を記念して冊子を発刊します。OB会の名称である和駿会の名から取って冊子の名前は『和駿』といいます。
創刊号は今から25年前の昭和56年に発刊されています。

雪で全く運動できなくて、つまらん文章をダラダラと掲載していましたが、何回かに別けて私の投稿文を掲載します。ナーんにも世間の苦労を知らずに、馬に熱中していた時代の回顧録です。
全体はA4版で数ページの文章だから、何回かに分けて掲載します。まずは連載?第1回。

題名は、『四半世紀前の思い出は昨日の如し』

 和駿第二號の発刊、おめでとうございます。和駿創刊號が発刊されたのが昭和56年(1981年)で、ちょうど私が京都産業大学を卒業した年ですから25年という月日が流れています。
和駿第二號へ寄稿ということで、学生時代の思い出や卒業後も下手の横好きで関わっていることで感じた馬術感などを荒木先生の思いでも絡めて記したいと思います。

 私の父は荒木先生と同じ京都大学で馬術を学び、卒業後は家業の傍ら広島大学馬術部の監督を務めていた関係で、幼い頃から何となく荒木雄豪という馬術家がいらっしゃることは知っていました。
 先生との初めての出会いは、京都産業大学が広島で地方入試を行い荒木先生が試験監督で広島へいらっしゃり、父と食事をご一緒した時です。今は広島パルコとなってなくなっているのですが、当時は麒麟麦酒の直営レストラン キリン・ビアホール がその場所でした。何かの料理を注文し、当たり前のようにビールも注文したのですが、先生の前に運ばれてきた巨大なジョッキと、違和感なく美味しそうに飲み干す荒木先生を見て、酒飲みという人種に初めて接し、驚いたのを覚えています。
 入学後の思いでは、馬術の技術的指導に関することはほとんどありません。荒木先生は調教はされますが学生の直接指導は坪田先生初めコーチの皆さんが行なっておられましたから、学生が技術的な面で声を掛けられることは稀でした。4年間馬術部に在部して、馬上で荒木先生に掛けられた声はたったの一言です。サーデンという馬の練習でした。競技ではガンガン走る馬だったのですが、練習ではテンションが低く歯切れ良く飛越させることができない私が障害前で推しきれなかった時、『田部、蹴れ!!』と怒鳴られたこと。その只1回です。高校時代に少し馬に乗っていたとは言いながら、素人と同じような私ですから、先生に指導を受けていても上達することはなかったでしょう。しかし、【三つ子の魂百までも】というように、京都産業大学馬術部で叩き込まれた馬術の基本である乗馬下馬、曳き馬などの動作や部班運動の号令のかけ方などは25年経った今でも完璧で、卒業後にどこで乗っても恥ずかしい思いをしたことはありません。しかし荒木先生のような、強烈に個性のある調教技法を身近に学んだことは、推進力の無い凡人にとって良かったのか、悪かったのかは判りません。むしろ弊害が大きかったと思っています。荒木先生の乗り方は、強烈に内方手綱を引っ張って輪乗り上で深い二蹄跡運動を繰り返される乗り方としか理解できなかったのです。猛烈な推進、坐骨の張り、外方手綱のコンタクト、馬が手の内に入った時の譲りなど、素人では理解不能の部分が大きすぎたのです。だけど、当然の様に目から入った情報を真似するのが人間で、卒業して以来20数年もがき苦しみつつ、それでも強いコンタクトと馬に屈服を要求する、荒木馬術の本質とはかけ離れた間違った馬術感で馬を続けてきました。その間に、色々な方にご指導を受ける機会があり、手綱は譲って乗るものと頭では理解しているものの、延々と引っ張り倒していたようです。でも京都産業大学馬術部を卒部して25年という月日が流れ、サラリーマンのサンデーライダーから家業を継いだことによる環境の変化でほぼ毎日乗れるようになってから10年が経ち、自分の馬術感もかなり整理されてきたようです。以前は、自分に合う馬、合わない馬などがあったのですが、何となくどんな馬も画一的な状態に調教でき始めたことで自分の変化を感じます。4回目の年男を迎える今年になって、何となく馬術的に『片目が開きかけたかな~』なんて感じるのですが、荒木先生にお話したら一笑に付されるでしょう。

馬術的な指導は頂いていませんが、荒木先生は私の人生観に影響を頂いた人であることは間違いありません。つたない技術ながら、一生懸命に馬術の上達を目指していた私の学生時代に影響を頂いた荒木先生の言葉があります。20年前に広島大学馬術部の部誌に書いたこともありますから、ご覧になった関係者もいらっしゃるでしょうがもう一度。


(・・・・・、続きはまた明日。

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