忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

海底の墓標から

2015-03-13 | 平和を
 【 地 軸 】 2015/3/10 地方紙1面下段記事より

 [太平洋戦争まで、各国海軍の主力は「戦艦」だった。小山のような艦体に巨大な主砲。敵艦隊を砲撃で撃破する戦法は、日露戦争時の「日本海海戦」に代表される。
 ▲「大艦主砲主義」という。ただ、勝利に酔うと容易に戦法は変更できない。戦術が進化し、航空機で敵艦を攻撃する時代になっても、日本軍上層部は巨大な戦艦の建造にこだわった。時代のはざまで誕生したのが、世界最大の戦艦「大和」。
 ▲航空機時代を予見していた連合艦隊の山本五十六司令官でさえ、巨艦を見て「やれるかも」とつぶやいたそうだ。しかし、不沈戦艦と呼ばれた大和は大戦末期、米軍の航空機攻撃で東シナ海に沈んだ。居場所のない時代に生まれた悲運艦。
 ▲大和型2番艦「武蔵」がフィリピンのシブヤン海に消えたのは、大和に先立つ半年ほど前。レイテ沖海戦で航空機の集中砲火や魚雷攻撃で力尽きた。艦体を明るく塗り、おとりになったともされる。戦艦としての任務を、全うできないまま。
 ▲その武蔵らしい艦艇が、海底で発見された。すでに確認されている大和同様に、頑強な艦体が断裂しているそうだ。攻撃のすざまじさを物語ろう。日本が歩んできた戦争の罪を、告発しているかのよう。
 ▲軍拡競争の末に生まれ、時代に翻弄(ほんろう)されたまま多くの命と共に沈んだ二大戦艦。戦後70年の年に発見された「海底の墓標」から、同じ過ちを二度と繰り返さないでとのメッセージが聞こえる。]

負けないで伝えて行く

2015-03-13 | 共に
 3月11日はあの東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から4年。3月10日現在、震災による直接死は1万5891人。行方不明者は2584人、震災関連死3244人が認定された。
 追悼番組や報道などで被災者の体験談や家族や親しい人たちを失った癒えることのない悲しみの現状を見るにつけ、大震災がよみがえる。避難生活をされている方などからも大震災が、人々の記憶から風化し忘れられつつあるようでつらい・・・。との言葉に共感する気持ちと伝え継ぐ大切さを思う。
 4年前の東日本大震災の津波と東電福島第1原発の大事故には私の親族一家も危ういところを避難し助かった。わが町の近くも原発があり次の大震災大津波の危険が予想されている。もちろん原発大事故も起こりえる。
 このブログ「忘却への扉」を始めてから10年以上になるが私も忘れず、伝え継ぐことに役立てたらの意思もあった。東日本大震災と東電福島第1原発大事故とその後も記録の一つ。それらに関する本も購入し続けている。
 祈りの日でもある3月11日の前日、3月10日は10万人以上が犠牲となった米軍による住宅密集地絨毯爆撃を実行した東京大空襲の日。せめてあの大空襲で大日本帝国が侵略戦争の負けを認めていたならば、広島長崎の原爆投下も防げたのに。
 それら戦争(非戦)と平和に関する本は若いころから集めてきた。その非戦に関連して私は国策としての原発も人権問題も考える。3月10日安倍首相は追悼の意を口にしただろうか。
 平和憲法がありながら、すぐ米軍の後方支援のために自衛隊という軍隊を持つことを拒まなかった日本政府があって、現在の安倍晋三首相がいる。戦争を語り継ぐ力を国が真綿で首を絞めるように国民から奪ってきたからだ。
 伝えることの大切さを3月11日だけでなく数々のできことが教えてくれる。風化させようとする力は3月11日の原発大事故のその後にも働いていて、それが原発再稼働を反省もなく推し進めている。