忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

まだやめられない

2010-08-21 | 平和を
 友人は『本を買うのは止めて、図書館で借りることにした』と話していたが私にはまだ無理。今日も出かけた帰り道で本屋に寄って欲しいと頼む。書店の名前を言うと間違っていると指摘された。
 場所はそこだが、名前はもう廃業した昔馴染みの店だった。それでも私の行きたい店の駐車場に車はすうっと入る。買いたい本は文庫本の1冊だけ、すぐ済むと思っていた。
 レジ前から探し始めて見つからず、次々移動して戦争関係の棚まで行く。前回何冊も買いすぎ、いまだ満足と反省が入り交じって残る。だが目当ての文庫本がそこにあるかも‥‥。
 見てはならない本を見た気分。▽ 証言記録/NHK 「戦争証言」プロジェクト / 【兵士たちの戦争 ④】 NHK出版 ▽ 【昭和20年夏、女たちの戦争】 / 梯久美子 角川書店 ▽ 【長崎・そのときの被爆少女 65年目の『雅子倒れず』】 横手一彦/編著 時事通信社 ▽ 【ビルケナウからの生還 ――ナチス強制収容所の証言――】 モシェ・ガルバーズ/エリ・ガルバーズ 著 緑風出版 ▽ 【わたしの終戦記念日】 インタビュアー 瀬谷道子 新水社
 目的外の5冊を選び持ち上げていた。他にも欲しいのはあるが我慢も必要と文庫本探し、最後の手段で店員に聞く。水木しげるが出てこず 「あのぅ、ゲゲゲの鬼太郎の作者の‥‥クーニャン」
 やっと最後に 【姑娘】 水木しげる 戦記ドキュメンタリー 講談社文庫 本体524円 を手に入れた。 現代日本を速く戦前にとの、野望を感じる出版物も増えている。あの頃から騙されていたのかと国民が気づく時は、もう貴重な平和を取り戻せない時代かもしれない。

元気でおいしい言葉

2010-08-20 | 日々
 暑すぎる陽照り続きの菜園で、夕方になり採りごろで残ったスイカを採ることになった。葉はかなり弱っている。日焼け防止に草を被せたスイカで、食べられそうなのが3個あるとわる。
 スイカは大好きだ。孫たちが食べて帰った翌日から、その残りを今年初めて食べた。現在までに2個と半分。1個を4つに切り分け数日かけて2人で食べるのだが、私のお腹に3分の2以上が入る。
 まだ余裕で欲しいのだけど、赤信号の出ている健康に悪いと注意される。友だちが医者に聞いたと夜に食べるのも今月から禁止。自分で聞いてはいないので今ひとつ納得できずに我慢している。
 差し出された1個めを道路から手を伸ばし受け取った。太陽の温もりのまま、ずっしりした重さだ。狭いスイカ畑だが鳥や狸避けに糸を低位置に、クモの巣のように張り巡らせているので歩くのも難しい。
 次のはサッカーボールとソフトボールの中間ほどに小さくて、食べられるかどうかもわからない。『投げるよぉ』離れた場所から飛んで来るのを無事に受けたが、クキは枯れている。
 少し薄暗くもなった。最後のスイカが1番大きく重そうだ。持ち上げて抱えたところで「それは投げる言うたらいけんぜ」と声かけた私。『言うわけないやろ! 頭かちわっちゃろか』と返ってきたのに、にやりと笑顔の後ろ向き。その元気でいい音のするおいしそうなスイカを食べるのは最後にした。

わっ! びっくりしたあ

2010-08-19 | 日々
 知人を見かけて2~3m近くまで行き「こんにちは」と挨拶する。『わっ! びっくりしたあ』 目を大きく見開いてふり返る声に私も少し驚いた。下にいた知人が気づくようにと、上の段にいる私は足音を気づかせる歩き方をしたつもり。
 お互い顔が見えるか誰か居るとわかっていればびっくりすることもないが、私が車でなく歩いて来ていたための思い込みでの驚きだったと知る。他のことに集中していれば少々の音では駄目なのか。
 今回に限らず出会ったときや挨拶のときなど、意外と私はびっくりされることが多いのかもしれない。抜き足 差し足 忍び足 まさか自分では普通に歩いているつもり。
 存在感の薄さから周りの人たちに気づかれるのが遅いのだとすれば、ちょっと心当たりもあるか。それと体重の軽さが問題としても、これはいまさら重くするほうが健康上も問題だ。
 訂正するけど歩き方には癖があるのかも。尖った方を上に向けて立つ釘で、靴底から足裏を踏み抜かないように無意識に注意していた歩き方。まあどれも口には出さない言い訳ばかり。

 『 わっ! びっくりしたあ 』と聞けば、まずは謝っている。目立つのは苦手なのも確か、存在感は周囲の目には見えなくても自分の中で育てばいい。そんなこと考えている場合か枯れかけ始めている私、できるだけ人に迷惑をかけないではいたい。

想い浮かべて

2010-08-18 | 共に
 反省するのが本当かどうか考えている。今年はお盆にお寺にお参りするのを忘れていた。信心深くはなくてもこれまでお盆にお寺にお供え物を持って行き手を合わせるのを欠かしたことはいなかった。
 お盆が来るからだけではなかっが、今年は珍しくお墓の周囲の木を切り草も刈っていた。お盆前には改めて掃除をし、シキミを供えて水をまいた。墓地は家から近く道路のすぐ横なのに、お盆の墓参りもしなかったと後で気づく。
 家の仏壇はきれいに掃除しシキミとお供え物もして準備はできたが、寝室の片隅にあるのに手を合わせ拝みはしなかった。それさえ忘れるとは普段どおりであっても私自身に驚く。
 でも反省すべきとも思えないのは、親族はもちろん友人知人を含め故人を霊としてではなく、想いのつながりの感覚でいるからだろうか。その人たちの死の事実は認めている。
 私は現在生きていて故人と関連する過去を想い出すことができて感謝もしている。夢に見たことはなかったと思うが、毎日のように親族の誰かを想い出している。
 仏教寺院の檀家に属していても他の寺院や墓地巡りにも興味はあり、手を合わし拝む形でなれる無心の気分も好き。手を合わせなくても普段から、何も考えてない空っぽ頭と指摘されてもごもっとも。
 お墓掃除していた時間の心地よさ。あれは私と先祖はいつでも共にいるということなのかも知れない。 犠牲者を裏切る国づくり目的でするのか、靖国神社への国会議員の集団参拝。幻の英霊演出こそ非国民では‥意図的参拝議員に反省心は、 さて 。

見てほしいけど

2010-08-17 | 共に
 帰郷していた友人との久しぶりの再会で数時間の会話もできた。まだ友人が近くに居るような気分のままで、2日ほど経つと東京へ帰ったのかどうかも気になる。
 里の家に電話すればわかる。でも電話に出るのは当然初めて話す人とか、苦手な私は理屈をつけて結局は電話しないで数日プラス。昨夜はもう自宅に帰っただろうから向こうに電話してみるかと、決心だけはした。
 再会時の会話で友人がホームページかブログでもやっていればと期待し尋ねてみたが持っていないとの返事に残念だった。私がブログをしているのは話したが私的の日記から始めたので、家族にも内緒の部分が詰まっている。
 ほとんど一方通行だけど子供や孫との気分的交換日記でもあり、存在を知らせているのはその他数人。それでも続けていれば、このブログの訪問者も少しずつ増え感謝している。
 他のブログとの偶然の出会いも私にとっては楽しくて大切なこと。友人にはいらぬおせっかいだけど、名前をどうするかは別にして最初から公開目的で始めていたらとは思う。
 物忘れのひどくなる年齢になり個人の生きざまから覚えていたい何か、伝えたいなにかをブログに残している。これだけ続けると道に迷うとか踏み外さない矢印や杖にもなって来たかとは気づく。

 矛盾するがせめて1人の友人だけには仮に関心があれば覗いてみて欲しい気持ち。見てもらえばうれしいが恥ずかしい面もありプレッシャーもかかりそう‥‥ 。電話のときにそれを話すかどうか、もう今夜は遅すぎる。 明日はどうなる。

ポコペン横丁

2010-08-16 | 追憶
 ヒョッコリ現れる昭和30年代の横丁には今日もゆったりと時間が流れています。ちっちゃな空間ですが、懐かしいあの頃を思い出してみませんか? ] ポコペン横丁の陽だまり日記より
 まぼろし商店街一丁目の住所のとおり11月までも日曜日限定開店と知ったが、それが嘘のように活気ある雰囲気を感じた。蒸し暑い日に孫たちと初めて出かけて見て、またいつかあの場所でのんびりしたあの頃の気分を味わってみたくなっている。

愛らしさ

2010-08-15 | 平和を
 金曜日夕方のOBSラジオで、ライオンの赤ちゃんのかわいさについて『動物なしか』で聴いた。週1回のアニマルドクターと吉田寛のトーク番組がおもしろい。
 ネコ科のライオンは同じネコ科のトラと違って群れで行動する。肉食でネコ科最大の動物ライオンの雄は全長2.5m体重150~250㎏にも達する。空腹時にだけ共同で獲物狙い、後は寝て過ごすのだが獰猛のイメージが強い。
 だがこのライオンの赤ちゃんはとてもかわいくて誰が見ても気持ちがなごむとアニマルドクターは太鼓判を捺す。たとえ恋人同士で口喧嘩をして悪い雰囲気になっても、赤ちゃんライオンの愛くるしい表情を眺めれば気分はいやされ仲良くなれる。
 ライオンの育児放棄の場合などでも、サファリパークの飼育員から哺乳ビンに入れたミルクを喜んで飲む。飼育員が交代するとトラの赤ちゃんは 拒否して駄目だが、ライオンだと平気で飲み来園客でも大丈夫と聞けば驚き。
 群れで生きるライオンは赤ちゃんを母親だけでなく、姉や兄ときには父親も育児を手伝うことがある。だから誰にでもかわいがられる赤ちゃんで誕生する。みんなに好かれることは弱い命を守り育ててもらうための手助けにもなる。そのために可愛さもあるのかも知れない。

 人間社会で見かけるベビーカーに乗っ赤ちゃんや抱っこやおんぶの赤ちゃんがかわいくて、つい見てしまう。この赤ちゃんたちも安心できる平和な社会で育って欲しいと願っている。

自分で知れば

2010-08-14 | 平和を
 日本は絶対に再び戦争をしてはならない。日本を戦争のできる国にするのを認めてはならない。本物の平和を維持するには、憲法前文と憲法9条を持つ現在の日本国憲法を継続することに重要な意義があると改めて認識する。
 新聞のテレビ欄でその日NHKで【爆笑問題の戦争入門 日本人はどんなキモチで戦争と向き合ったのか?貴重映像と迫真の証言で追体験】 [▽戦場の地獄▽残された若妻▽矢口真里・品川祐・赤木春恵・神山繁激論]があるのを知った。
 私は戦争を知らないとかよくわからないと言う若者などに対して、神山氏らは『それは逃げているのか、自分で知らないふりをしているだけ。戦後の日本は朝鮮戦争から湾岸戦争、アフガン戦争イラク戦争等戦争に関わり続けて来た。』
 『戦争の現実を自分で知ろうとすれば、いくらでも知る立場に君たちはいる。知ろうと行動するべきだ』と体験者の発言は厳しい。日本人だけでもあの大東亜戦争犠牲者は最、終的に310万人に達しているのだ。
 戦後生まれの私は先日も友人に話したのだが、いまだに戦争を引きずっている。戦争は嫌、私の戦争で人を殺すのも殺されるも嫌だと中学時代にはっきり意識した。
 思えば大人は戦争は全員戦争体験者の社会で育っている。職業軍人と違い1銭5厘の赤紙で戦場に送られた元兵隊さんはおしゃべりだった。人間でなくなる世界を聞いた。
 国民を見捨てる権力者たちを知り、いつか事実が買えなくなる日がとの不安から戦争と平和に関した本を集め始める。話すと笑われもしたが、間違っていなかったと思える現在と将来が恐い。いま子供や孫たちに平和を残せるのか不安になる日本がある。

あの場所をまた

2010-08-13 | 追憶
 写真展があると知り車で送ってもらう。数年前に解体されたが古く築85年ほどの時を経た病院があった。金儲けを考えない最後の院長に大きな建物の維持や修理に関心があったのかさえ疑問。
 90歳を過ぎるまで現役で人々に信頼されていた。半分以上が倒壊寸前になった建物と院長他、共に地域医療のためにつくす。院長の死後も数年は身代わりのように無人の建物は健在だった。
 地方でも1番かと評判になった病院と設備、初代院長は名医として船や汽車など乗り継ぎ遠くから治療を求めてやって来たと聞いている。 地域になくてはならない病院として家族代々お世話になった。
 その病院のいつの時代の写真なのかは知らず、新築開業当時か戦前か前後か想像を膨らませながら展示室に入る。白黒写真が並んでいた。最初は廃屋かと思うが、近寄り次の数枚を見て近年だとわかる。
 8年前の病院内部だというが順番待ちで椅子に腰かけた患者さんと院長先生の姿がなければ、ほとんど解体前の廃屋に見える。年齢の若い写真家の作品は白黒写真が似合う。
 あの病院を見事に表現している。霞んだガラス窓の外は、探検している所を見つかり叱られた裏山。長女が幼少の頃ケガをしながら泣かずに縫ってもらった部屋とか20歳代の私が日本国憲法の本を追加した待合室 ・・・ あの場所をまた見ている。
 作品としてだけでなく身近な歴史と想い出を見た。撮影者や見学者とも会話を交わせていると、病院長の奥さんも写真を見にへ会場に。一緒に見ながら説明などまで聞けた。

会えたらいいな

2010-08-12 | 共に
 『 こんばんは ‥ 急にだけど明日会えないかな 』 友人からの電話にとっさに返事ができなくて、まず妻に許可をもらう。かなり前彼のお袋さんの葬式以来が出会い、まともに会話するのは数十年ぶりのこと。
 翌朝バスの運行が廃止されたこの町まで友人は車で送ってもらい。待ち合わせの場所に私が迎えに行く。30分ほど早すぎ車外で1人待っていると照れくさくもあるが、歩道を小学校児童数十人が走って来て互いの挨拶に気分がいい。
 さすが約束の時刻には友の顔、町にゆっくり話せる涼しい場所もなくまずは初めてのわが家にとなった。少しでもかたづけていた本の部屋に入ってもらう。少年期から現在までの私ががひと目で見える部屋。
 友人もたくさんの本を持っているのだろうが、本の数は別にして質が違い今でも漫画を読んでいる私に少々呆れ顔。
 彼とは元々漫画の貸し借りから始まった友だち関係。貸本屋の古本漫画を手に入れ、抱えて遠い彼の家まで歩いて何回か行った。中学生のある日『 勉強するから、もう漫画は止める 』と彼は言った。ちょっと寂しいけれど仕方ない。
 3人組の私たちに後から加わった彼ではある。それらを記憶しているつもりで友に話すと『 そんなこと言った!?まったく覚えていない ごめんなさい 』
 いやあの頃私も勉強に切り替えていれば‥ 遅すぎる反省を今している。ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるを町で見かけたとも聞いた。話し足りなくてまた会いたい。