忘却への扉

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焼きつく体験

2015-03-12 | 追憶
 【 インパール作戦 悲惨な経験 】 松山市 男性 (92 ・ 無職)

 ◇2月22日付本紙の連載記事「遠い戦地で・戦後70年」にインパール作戦が出ていた。私もあの悲惨な作戦に参加した一人で、万感胸に迫った。
 ◇昭和19年3月、ビルマ(現ミャンマー)のチンドイン川を渡り険しいアラカン連山には行った。4日目に国境を超えインドに。自殺用に手りゅ弾を渡され腰につけて前進した。昼夜を問わぬ2ヶ月間の戦いで弾薬食料が尽きた。記事中で、補給部隊にいた大阪の黒部さんは「自分たちの分を集めるのがせいいっぱい。前線に回す余裕がなかった」と言われている。私のいたコマヒの前線では食うに米なく撃つに弾なく、多くの戦死者が出た。5月末、撤退命令が出たが、アラカンは完全な雨期となり豪雨で道は泥沼となった。しかも敵機を避けての夜行軍だ。
 ◇自然の猛威は戦闘に疲れ切った烈兵団に容赦なく襲いかかる。軍服は破れ放題、立ち上がることもできない。餓死した人たちの悲惨な姿がどこまでも続いていた。]

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