忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

自然界からの大きなしっぺ返しを防ぐには

2016-05-21 | 日々

 【 地 軸 】 2016/5/19 地方紙1面下段コラムより

[ 今や世界中の海に漂うポリ袋や漁具、容器などのプラスチックごみ。世界経済フォーラムは2050年までに重量換算で魚の量を超すとの予測を発表した。
 ▲中でも紫外線や波で5㍉以下に砕かれた「マイクロプラスチック」による海洋汚染が深刻さを増す。多くの魚や鳥が餌と間違えてのみ込み、体内に蓄積することで命を奪われている。先日富山で開かれた先進7か国環境相会合でも主要議題になった。
 ▲東京湾で捕れたカタクチイワシの約8割の内臓から検出されたほか、琵琶湖でも浮遊が確認された。環境省の調査によると、日本近海には世界平均の27倍も漂っている。
 ▲魚介類を食べることで人体にも入っても自然に排出されるが、プラスチックに吸着した有害物質が体内に蓄積する可能性がある。本当にやっかいな人工物だ。
 ▲プラスチックやコンクリート、核実験で放出された放射性物質など、人間は本来自然界になかったものを大量につくり、地球上に広めてきた。温室効果ガスや大気汚染物質の急増も人間の仕業。そして後始末ができないでいる。
 ▲現代は地球の歴史の中でも、人間が自然環境を著しく悪化させた時代だとして、地質年代に新たな区分「人新世(じんしんせい)」を設けよう地質学者らが議論している。ただ、このままでは地球に悪影響を与えただけの時代で終わりかねない。せめて傷を広げないようにしたい。将来、自然界からの大きなしっぺ返しを防ぐためにも。]

 ( 忘却への扉 ) 自動車での走行中や休憩などでの停車時、道路わきや山の中、川沿いに海岸線の砂浜に岩場、あちらこちらでいろいろなごみを見かける。
 大型家電や自動車に船…とか悪質な不法投棄にも出会う。川沿いや海岸線に暮らす住民の中には平気日常的に家庭ごみを捨てる人もいる。海や川の流れや地形によってごみが大量に集まる場所があり、見るとがっかりする。
 繰り返された核実験で放出された放射性物質の例もあるが、東電福島第1原発事故で海に放出した汚染水のうち半減期30年の放射性セシウム17が日本周辺に還流を続けているとも。地球温暖化も原発が海に放出する温水が大きな影響を与えている。熊本(大分)地震は活断層下の地震のため2㍍もの地面の横滑りをした地域も見られる。なのに原子力規制委は川内原発を停止させることなく安全だと言う。原子炉直下の活断層だけでなく近くを通る場合も原発廃炉は当然のこと。伊方原発で事故が起きれば瀬戸内海は死の海と化す。
 沖縄県名護市辺野古沖への米軍基地新設のための大量土砂搬入での埋め立てによる珊瑚礁など自然環境の破壊拡大は、日米合作の計画的環境破壊。世界中に戦争をばら撒く米国のいうがまま動き始めた日本、戦争や内乱の拡大作戦追従も、地球環境破壊の犯罪行為そのもの。


18歳以上の学生に政治活動参加の自由を

2016-05-20 | Weblog

 【 若者に夢与える真の教育を 】 鬼北町 男性( 78・農業 )

 ◇今年の夏に予定されている国政選挙では選挙権年齢が18歳以上となり、高校在学中で資格を得る人もいる。本誌報道によると、県内の全ての県立高校、特別支援学校、中等教育学校で、校外での政治活動の事前届け出を義務化し校則に盛り込んだようだ。教育者を自任するのであれば他になすべきことがあるのではないだろうか。
 ◇私が中学生の時「新しい憲法の話」という冊子を教材として週1時限、校長の特別授業があったことを記憶している。この本を片手に、時にはうれしそうに、また時には自分の教え子たちが戦場に散ったのを思い出すかのような授業で、今でも片隅に残っている。
 ◇憲法23条は「学問の自由はこれを保証する」とある。文部科学省の省令や通達だけが教育ではない。また時の政治家の顔色をうかがうのも教育者のやるべきことではない。生身の人間として、未知の社会へ飛び立つ若者たちに夢と希望を与えるのが真の教育者ではないだろうか。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 「日本国憲法」を私自身のものであり、全ての国民暮らしを守る大切で身近な存在だと気づかせてくれたのは、1982年に小学館の初版第1刷のページをめくった時ではなかったかと思う。ビニールカバーに保護された表紙、見開きや片方のページだけとかのカラー写真が生活や自然を数多く見せる。憲法条文なども太字で読みやすく子どもでも読めるようにフリガナ付き。下部には言葉の詳しい説明もある。日本国憲法の後に、大日本国憲法の全文が表示されていて、自民党の憲法草案を連想させるための皮肉のようにも思える。
 私の本棚にある小学館発行の「日本国憲法」は2013年の第2版第3刷だが、この本自体は初版本から10数冊買って知人ほかに配っている。
 本棚を見まわしざっと数えると、いろいろな日本国憲法の本が30数冊あった。その中には復刻版「日本国憲法」 (永絵夢社=出版局・新泉社=発売 1987年4月第1刷発行、私の持っているのは同年5月の第3刷)もある。
 この本の帯には、『 今、憲法を初心に帰って考える 』として、「この本は、昭和22年、日本国憲法施行直後に文部省によって発行された新憲法についての公式解説書で、義務教育となった中学一年生向けの社会科用教科書として刊行されたものの完全復刻です。当時、新憲法はどのように受け止められたのか! 憲法制定時の生々しい国民感情と初心の憲法理解のありかたをつたえて、私達が今、憲法を考えるためのすぐれた道標の役目をはたしてくれます。」とある。
 私の中学時代は日本国憲法に、投稿者のような教育は過去のものになり、先生たちも憲法を正しく教えられない日米政府の圧力を感じ、委縮する教育現場と変化していた。
 だが、私の周囲には母や叔母をなど、戦争体験を語る大人たちが大勢いて戦争は怖いと知り、子どものころからの戦争は嫌が出発点。非戦や国民主権、真の自由と平和には「日本国憲法」をこれからの若者たちのためにも、安倍自公暴走政権らに改悪させてはならないとの思いは熱くなる。 


思い出をたくさん残して

2016-05-19 | 共に

 【 たかが犬、されど犬 】 鬼北町近永 女性( 72歳 )

[ 昨年夏ごろ、体調が悪そうだったので病院へ連れて行った。「心臓が腫れている」といわれた。「年だから走らせないように。好きなものを食べさせて」とのこと。その2年前に健診を受けた時は、どの数値も正常だったので安心していた。でも、犬は1年に四つ年を取るそうなので、健診から8年たったということだろうか。
 そして今年2月、今度は「肝臓の腫れ」といわれ愕然とした。自分自身はがんの宣告、心臓病、将来透析になるかもしれないと言われた時も、案外平気で受け止められたのに。
 16年前、野犬刈りで捕獲され殺処分寸前と聞き、哀願するような目に負けて連れ帰った。子宝に恵まれなかった私たちの子どものような存在で、わが家がついのすみかとなり、ともに暮らしてきた歳月。最近は痛いのか寂しいのか、夜中に何度も起こされ、そばにいてお腹をさすってやることしかできなかった。
 4月半ば、いちるの望みをつなぎ、嫌がる車に乗せて病院へ。診察台の上での不安そうな目が忘れられない。その後、手当のかいなく、思い出をたくさん残して永遠の眠りについた。かけがえのない命を失った今、枯れることのない私の涙のつぼである。]
                          《 こだま 読者の広場 『 へんろ道 』 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) わが家で飼い続けていた犬たちのほとんどは、捨て犬か保健所に連れていかれる前の犬。老犬や罠にかかった犬もいた。どの犬もわが家で一生を終えた。悲しいけれど当然の出来事と受け止め、家のすぐ裏山の一カ所に墓穴を掘った。
 愛犬が亡くして月日が過ぎていくばかり。できれば私の生きている間に、雑種の捨て犬でも飼いたいと思い続けている。私にとって終わりは未定ではあるが、残された時間の減っていくのは確かなこと。
 人間と犬または猫、どちらにしても生まれながらの寿命の差に違いがある。悲しむばかりでなく出会いや一緒に過ごした時間の思い出の数々を振り返りながら生きることが大切と思う。
 そして新たな犬との出会いの中で家族としての一緒を温もりを再び感じて行きたい。人もそうだが犬たちも忘れることなく思い出の中に共にいる。
 連帯を性分とする犬を飼いたいのはこれまでの犬とのつながりともなり、一匹でもその命を救うことができればとの気持ちとやはりわが家で一緒の暮らしを感じたいから。


しっかりとした環境を整えてこそ

2016-05-18 | 平和を

 【 いじめ被害者の傷 全て重大 】 内子町 男性( 28・介護支援専門員 )

 ◇全国の学校で生徒や先生によるいじめが問題になっている。先日も内子町内の小学校でいじめがあったとして本紙に取り上げられていた。このいじめに関し、学校側はしっかりした対応を取っていなかったともいう。
 ◇よく教育者から「重大ないじめは起こっていない」と聞く。「重大ないじめ」とは、どこからが重大なのであろうか。いじめに遭っている生徒が自殺すれば、そこからが重大という認識をして初めて対応していくのだろうか。子どもたちにとって、いじめに大きいも小さいもない。いじめを受けている生徒がいじめを苦痛だと感じれば、すでにそれは心に大きな傷を残す可能性のある重大事件である。
 ◇小学校と中学校は義務教育だ。行く学校も教師も子供たちには選ぶことができない。小、中学校に通うことが義務だとするなら、学校の先生や国、行政が安心安全に学ぶことのできる環境を整えていくこともまた義務であると思う。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) いじめでの自殺であってもメモかメールなどを、残しているか、家族に伝えていたとか、いじめ現場を見た生徒の証言がなければ、なかなか学校側や教育委員会が認めないのはなぜと私も疑問を感じる。
 責任逃れもあるだろうが、現場の先生自身、ほかの多すぎる仕事に追われ、児童・生徒たち一人ひとりに目を配る余裕さえない場合もあるのではなかろうかと気になる。
 私の中学時代の先生は、好きだと感じた先生は国や県からにらまれていて、私たちを分かろうとしていないと感じていた先生は、上に対してごまをすり、やがてどちらも教育委員長になった。今もどうやら変わってはいない?
 現政権自体に上意下達(じょういかたつ=上のものの意志・命令などを下の者に伝える)だけの風潮を好む傾向が強い。自衛隊と名を偽る日本軍はその典型。世界に誇る日本国憲法の改悪を許せば、米国の従属国として暴走の歯止めも無くしてしまう。
 元日本軍の兵士だった先輩たちからよく聞いた。「学校では先生に叩かれ、徴兵された軍隊では上官や古参兵に殴られる毎日。あのころ俺を殴っていた奴を見つけたら、思いっきり殴り返してやりたい」。これって、いじめ?暴力? 許せる仕返し。
 人を人と思わないから人が平気で殺せる戦争もできた。また軍需産業など一握りの金儲けのために、二度と繰り返さないと誓ったはずの戦争への道に、また国民を引きずり込もうとしている。
 加害者側だと気楽に暮らせる立場にいるのは限られた人たちだけ。犠牲者を多数出し破壊を拡大する現代戦争は泥沼に落ちていく。少子高齢化を放置する政策に増税の追い打ちほか収入は減少し生活は厳しさを増す格差社会。
 非正規雇用やブラック企業と戦争法に秘密法、原発推進など。人を人と思わない社会を許すのは投票権を持つ若者と大人の責任でもある。社会が乱れると、いじめや暴力事件や殺人など凶悪犯罪も連鎖して増加するのではと不安に思う。


他人事と傍観者気分でいたら

2016-05-17 | 共に

 【 「寄付は売名」批判に違和感 】 松山市 男性( 61・無職 )

 ◇熊本地震の被災者に寄付や支援をする芸能人などに対して、売名行為との声も上がっているようだ。売名だろうが何だろうが、困ってる人に対して行動を起こすのは立派な行為である。
 ◇ほとんどの人が何もできないで見守っているのは現実であり、そんな中で現地へ出向いて支援をするのは大変勇気のいる行為であり、批判する人の気持ちが分からない。ちゅうちょすることなく、堂々と支援を続けてほしいものだ。それはともかく、最近の大きな地震が異なる地域で起きている点が気になる。阪神大震災や新潟中越地震、東日本大震災、そして今回の熊本地震と、それぞれ場所が違うということは、いつどこで起きるかもわからず、「明日はわが身」ということだ。
 ◇人ごとと思って傍観者気分でいたら、いつ自分の住んでいる地域で起きないとも限らない。そう思えば、寝る位置や家具の配置などを考え、その時に備えて少しでも身を守るようにしたい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 熊本地震の被災者に寄付や支援をする芸能人に対して、「売名行為だ」との批判する人々がいることを取り上げた番組で、支援活動をしている当事者の言葉が心を打つ。
 「売名行為と言われるのは平気だが、それなら売名行為だと批判する人は、被災者のために役立つ何かを自分でやっているのか。誰でも何かはできるはず。自分は何もしないでいて、ただ人を批判するだけとは無責任すぎる」という内容。このような人たちは今回だけ、に限らず、いろいろな場所で方法で人々の心に届く支援を続けているのだろうと思う。
 神社や寺のカネ集めのための寄付は嫌いだが、集める役に選ばれた人の立場を考え私も協力はする。だが、どうせ寄付するのなら有意義な寄付をしたい。
 被災地までは出向けないけど、そのほか私にできる小さなことでも役立てばと、支援、寄付、カンパ、協力、ボランティア、呼び名は違うが続けている。
 「明日はわが身」の発想が、今の政治屋たちや大企業に大金持ちには欠けていると思う。私たちには理解できない国民から集めた税金の横流しである政党助成金名目の山分けと、企業献金と名を変えた実質賄賂だけでも、どれだけ高額な金額が動いているか。
 そんなに無駄なカネがあるのなら「売名行為」でいい、企業も賄賂を止め、寄付や支援に存分に使ってこそ意義がある。批判されている芸能人などを見習ってほしいものだ。


私たちを抜きに、私たちのことを決めないで

2016-05-16 | 共に

 【 地 軸 】 2016/5/14 地方紙1面下段コラムより

[ 「コミュニケーションに時間を要するということで参考人招致を取り消されました。障害を理由に排除されたことは、深刻なこの国のありさまを示している」…。こうべを垂れて聞くほかない、悲痛な言葉。
 ▲衆院厚生労働委員会の参考人質疑で難病男性が出席を拒否され、メッセージが代読された。声は出せずとも「通訳」がいれば意思疎通は可能。しかも審議内容は、障害者支援を強化する法改正案というから無理解に心が冷える。
 ▲「国会に招くより患者を訪ねて話を聞こうと訴えたかった」 「取り下げたのは(出席の条件として求めた別の法案審議に応じなかった)民進党」。自民党の言い訳は聞き苦しい。先月施行の障害者差別解消法の理念にももとる。「当事者の声」をくむ気もない心根が寂しい。
 ▲「人の話を聞かない」のは近ごろの政治の体質でもあろうか。審議中の携帯電話いじりや居眠りで批判を浴びた議員、一方通行のヤジばかりの国会審議…。誰のための支援、誰のための政治か—を思い出してほしい。
 ▲「私たちを抜きに、私たちのことを決めないで」とは世界の障害当事者のスローガン。多少時間がかかろうとも、当事者がどんな思いで言葉を紡ぎ、何に苦労しているのかを傾聴することからしか、支援は始まらない。
 ▲震災もしかり。一連の熊本地震発生から1か月。支える側が励まされ、支えられることもある。まずは謙虚に、個々の声に耳を傾けて。]

 ( 忘却への扉 ) 「当事者の声」をくむ気もない心根… は自民党だけでなく政権与党の公明党や、両党に擦り寄る他の大阪維新など偽野党なども同じこと。「人の話を聞かない」政治の体質… あまりにも次元の低さを感じる議員の急激な増加はこの国全体を駄目にする前兆を示す。
 衆院厚生労働委員会の障害者支援を強化する改正法への参考人質疑を、難病男性が障害を理由に排除されたとは、あってはならない人権無視の差別そのもの。
 第2次と第3次安倍内閣で厚生労働大臣を務める塩崎恭久衆院議員はこの四電伊方原発再稼働を認めた愛媛県松山選出の自民党衆院議員。私に投票権はなかったが、心の貧しさに県民の一人として詫びたくなる。


ルピナスとポピー

2016-05-15 | 日々

 「隣り町へポピーを見に行くけど、どうする?」と尋ねられ、いつもの後部座席に座る。道に迷いながらも、道路下に目当ての個人栽培の花園はあった。上にポピーとほかの花々、下にルピナスなどが咲いている。
 屋根付の休憩所まであり、通り抜け少し先の斜面横の小屋前で、園主ご夫婦が作業中。案内と説明をしてもらう。水田だった土地を花園にして育て始める、花好きの皆さんを楽しませることができれば幸せ・・・。だが、けっこう面積もあり手入れはたいへん、健康に気をつけてと思う。


引き返す勇気を持てない愚かな国家

2016-05-14 | 平和を

 【 地殻変動に不安 原発は危険 】 松山市 男性( 68・大学嘱託職員 )

 ◇余震が続く熊本地震の被災者のお気持ちを思うと、言葉にならない。日本列島は東から太平洋プレート、南からフィリピン海プレートに押され続けている。ここ数年の断続的な地震や火山噴火などを考えると、日本近辺の地殻変動が活動期に入ってきたのではないかと不安になる。
 ◇私たちはそうした弱点にもっと敏感になる必要があると思う。さして根拠もなく説得力もない安全説に望みをかけて、原発推進を主張する状況ではないはずだ。安価だとされる原発による電力も、将来の廃炉に伴うコスト、使用済み核燃料の処理や数百年以上かかるという保管まで考えると本当に安いのか。大事故が起こればその補償で多大な負担が発生することはフクシマが語っている。
 ◇先の見えない政策で重いつけを後世に押し付け、現在の経済活動のために暴走することは許されることなのか。もう一つ原発が事故を起こさない限り、引き返す勇気を持てないほどの愚かな国家なのかと思う。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 (  却への扉 ) 地方紙の『伊方原発 再稼働問題』で、[四国電力は11日から、伊方町、八幡浜市の全域と大洲、西予両市の伊方原発(伊方町)から半径20キロ圏内の計約2万8千戸を対象に訪問対話活動を始めた。6月10日までに社員が個別訪問し、7月末の再稼働を目指す3号機の安全対策や1号機を10日に廃止したことを説明。住民の疑問や不安などを聞き取りする。]の記事。
 再稼働実施を決定後に何をいまさら戸別訪問?それも30㌔圏内でなく20㌔圏内だけなもの不満。
 八幡浜市では、市長が市議会や住民の頭ごなしに県知事に再稼働了承をしたことにたいする抗議の意味を込め、市民が伊方原発再稼働の是非を問う住民投票を求める署名活動を行い、有権者の3分の1近くの支持を得ている。
 これまでも四電による伊方原発に関するアンケート調査とか名目は違う訪問は何度もあったようだ。どれも形式的なもので、住民の意見が考慮されることなど全くなかった。
 私が家で四電社員に出会って数分話せたのは1度だけ、家に居たのに声もかけずに去って行く2人の後ろ姿が四電社員だと知ったのはすでに遅く、郵便受けに原発安全の広告が入っていたからだったこともある。原発安全PRを見ただけなのは何度もだ(これって、不在は再稼働賛成派?)。
 地域を回っている社員を見て私の方から声をかけ、伊方原発が持つ危険性や不信感など無駄と知りつつぶつけたこともあった。
 四国電力社員や原発労働者も事故の不安は私たちと同じ。だから四電本社のある高松から一番遠く離れ、札束でどうにでもなると伊方町を選んだのだろう。
 四国電力は来年稼働40年となる伊方原発1号炉が再稼働するには費用が多額と経済面だけの理由で廃炉を決めたが、廃炉作業に約30年、廃炉費用は約397億円という。実質経費は大きく膨らむはず。
 四電が伊方原発3号炉再稼働工事に約1700億円をかかる。今後最も危険なプルサーマル原発を稼働していくのに、どれだけの経費と核廃棄物を増やし続け、事故避難に環境破壊と暮らしと人命の危険は放置し廃炉とその後の技術不足は先送り、負担と期間は無限大。なのに誰も責任を取らない、狡くて愚かな国家だ。
  


今、ピンチだからこそ

2016-05-13 | 平和を

 【 国民の権利なぜ守られない 】 西条市 女性( 65・主婦 )

 ◇以前、高市早苗総務相が電波停止を命じる可能性に言及した。民主主義の根幹とも言うべき言論や表現の自由は、憲法21条にある。政治への思いを発信したり議論したりするのは良いことだ。自由な意見を戦わせてこそ、健全な意見が生き残るのだと思う。が、違憲との批判がありながら安全保障関連法が成立してしまうと、特定秘密保護法により今後様々なことがグレーのベールで包まれて、私たちの知る権利も侵害されるような気がする。
 ◇社会には食べることにも窮している人、いじめに遭い自殺を考える人などがいる。なぜ憲法で守られないのかと憂う。現状は国民の義務ばかりが先行し、権利はあっても保証されることとは別問題なのだ。私たちの人権や社会の在り方に関する問題の全てが憲法であるという視点でないと、憲法は遠く感じられる。
 ◇社会は今、ピンチだ。だからこそ現憲法を守りたい。憲法があるから頑張れるんだというように、憲法を生活の中で実感として生かせられたら、私たちの生活も変わる気がする。]
                       《 こだま 読者の広場 『 憲法記念日に思う 』 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 「様々なことがグレーのベールで包まれて…」それは今後の出来事ではなく、安倍晋三と自民公明大阪維新ほか仲間たちの言動によって、今を現実社会と感じている。
 高市総務相をかばう気など毛頭ないが、阿部首相が党総裁でもある自民党自体が改憲を目指す団体。本来国会に議席を持てない組織とも言える。安倍首相にとって知られたくないこと全てベールで包むのがまかり通る堅固な秘密国家を構築するのは、政権とその与党らにとっては必要最低限のことで、高市女史は総裁の意に従ったまで。だが、グレーのベールを必要とする憲法改悪派議員たちは現「日本国憲法」を読んだことはあるのか。

 第九十九条 天皇又は節制および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

 第九十八条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 第九十七条 この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


煙を見て

2016-05-12 | 追憶

 山から帰宅途中、道路の傍らに駐車中のナンバープレートに、90歳を過ぎた叔母の暮らしている他県の市名を見た。昼食後も同じ場所に同じ車、もしかしてあの家?振り向くと空き家のはずの屋根の向こうに煙が見える。歩いて石段を上がり行ってみた。
 雑草が生え放題の広い庭の、一部草刈りをしてある部分でたき火をしているのは男女2人、どうやらご夫婦だと予想し挨拶してわが家の場所を言い名乗った。「初めまして」といってよい関係、10歳以上私が上で家も離れていては、彼を見ても記憶にないのは当然。
 年に1~2回掃除や墓参りに戻って来るとのこと。江戸時代は安政に建てられた屋敷は、昔、村の庄屋の下の位の先祖。村の小作人などが持ってきた年貢を受け取る場所や土間など、家はほとんど当時のまま。
 「雨漏りの個所が増えても、修理をしようとしても屋根が抜け落ちそうで上がるのは危険になった」。家全体を改修保存するには新築以上の費用が掛かり、どうやらもう限界。
 年齢の離れた彼のお父さんとは親しくさせてもらった。真面目な話もするが、時には軽く頭を叩かれるきわどい冗談もOK。その話もせずにはいられなかった。彼らに会えて遠い日の懐かしさがよみがえる。