忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

1回だけでも

2010-01-21 | 平和を
 小沢幹事長が実権を握る民主党では、あの政権奪取時の華やかさが消えた。次第に鳩山首相と民主党の支持率低下は続く。政治と金の疑惑が早々と新政権党トップに向けられ、初めの一歩がこんな事とは残念でもある。
 壊し屋小沢氏は別にして鳩山首相までがあの金銭感覚の、悔しさは強い。国民の代理人として国会議員で働く責務を担う重さより、個人政治会社は億単位の巨額な資金力で物を言う?
 豪腕なのか傲慢なのかは知らないが、小沢氏に対する投票権もない。なのに民主党幹事長になっただけのはずが、まるで大統領。鳩山首相以下内閣閣僚に議員たちまでもが、物言えば唇寒しと縮こまる。
 自公保守政権を倒し新しく出直す日本作りを、との期待感があった先の衆議院選挙。町の顔役ではなく選挙運動など初めてのような威張らない庶民も、民主党候補の応援に動いた。
 日本をこれ以上駄目にしないために、1回だけでも民主党に投票をと熱心に呼びかけた。選挙後はすぐにお礼を聞くのも珍しい。「他に入れたんだけど」と言う人には『それは自由ですが、お願いした私がお礼の気持ちを伝えるのは当然なので』とまたお礼。
 私の出会った近くの例だが、そんな人たちや無党派層の期待に後押しされての当選議員までないがしろにする小沢党首は自民党体質そのまんま。支援者や国民に後ろめたさを感じる新人議員がいればと思う。

せっかくが台無し

2010-01-20 | 日々
 夜の睡眠時間は不十分であっても薬で眠れる間がつくれる。だが寝起きはすっきりした状態の1日が始まることはめったにない。『なんで、いつもボォ~ッとしているの!』特に眠い感じとも違うが、昼間も似たようなもの。昼も薬を飲めば眠れるが、布団で休める機会は少ない。
 仕事以外の家族での出かけのさいには、できるだけ行動を共にする。妻の運転で2人だけで行動する時の私は、助手役に専念と決めて注意に疲れるが安全第一。息子運転の車にはできるだけ後部座席に乗る。速めと感じるスピードが多く安心しているわけではないが、なぜだかいつも眠くなる。『せっかく連れて行ってもらうのだから、眠ってはダメ!外の景色を楽しんで』と毎回聞かされる。
 先日も行きはなんとか景色も見れて眠さに抵抗できた。ほんとは限界を越える寸前で、食品売店に到着したので救われた。食べ物に刺激されたか、それからしばらくは頭も目もはっきりする。
 すぐ同じ道路を戻るのも予定の内。途中パトカーに出会いトンネル補修でストップしガソリンスタンド前を走り、町の入口の橋を渡った‥‥かどうか。気づくと車庫入れを始めようとする手前。
 なにも言われず眠った感覚もなく、気持ち良く「ありがとう」を言い降りた。だが先に家に入っていた人から『大きないびきまでかいて!!恥ずかしい』すっきり気分は数分間で壊れた。

雪の足跡

2010-01-19 | 日々
 正午のチャイムなったが少し余分に仕事をして、昼食は弁当とお茶持参でドライブがてら近場に走り車の中でと決まっている。早く家に帰るため里道へと園内を歩いていて耕された部分を見つけた。
 雪の降る前の作業なのだが少々乱暴すぎる。イノシシより他に犯行は考えられない。雪の積もっている間は、どこに隠れているのか気になる。まだ雪の上にイノシシの足跡を見てはいない。前回の雪では鳥や狸もしかして猿かも?などいろいろな雪の足跡を見た。足跡だけなのに姿まで見ているような楽しい気分になれた。

話しかけたく

2010-01-17 | 共に
 横を通り過ぎ少し前で止まった車を運転していたのは知っている顔。わが家の車はその後方にいて私が受付を済ませるのを待っている。先に受け付けをしてもらっている女性が、地区名と世帯主の名を担当者に告げた。
 初対面だがやはり私の思った人の奥さんだとわかり、私の方から道路や山の雪の状況を尋ねた。運転していた妻にそれを話すと『そんなこと聞かんでも見たらわかる』と叱られた。
 なるほどわが家より数100m標高は高いが、海の見える日当たりのよい地区。妻の実家もありなおさら尋ねてみたくもなったのだ。意味が小粒であっても無意味の会話はない。会話に慣れるためにも必要だと話下手の私のはようやく気づいて実行中。

こどもに教わる

2010-01-16 | 共に
 子供たちもそれぞれに性格が違い個性を持っている。親ではあるが特に現在の私は、その多くを知り理解しているとは思えない。でも親子だけになんとなくの想像はできる。
 深い話や日々のできごと相談事など、まともに往復する親子の会話はほとんどせずに来たのかとも考えてみるが、どうだったかさえ思い出せない。わかるのは他県にいる娘たちとの会話やメールが、近年になって増えたこと。
 特に昨年は長女との時間が長く、たくさんの新しい体験をさせてもらった。職場の仕事に同行するとか、女性たちの会合にも同席した。出不精の私を連れ出すのはこの時ばかりと、2人での思い出作りを楽しんだ。
 もちろん孫たちと一緒も何度もある。2つの組み合わせの親子関係、自動車の後部座席に孫たちを乗せてにぎやかな車内。運転席には母親と子供を兼ねる娘がいて、助手席におじいちゃん兼父親の私。
 もしこの場の孫たちが小学生でなく、中学か高校生もっと成長していたとすれば、どのような会話や態度を見聞きできるだろうか想像を巡らす。私と娘はどのように話に加わっている‥‥?
 これまで娘に尋ねられてはいたが、私の方から問いかけることが多くなった。最近の言葉や考え方とその方法に思いと人生など、疑問は娘との会話やメールのきっかけにもなる。子供教えられるのを、うれしく思うこの歳。

滑らぬように

2010-01-15 | 日々
 昨日の夕方には解け始めていた道路の雪だが、朝になり歩いてみるとタイヤに踏み固められたまま残っている部分が多い。『昼過ぎか夕方になれば走れるよ』と聞いてもやはり気になる。
 雪に対応できてない車のわが家、私はスコップを持って雪かきだ。かなり解けているので簡単に終わると思っていたのに、汗をかくほど手間がかかる。無理をせずに止めてもいいのだが、ここから先ほど危険な場所。
 そこまで行けば他に走る車も車あり通行可能と知っている。なんとか片方の山側だけは黒いアスファルトを見える道ができた。でもあと半分のより固められた方が残っている。
 往復で約400mの雪かきはできた。少々むちゃした反省はもう遅い、それより白い雪に描いた2本の黒い線が、気分をよくさせてくれる。朝一番よりは遅れるが無事車を走らすことができた。
 おかげで目的の場所で偶然数十年前の出会いの先輩に会える。4~5歳の差など無関係で私の投げる冗談を若者気分で投げ返す。『昨日は滑って危なかっぞぅ!そんで今日はこの車に代えたがよ』雪のくれた時間差で彼の笑顔を見れた。

不安定思考

2010-01-14 | 共に
 『心の余裕が減ってきて、マイナス思考になりがちなのでは?』との指摘は、このブログの最近の内容と休む日があるのを気にしてくれてのこと。そのとおりでもちょっと違う。
 元々が余裕のないマイナス思考の性格に近い。だが落ち込む方ではなく、悩み事はまず最悪状態を想像しより良いことを考える。1人じゃなく、いつも一緒を思っている。弱さも力に甘えては駄目なのだが、近頃ぬけ殻になりがちな自分がいる。
 マイナス思考ではなくゼロ思考状態の 私に気付く。ブログの休日はできるだけ避け、毎日を続けて行きたい。見てもらう人たちへの感謝。気分的にも不安定な日があり空白はできても0時を通過してしまっただけ。今夜もそうだがその日の気持ちをうとうと居眠りもしながら送信に間に合わせようとはしている。

白く隠して

2010-01-13 | 平和を
 朝食後に『ちょっと採集ハサミを買ってくる』と言って車で出た妻は、10分もせず帰る。行く前に降りはじめた雪のせいで少し遅れれば車で戻れないくらい白くなった。
 舞い落ちるボタン雪で白く変化を見せる景色はきれいだが、楽しんではいられない。被害を受けない間に家の近所で数箱でもと果実の収穫をするが寒くて中止。家に入りストーブに手をかざす。
 娘からの電話で向こうも雪と聞く『白いジュウタン送ったから見て』雪と猫メルのすっきりした姿。民主は罵声小沢の内堀越山会やゼネコン鹿島にやっと強制家宅捜査が。疑惑で逃げない問題解決の道を政党も選ぶべき。もうすぐ本物の雪は解け、参院選も待っているのに急いですっきり白にせよ。

もくもくと

2010-01-12 | 日々
 昨夜の作業は終わったのが1時前で、私にとってはまるでスポーツ競技の記録更新を目ざすかのような時間との競走。1組だけだがチームリレー、なのにたびたび遅れる私も1員。
 手伝ってもらいながら単純作業を間違えないで付いて行くのがやっと。夕方から作業を始め昼に準備済みのメニューでの食事に短時間使った他、休憩も1回数分だけあった。
 集中するのも最近苦手、キーンと頭がなり背中や足腰の痛みは私だけじゃないと我慢しみんな黙々と作業を続けてた。かみさんのすごさを実感させられる。『犬を連れて来て』の希望で倉庫内の黙々感が多少薄まる。
 忙しさに犬が加わっただけだが、言葉が出て気分を変える。連日の寝不足に体の不安は感じるが、こんな夜でも寝るのには薬が頼りに救われる? ようやくの作業終了には満足感ももらう。
 犬と一緒に玄関を入る。1日遅れてブログは無理に、入りたいけど風呂も休む。まだ今年の新年を迎えた日と同じなのに、気分的にも数日で歳をとったようだ。若い頃の夜の時間の少なさを思い出す。

存在感のなさ

2010-01-10 | 共に
 最近になって家での存在感が減少しているとの、自覚症状が表れるようになった。これまでは家庭と自分の存在感についてなど考えたことも無かった。考える必要も無いままで来れたと言い換えたほうが正確なのだろうか、今気づくのは歳か病気のせい?
 職場や団体だといろいろな場面で誰もが存在感を発揮できるとまではいかなくても、意識は持っているように思う。ただ裏表の見せかけや話し方も相手によって使い分けをする演技力に長ける人が、威張りたがりには見える。
 この人、家では家族にどういう態度で接しているのかと、その違いを知れば面白いかも‥‥など考える必要はない。周りに煙たがられる行為は誰かが黙っていられず、時には本人の口からも噂になって広がって行く。

 こんな人はよけいな存在感のありすぎだが、私などは逆に自分を目立たないようにの気持ちがあったかとも思う。他人にではなく自分自身の心に維持する存在感は、多少幹は細くなろうと倒れずにはいたい。私の存在感を犬だけはある程度は太く信頼を体で反応してくれている‥‥ただの肥満ではないはずだ。