逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「去るものは日々に疎し」新聞見出しから見る御巣鷹の謎

2013年08月17日 | 社会・歴史

(垂直尾翼の大部分を失ったまま524人を乗せて東京都・奥多摩町上空を飛行し続ける日航123便「JA8119号機」の墜落直前の最後の姿)

『首都東京の100キロ圏で520人が死んでも解明されない墜落原因』

政府事故調やボーイング社が絶対にありえない圧力隔壁破断説を主張して、『日航機123便』の謎の墜落から28年も無駄に経過してしまった。
日本で唯一、日航機の摩訶不思議な墜落事故の事故調査に疑問を呈していた、共産党機関紙『しんぶん赤旗』の見出しから、28年間の無駄に経過した事故調査の一端が垣間見れる。
乗員組合など航空関係者は今でも事故の真相解明を求め続けているにも拘らず、他の朝日毎日読売など商業紙では政府の事故調の杜撰調査の疑問点を指摘した記事は残念ながらほとんど無く、ゼロに近い有様である。

『新聞の「見出し」から見えてくるもの(日本全体の劣化の進行と世相)』

日本の無条件降伏から68年。
日本が病的に右傾化していることは今では世界のマスメディアが指摘するが、320万人の日本人の命が失われた戦争の記憶が時間の経過と共に益々薄れていく影響で、肝心の日本国内では心配する声は小さい。
『自虐史観』であるとして、何とか『日本の悪い過去』を隠したい自民党政府の運動が大成功したのである。
日航機123便墜落から28年。
原因不明で突然520名の命が失われたことに何故かフタをして忘れたい日航や政府、自衛隊などの隠蔽工作は大成功して『不幸な事故』程度に矮小化されて、今ではマスコミに真相究明の声は完全に無くなって仕舞った。
たったの28年で御巣鷹の『不都合な真実』が完全に忘れられたのなら、68年前のもっと不都合な真実なら『完璧に忘れる』のも当然なのである。

『恐怖のバーティカル・リミット(生存限界の高度を超えた世界)』

1960年代に中国とインドの間のマクマホンラインを巡り本格的な軍事衝突が勃発。
マクマホンラインとは辛亥革命で清帝国が滅亡した隙を突いてイギリスが1914年に『チベット独立』を宣言、英領インド帝国と独立チベットの新たに取り決めたヒマラヤの山岳地帯の国境線のこと。それまでヒマラヤ山脈の南側の裾野にあった国境線は山稜(峠)に付け替えられる。
何故大英帝国のチベット独立が非難されないのに、大日本帝国の満州国独立だけが一方的に非難されるのか。(片方が正しいなら間違いなくもう一方も『正しい』となる)これは欧米のダブルスタンダードである。
5~6000メートルの峠を取り合った国境紛争はチベット高原に駐留する中国軍が完勝するが中印衝突が一方的な結果に終わった理由は中国軍が強かったからではない。
インド軍は行軍するだけで肺水腫など高山病で死亡して、まともに戦争が出来なかったからだった。
旅客機の巡航高度は8000~10000メートルで空気圧は3分の1、気温はマイナス20度以下の超低温の極限の世界である。
ヒマラヤ登山では数週間かけて徒歩で徐々に高度を稼ぐから体が順応して耐えられるが、瞬間的にエベレストの頂上に放り出されれば誰一人も生き延びれない。
圧力隔壁破断によって垂直尾翼が客室の空気圧で吹き飛んだとの事故調説は『最後まで与圧が保たれていた』との生存者の証言で間違いが明らか。
4人の生存者の存在そのものが事故調結論を吹き飛ばしている。
旅客機が飛ぶ巡航高度の8000メートルはバーティカル・リミットを越えた世界なので誰一人も生き延びれない。

『圧力隔壁原因説の歴史を、新聞の「見出し」からみる』

1985年(昭和60年)8月14日(水)(日航機が御巣鷹に墜落した1985年8月12日の2日後)
『医療用アイソトープ  92個積む 事故機』(毎日)
『積み荷の中にアイソトープ 「危険なし」確認』(山陰)
『積み荷に放射性同位元素 関西の病院へ輸送中』(赤旗)
8月15日(木)(墜落から3日後)
 『事故調査員が来日  放射性物質の破片6個回収』(朝日)
『三崎沖に尾翼の一部 神奈川 赤いツルマーク付き  筋状で〝へこみ〟2本』  『回収の尾翼部分 引きちぎられた状況?』  
『7年前の〝しりもち事故〟に遠因か  体験者から手記と写真』(赤旗)
『レコーダー回収 相模湾では部品が次々と』(毎日)
『日航機の垂直尾翼破損 金属疲労か落雷か 機体修理の影響も フラフラ飛行のナゾ解ける』(毎日)
『垂直安定板 ねじれた?へこみ 進行方向左側めくれあがる』(毎日)
『自衛隊の出動が手間取りすぎた』(読売)
8月16日(金)
『「老朽化が早い大型機」 7年前すでに指摘 米連邦航空局 整備強化など要請 日航墜落機も老朽領域に』(赤旗)
8月17日(土)
『日航機尾翼の空中分解 「隔壁」破裂が有力 与圧空気噴き上げ 〝しりもち事故〟(大阪空港)で劣化?』(毎日)
8月18日(日)
『日航の刑事責任追及へ 警察当局 機体構造原因説を重視 ジャンボ機墜落  隔壁回収に全力 運輸省調査委』(山陰)
『尾翼の大半、失っていた 墜落日航機 強い与圧空気で 方向舵など一瞬に 破壊の全容解明 ボーイング社は隔壁破壊墜落説否定 同型300機、飛行停止も 英紙報道』(毎日)
8月19日(月)
『隔壁部分など入念に調査 運輸省事故調査委』(山陰)
8月20日(火)
『日航機墜落 隔壁前「荷物室で破壊」 乗務員の会話確認 ボイスレコーダー分析 隔壁破裂を裏付け』(毎日)
8月21日(水)
『新たなナゾ呼ぶ音声記録 機内減圧記録に疑問』 『関係者ら全内容、肉声の公表を』(赤旗)
『減圧まで相当時間 日航機の音声記録』(朝日)
『異変収納庫で始まった 日航機ボイスレコーダー 隔壁そば、天井落下 直後に「緊急降下中」 「隔壁」重大な絡み 衆院委集中審議 運輸省が認める』(読売)
9月1日(日)
『データ解析任せろ 日航機事故 米調査団が強硬姿勢 原因究明巡り摩擦』(山陰)
9月7日(土)
『墜落日航機 7年前の〝しりもち事故〟 隔壁修理に手落ち? 米当局明かす リベット一列不足』(毎日)
9月8日(日)
『墜落日航機 しりもち修理でミス ボーイング社が認める 隔壁のリベット不十分』(赤旗)
『墜落日航機 ボ社修理ミス認める 隔壁の接合不完全 一列のリベット継ぎ板を貫通せず 構造の欠陥は否定』(朝日)
9月9日(月)
『アメリカまかせ露呈 修理ミスは隔壁左側 中継ぎ板の長さ不足』  『修理ミスで他機への波及くい止め? ボ社の狙い指摘する声も』(赤旗)
9月11日(水)
『墜落日航機 隔壁に金属疲労痕 調査委 事故との関連追及  隔壁上部にもへこみ5ヵ所 運輸省明かす』(朝日)
9月12日(木)
『原因究明へあらゆる可能性探れ 当面の焦点は「隔壁」 不可解な海中捜索、実物実験  尾部残骸に隔壁材が付着 飛行中破裂裏づけか』(赤旗)
9月14日(土)
『墜落日航機隔壁疲労痕 新旧接合部分に集中 墜落主原因の可能性』(朝日)
9月15日(日)
『日航機事故第2次報告 接合部に金属疲労 ボーイング社修理ミスを裏付け』(朝日)
『隔壁、一気に破裂 機内の空気、〝超音速〟で噴出  機体搬出に着手 事故調査委』(毎日)
9月19日(木)
『墜落日航機の隔壁 たばこのヤニ付着 破裂の前から亀裂の証拠 隔壁の分析作業始まる』(毎日)
10月31日(金)
『垂直尾翼見逃すな 日航機事故調査委 相模湾海底捜索へ』(山陰)
11月12日(火)
『ジャンボ機 内圧に弱い尾翼 ボ社がデータ 与圧の半分程度で破壊』(毎日)
11月28日(木)
『日航機事故 相模湾捜索空振り 調査委、何も回収出来ず』(赤旗)
12月7日(土)
『設計変更含め改善勧告 日航機墜落で米安全委 原因 隔壁破裂とほぼ断定』(朝日)
12月20日(金)
【補】 慰霊碑関係は日航の負担で 群馬・上野村長 (赤旗)
『隔壁の疲労亀裂大きく進行 修理、検査の不備浮きぼり 日航機事故で第三次中間報告』(赤旗)
『リベット部分の6ヵ所で切断 疲労亀裂-限界状態で飛行 隔壁の修理ミス部分 日航事故調査委報告』(赤旗)
『墜落日航機の圧力隔壁 事故前に亀裂計29センチ 金属疲労ボ社修理部分に集中 調査委が第3次報告』(朝日)
『墜落日航機 修理部分に亀裂集中 調査委3次報告 通常飛行耐えぬ状態』(毎日)

1986年(昭和61年)
1月3日(金)
『日航機事故 垂直尾翼に破裂痕 隔壁の空気圧裏付け』(朝日)
1月8日(水)
『日航機事故 垂直尾翼の一部発見 東京・奥多摩の山林 破壊解明に手掛かり』(赤旗)
2月10日(月)
『日航ジャンボ惨事 墜落機に大量のウラン 200キロは未回収のまま』(赤旗)
3月31日(月)
『「隔壁主因説に疑問」 急減圧の動物実験から 日航機事故で乗員組合』(山陰)

1987年(昭和62年)
2月7日(土)
『日航機墜落 恐怖の迷走を再現 調査委が実機飛行実験』(山陰)
3月12日(木)
『1秒以内で操縦不能に 乗員にミスなし 日航事故調査委 最終報告の原案』(朝日)
3月18日(水)
『航空局元検査官が自殺 日航機事故の尻もち事故担当者 警察の聴取の後』(赤旗)
6月20日(土)
『大きな禍根尾翼部品の未回収 残る疑問さらに究明を 日航機墜落事故の調査委報告』(赤旗)
『調査に超えられぬカベ ボ社の隔壁修理ミス 原因説明不十分に 武田・事故調委員長』(毎日)
『日航機事故最終報告書 修理ミス原因解明できず』 『ボ社直接聴取拒む 責任追及 日米の違いが壁』 『隔壁破壊前に緊張の声』 『操縦室はマスク未着用 解析及ばずナゾ残す』(中国)
6月21日(日)
『過失の証明〈下〉 不可解 欠落した修理ミス原因』(毎日)
6月24日(水)
『ジャンボ機事故 最終報告書を読んで』 『欠ける〝再発防止〟の視点』 『あまりに多い未解明部分』(山陰)
7月27日(月)
『日航機事故 ボ社隔壁修理に疑問』 『遺族がシンポ 調査委報告に批判』(赤旗)
8月8日(土)
『8・12連絡会 「最終報告書」でアンケート 9割の遺族が〝不満〟』(赤旗)
8月12日(水)
『原因の徹底究明を 航空労働者の4団体が声明』(赤旗)
12月14日(月)
『日航ジャンボ機墜落事故 隔壁破壊説異議あり』 『TDA副操縦士が論文 原因は方向舵の異常 「急減圧はなかった」』(山陰)

1988年(昭和63年)
4月20日(水) 
『設計製造責任ボ社側が否定 日航機事故口頭弁論』(朝日)
『修理ミスと因果関係 日航機墜落でボ社認める 東京地裁口頭弁論』(山陰)
8月2日(火)
『真相究明に米側も協力を』(朝日社説)
8月13日(土)
『日航機事故担当者の事情聴取コメントできない ボ社副社長』(毎日)
『日航機事故 原因の徹底究明を 航空安全会議などが提言』(赤旗)
12月2日(金)
『日航墜落事故県警書類送検 遺族は納得できない』 『真の障害ボ社の姿勢 政府・日航の責任不問を批判』  『真相解明が悲願なのに 遺族  安全、整備の質よくない 日航』 『許せないボ社の聴取拒否  事故の体質を温存した送検 遺族会が批判の声明』(赤旗)
『〝片翼捜査〟 「ボ社の責任は…」 日航機事故送検』(朝日)
『〝ボ社抜き送検〟に怒り ジャンボ機事故遺族ら 米当局と交渉続行を ボ社「遺憾」の声明』(毎日)
『被疑者不詳「納得いかぬ」 日航惨事書類送検』 『遺族、声震わせ 悪夢から3年3か月 ボ社へ怒り新た』 『書類送検者の氏名』(読売)
『日航機墜落 20人を書類送検 過失競合の責任問う 運輸省4人 日航は12人 ボ社4人は不特定 群馬県警』(朝日)
【刑】 日航機墜落事故 「3者の競合過失」 ボ社、日航、運輸省 20人を書類送検 群馬県警 (毎日)
『不完全な責任追及 日航幹部、航空行政も不問 日航機事故送検』  『石原運輸相の話 金沢昭雄警察庁長官の話』(毎日)
『日航機事故で20人送検 ボ社は被疑者特定できず 群馬県警』(山陰)

1989年(平成元年)
5月25日(木)
『日航機事故 油圧系統の設計などに問題 東京地裁 元ボ社技師が証言』(赤旗)
『元ボ社上級技術者が機体設計ミスを証言 日航ジャンボ機墜落』(毎日)
8月12日(土)
『ボ社関係者を聴取か 刑事責任の立証は微妙 日航機事故の捜査大詰め』(山陰)
9月14日(木)
『日航機事故不起訴へ ボ社作業員の聴取断念 前橋地検』(山陰)
9月15日(金)
『日航機墜落事故 関係者全員不起訴に 東京・前橋地検が方針』  『〝死んだ者は犬死に〟 遺族、口ぐちに怒りの声』(赤旗)
『納得できぬ日航機事故の処分』(朝日社説)

1990年(平成2年)(御巣鷹から5年後)
1月17日(水)
『日航に隔壁を返還しないで 前橋地検に 遺族団体が上申書』(赤旗)
1月18日(木)
『ジャンボ事故 地検、日航に証拠返す 圧力隔壁など14点 遺族の声を無視』(赤旗)
6月6日(水)
『日航機事故再捜査に着手せよ 梓沢和幸』(朝日新聞『論壇』投稿記事)
6月23日(土)
『日航機惨事 検事総長に起訴要望 遺族会「原因究明のためにも」』(赤旗)
7月13日(金)
『「ウソでしょう どうして」 怒り、無念さ胸に 遺族 6度目の「夏」直前  日航機事故不起訴確定』(毎日)
8月3日(金)
『日航機事故 「真の原因わからぬ」 地検検事正遺族に発言』 『修理ミス説に疑問』 (毎日)
『日航機事故5年、近付く時効』 『理解できぬ「原因不明」 前橋地検検事正の発言に遺族ら』 
『検証 「圧力隔壁主犯」説 事故調報告を基に捜査しながらなぜ』(毎日)
8月4日(土)
『日航機事故説明会 〝真の原因わからない〟 検事正発言に遺族ら反発』(赤旗)
8月5日(日)
『日航機事故 不起訴納得できない』 『最高検、高検は指揮監督権発動を 遺族らが申立て』  
『空の安全願い「慰霊」の行事 事故から丸5年』(赤旗)
8月12日(日)
『10月に遺族渡米 ボ社工場を訪問  圧力隔壁は返還へ』(毎日)

1992年(平成4年)
8月13日(木)
『御巣鷹 日航機墜落から7年 〝事故原因うやむやイヤ〟と遺族』
『不安全要素の一掃を 航空労働者4団体が声明』(赤旗)

1993年(平成5年)
7月31日(土)
『御巣鷹に「安全の鐘」』読売)

1994年(平成6年)
8月6日(土)
『事故調報告に重大な疑義 日航ジャンボ機墜落から10年目』
『航空労働者が安全確立求め声明』  『解説 急減圧説否定する衝撃的な声明』(赤旗)
8月12日(金)
『ジャンボ機墜落10年目 御巣鷹に石碑建立 事故防止祈り遺族ら除幕』(山陰)

(1995年(平成7年)御巣鷹から10年後)
8月7日(月)
(主張・解説) 『日航ジャンボ墜落 米スタッフ10年後の証言 修理ミスの原因なお不明』
『米の自主的解明必要 事故原因は米側が発見 今も口重いボ社関係者 国際協力調査に不可欠』(朝日)
8月12日(土)
『空の安全に時効はない 日航機墜落事故から10年』  『事故はなぜおきた 疑義多い123便の墜落原因』  
『整備部門の実情は コスト削減で海外委託拡大 事故調査委のあり方は 再発防止に役立つ機関に』(赤旗)
8月29日(火)
『85年の日航機墜落 米軍ヘリ、2時間後現場に』 『救援活動は直前に中止命令』 『米軍準機関紙で当事者が手記』(赤旗)
『日航機事故 直後現場に米軍ヘリ 準機関紙に元中尉証言』 『帰還命令、救出せず』 『生存者増えた可能性』(朝日)
8月30日(水)
『あ然 GI証言』 『日航機事故 墜落2時間後上空にヘリ』 
『「帰還命令で救助せず」 救助隊到着は12時間後』(毎日)
8月31日(木)
『午後7時20分、墜落現場をつきとめた』 『85年の日航機事故 米軍準機関紙での 米空軍中尉(当時)の手記』
『日本の現場到着は12時間後』、  『早ければもっと助かった』 『2時間後、海兵隊が救助に…指令部は「引き返せ」と』  『落合さんの説明を読みゾッと…もし救助が許可されていたら』(赤旗)
9月1日(金)
『85年日航機事故 元米軍中尉証言の背景は… 米軍 なぜ救助中止した』 『自衛隊 現場発見の遅れは』(赤旗)
9月3日(日)
『日航機墜落事故 元米軍中尉にインタビュー (自衛隊、米軍とも)もっとなすべきことあった』 『(墜落直後)自衛隊の偵察機みていない』 『事故報告書と食い違う証言 真相究明へ再調査を』(赤旗)
9月10日(日)
『10年目の新証言 日航機墜落の2時間後 米軍ヘリが現場に』 『「救出直前、Uターン命令」 米軍機乗員が手記』 『かん口令が出されたのは 自衛隊の発見遅れたのは』(赤旗・日曜版)
(垂直尾翼の無い日航123便を追尾したC130H輸送機は在日アメリカ空軍中尉の操縦士の証言で明らかになる。
いち早く群馬県の墜落現場に急行して遭難者を救助しようとしたUH1救難ヘリの所属は、初期報道では横須賀の海兵隊特殊部隊だった。その後米海軍厚木基地になり最終的に米陸軍座間基地所属の救助隊に確定)

1996年(平成8年)
8月10日(土)
『日航機墜落事故から11年 なぜ遅れた自衛隊の救援活動 位置ずらしたのは意図的?』 『計測は群馬、発表は長野 自衛隊関与の有無確認?』(赤旗)
『疑義多い123便の墜落原因』(赤旗)
『重ねて原因究明求める 航空労働者が声明を発表』(赤旗)
8月13日(火)
『日航機墜落から11年 無念こらえ追悼登山 真相解明を求める遺族ら』(赤旗)

1997年(平成9年)
8月13日(水)
『日航機墜落から12年 「事故を風化させないで」 空の安全に時効なし 事故原因も救助の遅れも いまだ解明されず』 
『問われる日本の事故調査 再発防止は二の次 長時間乗務や手抜き整備・・・ すすむ規制緩和』(赤旗)

1999年(平成11年)
8月12日(木)
『日航ジャンボ機墜落事故から14年 事故調査報告の「隔壁破壊」説は「間違い」』
『「急減圧」はなかった 米大学の実験で検証』(赤旗)
『日航機墜落事故 科学的根拠乏しい事故調報告 事故原因の再調査を』(赤旗)
8月13日(金)
『〝今年も会いにきましたよ〟 15年目の御巣鷹山 「原因究明して」と遺族ら』(赤旗)

2000年(平成12年)(御巣鷹から15年後)
8月5日(土)
『運輸省事故調 日航機墜落資料を廃棄 情報公開法施行控え?「保存期間切れた』 (毎日新聞)
8月6日(日)
『日航ジャンボ機御巣鷹墜落事故 機長らは車輪に注目』 
『事故調「圧力隔壁説」と食い違い』『 本紙入手 ボイスレコーダーで判明』
『隔壁破壊ではなかった 真相追及する元日航パイロット 藤田日出男さん』(赤旗)
『日航機御巣鷹墜落 ボイスレコーダー入手で明らかになったもの』
『真の原因究明へ手がかり』 (赤旗)
8月8日(火)
『運輸省事故調 日航機墜落の資料廃棄』『内部文書で判明 情報公開法の施行直前』(赤旗)
8月12日(土)
『日航123便墜落から15年 ~疑問深まる事故調査報告~ 本紙入手 ボイスレコーダーが語るもの』
『破壊音直後の操縦室 くい違う事故原因』『航空労組など声明を発表』(赤旗)
『真相究明は終わっていない』(赤旗社説)
『日航機墜落きょう15年 「圧力隔壁説」に???』
『機内与圧低下の影響見られず』 『在日米軍、現場降下直前に帰還』
『遺族に知らせず関連資料廃棄』  『「原因納得できるまで風化させてはならぬ」 ベテラン機長』(毎日新聞コラム『深層』)
8月13日(日)
『日航機墜落追悼登山 ボイスレコーダーの新事実』 『遺族も真相解明求める声』 
『資料廃棄許せない、追及して』(赤旗)

2001年(平成13年)
4月13日(金)
『日航機墜落事故 〝音声記録の相違調べる〟 緒方議員の参院委質問に 国土交通相が答弁』(赤旗)
8月12日(日)
『御巣鷹・日航事故 「隔壁破壊」と矛盾データ 本紙入手 低酸素症の実験記録』(赤旗)
8月14日(火)
『一番の願いは真相究明 日航機事故で追悼登山 御巣鷹』(赤旗)

2002年(平成14年)
8月13日(火)
『事故の再調査を要求 航空労働者、3団体が声明』(赤旗)

2003年(平成15年)
8月12日(火)
『日航機墜落事故18年で声明 航空の3団体』(赤旗)
8月13日(水)
『日航機墜落御巣鷹へ追悼登山 18年はあっという間でした』 『〝真相究明を〟〝風化させない〟』(赤旗)

2005年(平成17年)(御巣鷹から20年後)
8月6日(土)
『御巣鷹の夏 -日航123便事故20年-』(連載の2)『捜索・救難の遅れ』『不可解な自衛隊の動き』(赤旗)
8月7日(日)
『 御巣鷹の夏 -日航123便事故20年-』(連載の3) 『事故原因は何?』 『疑問多い調査報告書』(赤旗)
『いまも残る疑問 設計上の欠陥 遅れた救助』 (赤旗・日曜版)
8月11日(木)
『あす日航機墜落から20年 遺族の武田屶さん(七〇) 妹は助かったかも』 
『再調査求め続けて』(赤旗)
8月12日(金)
『きょう日航機事故から20年 御巣鷹山 遺族ら犠牲者を追悼』  『日航8労組が声明 現状の安全対策を批判』(赤旗)
『日航ジャンボ機墜落から20年 事故原因くすぶる疑念』 『失われた命重い教訓に 外部説が次々 「安全が基本」』 (中国新聞コラム『表層深層』)
10月2日(日)
『墜落ジャンボ機残存機体保存へ 日航社長が方針転換』(赤旗)

2006年(平成18年)
4月21日(金)
『破壊座席や隔壁展示 日航機墜落事故忘れまい』(赤旗)

2008年(平成20年)
8月12日(火)
『日航ジャンボ機墜落事故 遺品を一般公開へ』(赤旗)

2009年(平成21年)
8月13日(木)
『いまだ消えぬ「なぜ」』『日航機墜落24年』『遺族らが追悼登山』(赤旗)

2010年(平成22年)(御巣鷹から25年後)
1月20日(水)
『日航が更正法申請 事業会社破たんで戦後最大』(赤旗)
8月10日(火)
『25年後の夏 日航機事故 -上- 隔壁破断「修理ミスでは」 米調査官、破片で見抜いた』 (読売)
8月11日(水)
『日航123便墜落から25年 安全求め続ける遺族 〝独立した調査機関を〟』(赤旗)
『日航123便墜落から25年 矛盾多い事故調の推論』(赤旗)

『劣化し続ける日本』

敗戦から現在までの68年の日本の軌跡と、墜落事故から今までの28年の御巣鷹の報道記録がシンクロしていて、図式がぴったりと重なるから面白い。
御巣鷹の事故から10年目の1995年。垂直尾翼の無い日航機を追尾していた米軍C130パイロットの爆弾証言で日本中が大騒ぎになる。
いったんは盛り上がった自衛隊の人命無視の犯罪的サボタージュの告発も、あっという間に尻すぼみ。
翌年の1996年を最後に、すべてのマスコミ報道から一切無くなった。
政府事故調の圧力隔壁破断説の批判(矛盾点)は、主に共産党だけが取り上げていた。
ところが事故後25年目の2010年を最後に、とうとう最後の砦だった赤旗の『見出し』からも、事故調の杜撰な結論を疑う言葉が無くなって仕舞う。
『見出し』から無くなって2年後の2012年を最後に、記事内からも一切無くなっていた。
その後は全てのマスコミ記事は情緒的な『慰霊と追悼』一色に塗り潰されて仕舞うのである。
(朝日産経読売など他紙は最初から慰霊一色で、僅かに毎日だけが辛うじて若干の疑問点を書いていた)
今までは辛うじて残っていた、前代未聞も巡航中の(未だ不明の)『史上最大の航空事故の事故原因の解明を求める』との健全な科学的姿勢が、日本の社会全体から完全に無くなっているのです。

『変わらない客観的事実(真実)。すっかり変わった日本社会』

『むざんやな甲の下のきりぎりす』(全ての人々から、真実が忘れられる『忘却』の不幸)
今でも墜落事故の真実を知っている乗員組合など航空関係者は一貫して再調査を要求し続けているのですよ。しかし(メディアは満場一致で)今では誰も相手にしない。
挙国一致で、『過去の不都合を忘れたい』のである。
これ以上の不幸があるだろうか。
赤旗は『大政翼賛による大本営発表』の流れに最後まで抵抗して孤塁を守っていたが、最後には敗北する。
20年前と名前は同じ赤旗だが書いてある中身が完全に劣化して、何時の間にか他紙と同じになっていた。
日本国にとっても共産党にとっても『無残である』としか、言い様がない悲惨な有様。
これでは日本の社会全体が劣化するのもむべなるかな。
何とも致し方ない成り行きである。

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2013-08-15 19:04:40
神戸・元町からの気まぐれ日記
8.15は、韓国の祝日「光複節」である。 2013/8/15(木) 午後 4:33  
日中戦争から第二次世界大戦にいたるまで、日本帝国主義軍隊は、約2000万人ほどのアジア人民を殺害した。戦争行為により殺された日本軍属は230万人程度である。安倍総理は、敗戦記念の日、だれに対してまず謝罪と誓いを述べなくてはならないか。
靖国神社に奉られる輩は、日本帝国主義の尖兵として戦地に赴き、半分以上は戦闘行為も行わず餓死した。いわば犬死にである。これを強いたのは、昭和天皇・大元帥に他ならない。
 戦没者追悼式は、天皇列席の下、「君が代」斉唱に続く式辞で、安倍首相は「あなた方の犠牲の上に、いま私たちが享受する平和と繁栄がある」と戦没者を哀悼。「世界の恒久平和に能うる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くす」と誓った、そうだ。なんの罪もないアジアの民衆を2000万人も殺しながら、殺された側への配慮のかけらもなく、殺しにいった兵隊を、尊崇の念で奉る、という。
  アジアの人民から尊敬されないのは当たり前だ。
過去は水に流し、未来は風まかせ (宗純)
2013-08-16 10:19:02
神戸さん、はじめまして。

日本の劣化が今急速に進んでいます。10年ほど前から比べれば驚くほどですよ。もちろん20年前から比べたら言葉を失う水準です。
頭が空っぽで目が節穴のネットウョとか安倍晋三ですが、『過去を知らない』の一言に尽きるでしょう。
ただしこの現象は何もネットウョに限定されていないで、社会全般であるとことが日本の最大不幸でしょうね。何故か日本共産党までがこの悪しき風潮に同調しているのですから不思議です。
この記事に書いたように、今の共産党(赤旗)は昔の共産党とは別ですよ。
今の赤旗記事ですが、商業紙との区別が無いくらいに劣化しています。此処に紹介している過去記事を読めば、今の赤旗と違いが歴然なのです。
「日本文化における時間と空間」加藤周一
2013年06月23日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/28d14142157fc73bec08215e377cee06

ただ、今の最大のニホン国の問題点は病的な右傾化ではなく未だ収束する気配さえない福島第一原発ですよ。一刻も猶予が無い深刻な状態なのですが、何故か全員で見ざる言わざる聞かざるとの三無主義を貫いているのですが、到底『なかったことにする』作戦は成功しない。
全員一致で『無かった事にする』との日本的な作戦ですが、これまではことごとく成功していたのですね。
だから今回も成功すると思っているのでしょか。
福島県検討委の公式発表内容からでも、
福島県では100万人に1人程度の極めて珍しい小児甲状腺がんが2000人に1人の割合で発症しています。
二千人に一人が小児甲状腺癌を発症した福島県の悪夢
2013年07月28日 | 政治
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/3bd399c26f9930f5b5d457cbeab142b0
神戸さん、
投稿したコメントで指摘したように、記事中の6000人に1人は、2000人に1人の間違いです。
数字の訂正を出来る限り早急に御願い致します。
17万人の簡易な一時検査で『疑い』が出た1,140人の内、郡山市の二次検査対象者 422人と3分の1の高率。
郡山市の二次検査修了者はたった3人ですよ。うち2人が発症。
現在の福島県検討委の公式発表内容からでも、
最悪なら2000人どころか100~200人に一人の小児甲状腺がんが発症しているかもしれないのですよ。
福島の現状は、悪夢を先送りしているだけ。破滅は確定的なのです。

一部抜粋 (桁 喜世二)
2013-08-16 12:48:59
以下に書き込むのは作家星野智幸氏のコラム『黙って座ったまま』から、どうしても気になった部分の抜粋です≡日本に留学していた韓国人の友人は、ある晩、帰宅を急いでバス停に向かったものの、終バスの時刻を過ぎてしまった。ところがバス停には何人かが座って待っている。バスが遅れているのだろうか、と彼も少し待ってみたが、来る気配はない。まわりの人に尋ねたが、わからないと言う。結局、彼がバス会社に連絡して、もうバスは終わっていることを確認した。(中略)この社会は、自分たちが自分たちの意思で生きることを、諦めてしまったのだろうか。私にはそのように見えてしまう。雇用環境の激しい悪化や、震災、原発事故によるダメージを前に、その苦境を乗り越えよう闘おうという意思を放棄してしまったかのように映る。来ないバスを待って、ただ座っているかのように。まわりが座っているから自分もただ何となく座っているかのように。でもバスは来ないのだ。
私が絶望を感じるとしたら、この意思のなさについてである。(中略)けれど政府が、軍は国内外で戦えるように決めました、これはもう決定事項です、と一方的に宣言すれば、はっきりと異を唱える人は少数になり、マジョリティは黙るだけでうなずきも首を振りもしない。私にはそんな光景が浮かんでしまう。
国防関係だけではない。自由な言論の保証、基本的人権の保証、自己決定権など、より根本的な個人のあり方についてまで、黙ったままの人たちがマジョリティを占めている。現状の社会が続くようであればTPPであれ何であれ、マジョリティの沈黙を利用して、権限を持つ者の思い描いたとおりに社会は作り替えられていくだろう。
私たちは今、黙って座ったまま、主権という強大な権力を放棄しつつある。本当にそれでよいのだろうか。
国会事故調査委員会の黒川清委員長 (宗純)
2013-08-16 16:07:34
桁 喜世二さん、コメント有難うござます。

1年前に国会事故調最終報告書が日本語と英語訳では違う事が発覚して大問題になったことがありましたが、叩く時は袋叩き状態なのです。
日本語と英語訳では違う国会事故調最終報告書の怪(資料)
2012年07月12日 | 放射能と情報操作
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/3a74df603aa50a8e94f8cb5494c43c4f
日本学術会議の会長も務めた医学博士の黒川委員長の、未曾有の事故原因は『メイド・イン・ジャパン(日本製)』であるとか『日本文化こそ主原因』との主張は厳しく批判された。
特に問題とされたのは日本向けと外人向けの内容が違っていたこと。(二枚舌?)
一見とんでもないが、実はこの黒川清委員長の言い分ですが、実はまったく正しい。
日本の談合体質ですが、この文章をもしも内外で同一にしたとしたら、(談合で)間違いなく完璧に骨抜きにされて意味を為さなくなっていたのですよ。
それを考慮したなら、黒川委員長の(特に)報告書を内外別々に二種類作ったなどは最高に素晴らしく正しい。
黒川清ですが、少しも間違っていなかった。これこそが日本文化の真髄だったのですよ。多分。
『権威をなかなか問い質そうとしない姿勢』は情けないことに右翼左翼の違いが無い。
日本の場合本来ブレーキ役の存在が簡単に馴れ合いの談合構造に飲み込まれて仕舞い、挙国一致の体制翼賛会が出来上がり暴走してしまう。
その意味で日本では共産党の存在は、他国よりも重要であったのですが、現実の共産党は名前だけは同じだが中身が完全に違っている。
しかも一番の問題点は、中身が違っている事実に共産党幹部とか党員を含めて、日本の誰一人も気が付いていないらしいことですね。
これでは今後、今の日本の深刻な物事が改善されるとか、問題点がすこしでも良くなるなど、良い方に進むことは絶対に有りません。
何故なら悪い現実が見えていないのです。あるいは、悪い現実を見たく無いのです。

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