忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

人間として生きる力を

2017-07-24 | 追憶

 【 忘れられぬ「野火」の一場面 】 西条市 女性( 61・主婦 )

 ◇6月27日付本紙の「あのころ、映画があった」に市川崑監督「野火」が紹介されていた。紙面を広げて写真と見出しが目に入った瞬間、吐き気を抑えながらも最後まで見た白黒映画の記憶が脳裏によみがえった。
 ◇原作は大岡昇平さんの小説。弱った兵士に「俺が死んだらここを食べてもいいよ」と自分の体を指さして言われ、主人公が逃げていくシーンは忘れられない。記事にもあった塚本晋也監督のリメーク作品を見て、史実を伝えようとした意図は分かったが、あの時代を生きた人たちの真情まで行き着くことはできまいと感じた。あの狂気の時代を生き延びた人たちの「人間として生きる力」によって日本は驚異的な復興を成し遂げたと思う。
 ◇しかし、実際はこの映像以上の異常なことが行われたのだろう。それは文章や映像では再現できるはずもないと思う。私たちが生きている今が戦前に戻らないことを祈り、あの時代を生きた全ての人に手を合わせたい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 「野火」は、大岡昇平さんの原作を何度も読んでいる。市川崑監督作品が紹介され、再度読み返してみようかとも思ったがやめた。
 凄惨なその場面が、ただの創作ではなく実際にあったとの認識が重過ぎるのだ。私の読んだ書物だけでなく、嘘か眞か海外に出兵し飢えに苦しんだ体験を持つ元兵士の何人もが、「生きるためには、何でも食べた」とよく口した。その中には人肉を食べた話も聞いた。
 身の毛もよだつ狂気の時代の再来を待ち望んでいる組織と政権がある。被害に遭うのは他人事。戦争もただ巨万の富を得るための道具で、人命も代替えのあるちっぽけな部品の一つとしか見ていない。

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