忘却への扉

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気丈に見えても

2015-03-19 | 共に
 【 言いようもなく深い心の傷 】 松山市 男性 (68 ・ アルバイト)

 ◇東日本大震災から4年。福島県にいる私の義弟夫婦は当時、2人とも東京電力福島第1原発の社員だった。震災当日は出勤しており、午後2時46分に地震が起こった。
 ◇翌日、1号機の水素爆発で避難命令が出たため、死に物狂いで車を走らせ福島県楢葉町の自宅に帰り、家族を連れて埼玉県まで逃げ出した。親族らとの不便なアパート暮らしが数カ月続いた。会社から出勤命令が出てからは原発に近いところから通勤している。家族はバラバラになり苦難を抱えての仕事が続く。しかし4年間に子どもたちが立派に成長し、今では待望の孫までいる。一方、楢葉町にある住居や奥さんの先祖の田畑はメチャメチャに損壊したままで、町内の清潔環境は十分発揮していない。政府もしっかり復興に力を入れてほしい。
 ◇毎年、義弟の故郷の愛媛に夫婦で帰り気丈にしているが、震災による心の傷は言いようのない深いものだと感じる。帰省中は一瞬でも心を癒してあげたいと思う。]

                                   《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 原発に近いこの町でも、当然原発に関連して働く人たちが多くいる。原発誘致の初期から原子力村に協力し、国や電力会社などのその恩恵を頼りに金儲けができればそれが全てと思ってきた人は、安全・安心よりも再稼働優先ありき。
 時に原発で働いている人から話を聞くこともあるが、本音はやはり危険への不安。多くは語らなくても現場を見ていて感じるその言葉には納得できる。
 原発建設問題が起こるころから一市民として関心を持っていた。原子力による発電に批判的な専門家の参加者少数の講演も聞きに行った。
 行政や電力側にいる方が得とばかりの大多数の市民「あいつらはウソを言っている。原発は絶対に安全だ」と聞かされ、報道機関と御用学者を使っての宣伝力にも敗れ、警察は機動隊まで出しての反対派つぶしに政治的圧力とカネに負けての建設工事から、約束破りの原発は次々できた。
 東電福島第1原発事故が起こり、やはり私が聞いた専門家たちの話が事実で原発の深刻な危険を確認し、国や電力ら原子力村の「安全神話」の嘘が明らかになった。
 ドイツは脱原発に方向転換したことで少なくとも原発廃棄物の最終的残量だけは明確になった。
 だがフクシマの大事故を起こした日本にその反省は全くなく、安倍晋三政権は原子力村のメリットが全てで原発再稼働を進める。日本の原発廃棄物の最終残量は不明確のままいつまで増やし続ける気なのか。

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