忘却への扉

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重圧に耐えられるのか

2016-05-25 | 共に

 【 地 軸 】 2016/5/22 地方紙1面下段コラムより

[ 裁判員裁判を見聞きするたび自問してみる。事件に冷静に向き合い判断できるか、人を裁く重圧に耐えられるのか、と。正直、自信はない。
 ▲刑事裁判に市民感覚を取り入れる裁判員制度の開始から7年。多くの人が不安を抱えているらしく、最高裁の調査では一貫して80%以上が参加に消極的。一方、辞退率は当初の53%から上がり続け、今年は3月末で65%に達した。3人に2人が辞退するようでは、制度の意義が揺らぐ。
 ▲参加意欲を高める手立てを講じたい。興味深いデータがある。裁判員や補充裁判員経験者の96%が「良い経験」と答えた。やる気のある人ばかりが集まったわけではない。選任前は、ほぼ半数が「やりたくない」だったのだから。
 ▲「事件の背景にある社会問題などを考えるきっかけになった」 「司法への理解が深まった」など、充足感を得た理由はさまざま。貴重な体験を社会で共有しよう。裁判員は何も口外できないと思われがちだが、守秘義務の範囲は評議内容だけ。それとて、緩和すべきとの声が上がる。
 ▲「裁く」を広辞苑で引いてみた。意外にも独立した記述がなく、巧みに扱ったり魚などを切ったりする「さばく」の中に、理非を裁断するとある。切り分け方が一様でないことが、裁き手を務める市民の重荷になる。
 ▲極刑を含む量刑判断の葛藤や、審理長期化などの負担の軽減は参加を促すために不可欠。難題を「さばく」司法の手腕が問われる。]

 ( 忘却への扉 ) 裁判員制=無作為に抽出された一般国民が裁判員として殺人や傷害致死などの刑事裁判で、裁判官とともに事実認定から量刑判断まで関与する制度。(スーパー大辞林)
 無作為に抽出だから、誰にも裁判に参加することになる可能性はある。私がもし選ばれたとしたらと、能力や時間的制約もあり、参加か辞退するかは別にして裁判の直接体験には関心は強い。「人を裁く重圧に耐えられるのか」の課題もある。
 今夏の参院選(衆参同時選?)立候補予定者たちに問いたい。あなたは「日本国憲法」に誓い、国民のために身を粉にして働く議員としての重圧に耐えられる自信があるのか。