逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

飯舘村より高い千葉のホットスポット(メモ)鉢呂「放射能つけちゃうぞ」は虚報?

2011年10月13日 | 放射能と情報操作

『千葉県の公園で5・82マイクロSv』

船橋の公園で5.82マイクロシーベルト(朝日新聞) 2011年10月13日 千葉県船橋市の総合公園「ふなばしアンデルセン公園」の一角を市民グループが調べたところ、毎時5.82マイクロシーベルトの放射線量が検出された。
市は13日、検出場所の周囲を立ち入り禁止にし、確認のため放射線量を測定する。
2階建ての施設の雨どいから、雨水が伝わって落ちる地面から高さ1センチの地点で、入場者が立ち入るところではないという。

『東京・世田谷で高い放射線量、雨で運ばれ蓄積か』読売2011年10月12日(水)
 
東京都世田谷区は12日、同区弦巻地区の住宅街の歩道で毎時2・71マイクロ・シーベルトの放射線量を検出したと発表した。
計画的避難区域に指定されている福島県飯舘村で12日に計測された2・05マイクロ・シーベルトより高く、区では、東京電力福島第一原発事故で放出された放射性物質が雨水で運ばれ蓄積された可能性があるとしている。

『世田谷の高放射線量…民家床下にラジウムか』2011年10月14日(金)
 
東京都世田谷区の住宅街の区道で高い放射線量が検出された問題で、文部科学省は13日、区道に隣接する民家の床下にあった瓶の中の放射性物質が原因だったと発表した。
がん治療などに使われるラジウム226と推定され、鉛容器などに封入して安全対策を取った。
同省では「セシウムは検出されておらず、原発事故の影響ではない」としている。同省や警視庁世田谷署は適切な届け出がされていなかった可能性があるとみており、保管状況の調査を急いでいる。






『鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!』
【週刊・上杉隆】
2011年10月13日(木)

仮に、テレビや新聞の報じていたニュースがまったくの虚報だったらどうすべきか。
おそらく、一般の人々はそのデマを元に報じられたニュースの善悪性を判断し、人物評価を下してしまうだろう。そして、それによって当事者の人生は、大きく変わってしまうことが多い。
海外のジャーナリズムでは忌み嫌われる横並びの報道を「是」とする日本の記者クラブ制度のもとでは、実はこうした被害がたびたび発生している。
ジャーナリストの浅野健一氏や山口正紀氏などが長年追ってきた「報道被害」の実例は、枚挙に暇が無い。
しかし、今回、明らかになった事例は、虚報の度合いといい、被害の大きさという点では過去にもそう例のないものだ。

火曜日、筆者が司会を務める『ニュースの深層』(朝日ニュースター)に鉢呂吉雄前経済産業大臣が生出演した。
冒頭、筆者は鉢呂氏が発したという「放射能つけちゃうぞ」発言の真意について聞いた。
『放射能と言った記憶がないのです。確かに相槌を打ったような気もしますが、それもはっきりせず、自分で言ったような記憶はない。私も長年政治家をやってきていますから、自分で言った言葉については大抵覚えております。でも、放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが、なにしろ記憶にないのです。でも、優秀な記者さんたちがみんなそう報じるので、どうしてなのかなと思っておりました』
結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していない。
発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。
だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ。

つまり、マスコミが勝手に自ら言葉を発して、何も語っていない政治家の話した言葉として勝手に報じて、勝手に責任を追及し、デマによって世論を煽り、ついには大臣を辞めさせてしまったというだけの話なのだ。

なんとばかげたことだろう。とても民主主義国家のメディアの仕業とは思えない。根拠のないデマによる集団リンチであり、ジャーナリズムの自殺行為だ。
しかも、そうした事実が明らかになった現在もなお、どの社も鉢呂氏に対して、訂正も謝罪もしていないという。ぶら下がった記者の中には密かにICレコーダーで録音し、完全にすべてを理解しているにもかかわらずである。
卑怯、ここに極まれり、といった感である。

『ジャーナリズム以前、人間としての良心すらないのか』

もはや日本の記者たちはジャーナリストとしてではなく、人間としての良心も失ってしまったのだろうか。
朝日新聞デジタル版が、言い訳がましく検証しているので、まずはそれを引用してみよう。
〈9日午前、新聞やテレビ・通信社は鉢呂氏の「放射能」発言を報じなかった。
だが、その日午前の記者会見で、鉢呂氏は原発周辺自治体を「死のまち」と表現。
野田佳彦首相は9日昼すぎ、「不穏当な発言だ。謝罪して訂正してほしい」と語り、鉢呂氏は同日夕に発言を撤回し、謝罪した。
「放射能」発言を最初に報じたのはフジテレビとみられる。
9日午後6時50分過ぎ、鉢呂氏の失言関連ニュースの最後に「防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、『放射能を分けてやるよ』などと話している姿が目撃されている」と伝聞調で伝えた。
午後8時半には自社のウェブサイトにも掲載。
この後、他のメディアも報じ始め、共同通信は午後9時過ぎ、「放射能」発言を加盟社向けに速報し、約30分後に記事を配信。
TBSは午後11時半からのニュースで報じ、NHKも午後11時59分に「経産相『放射性物質うつった』発言」というニュースをネット配信。
朝日新聞など新聞各社も10日付の朝刊で発言を大きく扱った。

一方、発言内容や自社の記者が現場にいたのかどうかの表現は、社によってばらついた。
毎日新聞は「毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつけるしぐさをしながら『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と報道。
9日に報じなかった理由は「経緯についてはお話ししかねる」(社長室広報担当)という。
同様に自社の記者が現場にいたことを明らかにしている共同通信は「鉢呂氏が突然、記者の一人にすり寄り、『放射能をうつしてやる』という趣旨の発言をした」と報道。
同時に、経済部長名で「『死の町』発言で、原発事故対策を担う閣僚としての資質に疑義が生じたことで、前夜の囲み取材での言動についても報道するべきだと判断した」というコメントも配信した。
他のメディアでは、産経新聞、東京新聞、テレビ東京、時事通信が「囲み取材には参加していなかった」としており、東京新聞は紙面で共同通信の配信であることを明らかにした。
日本テレビ、TBS、テレビ朝日などは取材に対し、取材の過程については答えられない旨を回答。
フジテレビは「取材の結果、報道する必要があると判断した」とし、記者が現場にいたかは明らかにしていない。
朝日新聞の渡辺勉・政治エディターは「8日夜の議員宿舎での発言の後、鉢呂氏は9日午前の記者会見で『死のまち』とも発言。閣僚の資質に関わる重大な問題と判断して10日付朝刊(最終版)で掲載した」と話す。
辞任会見で鉢呂氏が、議員宿舎での取材を「非公式の懇談」と語ったことについては「議員宿舎の玄関付近での取材は自由であり、扱いについて特段のルールはない」としている。
こんな程度の取材でニュースを作れるとは日本の記者たちはずいぶんとお気楽な職業に就いているものである。

『虚報による政治家の社会的抹殺  マスコミの罪はテロ行為にも等しい』
 
そもそも「死の街」発言についても、福島県民からの苦情が殺到しているように報じられていたが、鉢呂事務所にはそうした声は届いていなかったという(鉢呂氏)。
むしろ、「がんばれ」という激励の声が多数寄せられていたそうだ。
それもそうだろう。
鉢呂氏は、大臣就任前から一国会議員として福島県に通い、放射線量の測定や、小学校や保育園の除染の徹底、そして暫定基準値の20ミリシーベルトから1ミリシーベルトへの引き下げを訴え、菅首相(当時)に直訴していた数少ない政治家の一人だったからだ。
大臣辞任直前には、「鉢呂氏を辞めさせないで」という署名運動が福島県内で始まっており、まさに「死の街」という事実をきちんと告知してくれたことへの感謝の言葉すらあったのだ。
それが、なぜか、マスコミのフィルターにかかると、福島県内で非難の声が多数あがったということになる。
だが、そのほとんどが匿名だ。
一方、鉢呂氏の発言はその通りだとするのはたとえば、南相馬市のエム牧場の吉村農場長や、同じく南相馬の桜井市長など実名での発言となっている。
マスコミのデマによって職を追われた鉢呂氏は、ずっと「放射能つけちゃうぞ」などという言葉は発していないといい続けてきた。
だが、その反論をまともに取り上げるメディアはなく、事実上黙殺された。
発言していないデマによって、ひとりの政治家を葬るのはまさしくテロ行為に等しい。
メディアは恥を知るべきだ。
いまからでも遅くない、もう一度、自らの稚拙な取材を検証しなおしてみるべきだ。

そして、当事者の鉢呂氏も「もう、大臣を辞めてしまったからいい」と自らのことばかりを考えるのではなく、今後の民主主義と若い政治家たちのために、きちんとした対応をすべきなのである。
放送に関してはBPOに訴えるのもよし、あるいは名誉毀損で裁判を起こすのもよし、いずれにせよ、こうした卑怯な振る舞いに対しては断固とした措置を講じるべきなのである。
仮に、こんな卑劣なデマ報道が許されるとしたら、それはジャーナリズムのみならず、民主主義の死を意味する。
嘘によって、選良である代議士を葬ることは、代議制民主主義、ひいては国民への裏切りに他ならない。


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8 コメント

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偏差値仕様の空虚なお坊ちゃん集団 (あおぞら)
2011-10-13 15:20:16
 まともな人生を送る者なら誰でもすぐに気が付く話だろうと思いますが、マスコミ界に棲息する者達というのは、偏差値的な価値観(虚構の知)にすがり付く空虚なお坊ちゃん集団なのだろうと思います。私自身何度も体験しましたが、彼らは自分よりも下と見る者の業績等々は、それこそ執拗にこき下ろす習性を、ほぼ例外なく持ち合わせています。教育なる場所で仕込まれた虚構(で悪ければ仮構)の知よりも、人が実体験から抽出した知のたぐいの方が説得力や表現力があるのは当たり前の話なのですが、これは死んでも認めたくない。いわゆるエリート記者達と関わる中で、この種の馬鹿げた体験をした者は相当数いるだろうと思っています。世知にたけた非エリート達がまず身に付ける処世は、彼らの前では決して優位性のたぐいは見せないこと。この暗黙の約束事の上にこの国の階層構造は成り立っていると言っていいのだろうと思います。例えばかつて、禁を破った「土建屋宰相」があれほど貶められたベースには、封建期に形成され、明治期に官僚エリート養成のために再構築され、今では民衆の中ですら無批判に受け継がれている静的・朱子学的な知の階層構造―、これに根ざした差別の意識と感情があったのだろうと思います。実在に根ざした意思も強さも持ち合わせない空虚な知。この種のものの上に腰掛ける者達が、その場や目先の損得打算(空気)で態度を決め、良心のかけらも無い言葉を書き連ねて生身の人を追い落とすのは、むしろ当然の成り行きなのだろうと思う次第です。
少し、おかしくないですか? (伴睦)
2011-10-13 15:49:40
上杉隆氏によれば、

>発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。
だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ。<

>毎日新聞は「毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつけるしぐさをしながら『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と報道。<

「防護服」とは、放射性物質管理区域(原発施設の特別管理区域等)もしくは放射能汚染区域に立入る場合に着用を義務付けられているものであり、それ自体で被爆を防ぐ訳ではなく、放射性物質のパーティクルの肌や衣服への付着を防ぐ目的のものであります。
従って、脱衣後は水洗し、水洗水は浄化・フィルタリングして残滓は低レベル廃棄物としてドラム缶封入して保管が義務付けられております。
仮に、鉢呂氏が防護服着用のまま議員宿舎へ戻ったのならば、明らかに違法行為であり、更に、記者へ向かって擦り付けようとしたのならば、トンデモナイ所業と言わざるを得ません。

しかし、これが単なる「防災服」であったのであれば、「アホなおっさんのおチャラケ」で終わってしまいますし、翌日の「死の町」発言も当人にとっては視覚的印象としての「直接表現」であったのだろうと思います。

上杉隆氏がマスコミのテロ云々言う前に、ジャーナリストとして「真実の見極め」を怠った論旨ではないでしょうか?


なんとも不思議な、腹立たしい話 (宗純)
2011-10-14 10:04:59
あおぞらさん、コメント有難う御座います。

この鉢呂経済産業大臣の辞任劇ですが、アメリカからのTPP交渉の最大の障害と看做されたので、因縁をつけられたと見るのが一番正しいのではないでしょうか。
マスコミですが、確かに異常です。
報道は各社色々でまとまりが無く具体性が希薄。
ところが辞任要求だけは金太郎飴状態で全く違いが無い。
仰られているように上から目線の、『お前達が何時からそんなに偉いのか』と言いたくなるような、目に余る尊大な態度である。
報道機関としての節度を踏め外した、度外れた腹立たしい『思い上がった』不真面目な態度なのです。
ところが鉢呂大臣の方でもまともに反論しないのですよ。
勿論野田総理なんかは最初から全面屈服して鉢呂の謝罪を要求する始末。
力関係が明らかにマスコミ>>首相>経済産業大臣になっている。
権威や権限があるはずの一国の大臣がマスコミにかかってはまるで赤子の手を捻るが如く、ひとたまりも無いのですね。
いくら何でもこれは酷すぎるのですが、これ程マスコミの力を見せ付けた事件も珍しいのですね。今まででの例が無いのですよ。田中角栄など追い落とすまでには沢山の時間と労力がいったのですね。
マスコミの力が水爆なみに凄まじすぎるのです。
ですから『マスコミだけの力ではない』可能性が高い。
鉢呂バッシングの意味は、バックにいるアメリカの意向が大きいでしょう。
これはアメリカの国務省が直接大手マスコミ首脳陣にバッシングを命令したとの意味ではなくて、日本独特の『相手の思惑を忖度』して、真っ先に言われる前に従う超日本的システムは稼動していた可能性が高い。
敗戦後の日本の文部省が、それ以前の教科書を『軍国主義を助長した』として墨で黒塗りにした話は有名ですが、何かGHQに命令されて日本側が教科書に墨の塗ったのではなくて、この話の前後が逆なのですよ。
アメリカ占領軍が動く前に、日本側が真っ先にアメリカ政府(軍)の意向を忖度して行動していたのですね。
絶対天皇制の官僚組織は、8・15以後に即座にアメリカ制民主主義の官僚組織に中身は同じなのですが看板を挿げ替えたのです。
ですから今回も同じような日本的な嘆かわしい『墨塗り事件』が起きたのでしょう。
少しどころか (宗純)
2011-10-14 11:25:46
伴睦さんコメント有難う御座います。
少しどころか最初から最後まで辻褄が合いません。今までにこんな例が一回も無かったのです。

先ず、上杉隆氏が指摘しているように事実関係が明らかではないのですよ。
これでは新聞などの報道機関としては失格で、信用度ゼロの怪しげたイエロージャーナリズムと同じ不真面目さ。
これは信用が新聞よりも低い週刊誌でも今回の様な『・・・のような趣旨の発言』などとは書かない。
必ず『・・・と発言した』と断定する。
断定するから『活字』として新聞記事に出来るのですし、読者の方も満足する。
ところが今回は誰でもが行う、その約束事が守られていない。
これでは一般市民が書いている個人のブログでも、『具体的には如何なのだ。』と、読者に突っ込まれるでしょうね。
これはマスコミ側だけでなく鉢呂の方でも同じ態度なので、もっと不可解なのですよ。
通常、有り得ないのです。
芥川龍之介の『藪の中』やりももっと不鮮明。
『藪の中』では各人が別々ではあるが『・・・だった』と断定しているから、話が盛り上がるのであり、これが今回の鉢呂事件みたいに関係者全員が『良く覚えていない』では話にも何も、馬鹿馬鹿しすぎて盛り上がりようが無いのですよ。
誰もが具体的に『・・・だった』と言わないのですよ。
何を恐れているのでしょうか。
不思議です。
唯一具体的にはっきりしているのは今回伴睦さんが指摘した深夜の議員宿舎前の地点まで大臣が『防護服着用のまま』だった事実ですね。
これは私も報道の最初の時期から不思議すぎると思っていました。
大臣は20キロ圏の退避区域に入っているので『防護服の着用』の事実は当然なのです。
しかし『着用のまま』東京の議員宿舎の自分の自宅に帰ってきた。
これは異様。不思議です。
それなら記者から当然、今回の伴睦さんが感じた当然の疑問が口から出たと予想される。
『福島の危険な放射能を東京に持ち込む』とか『汚染していたら明らかに違法行為ですよ』とでもぶら下がりの記者から鉢呂大臣が『防護服着用のまま議員宿舎へ戻った』と事実を取り上げて、からかわれたのですよ。
これは当然な話なのですよ。東京都のど真中で大臣でなくても防護服着用の人物が居れば、誰でも異様に思う。
今回の伴睦さんが思ったことは、その場にいれば例外なく全員が思うでしょう。
この記者とは記者クラブ所属です。
この様なぶら下がり取材には制限があり、上杉氏の様なフリーの記者は含まれていない。
いわば少数の身内なので、鉢呂大臣は毎日新聞の記者に身振りで放射能の擦り付ける動作を行ったのが真相に近いのではないでしょうか。
着用の防護服は、普通なら20キロ圏の出口で脱ぐ予定であった筈です。
もしも汚染していたなら完全に法律違反ですが、ただ大臣は個人では無いのですよ。
公務として行っており政治家個人ではなくて、これは組織ですよ。
大臣の防護服の着用や脱衣、そもそもその使用自体が公務であり通商産業省が管轄しているのですから、法律違反であるとしたら通商産業省官僚の意識的なサボタージュが伺われるのですよ。
ですから、これはあの田中真紀子外務大臣当時の外務官僚と大臣との激突の再現に近いスキャンダルですね。
そう考えていくと、
この鉢呂経済産業大臣の辞任劇ですが、鉢呂大臣アメリカからのTPP交渉の最大の障害と看做されたので、因縁をつけられたと見るのが一番正しいのではないか。との結論に導かれるのです。

組織的陰謀 (伯爵)
2011-10-14 11:54:00
メディアが特定権力に取り込まれて事実無根の情報を意図的に流すことは、単なる「情報テロ」や「民主主義の死」以上のものではないですか。 つまり、全体主義の一種ということです。 司法の腐敗といい、メディアの横暴といい、本来、権力を監視し民主主義を守るべき機関がその機能を失えば、為政者や権力側はやりたい放題ということになります。 そればかりか、「鉢呂経済産業大臣の辞任劇ですが、鉢呂大臣アメリカからのTPP交渉の最大の障害と看做されたので、因縁をつけられた」となれば、日本の主権に係わる由々しき事態です。

ところで…千葉・船橋の公園や東京・世田谷で測定された高い放射線量は、東京電力福島第1原発の事故とは無関係と判断されたようです。
必要な宗教改革的改革 (あおぞら)
2011-10-14 12:09:54
 敗戦後ある作家は「伝統的にこの国の権力者達は、神棚に祀るものは天皇家でもレーニン家でも何でもよかった」と言っていましたが、その通りなのだろうと思います。
 マスコミ、知識人を含む官僚制エリートの精神構造も、未だここにあるというのが私の実感です。空虚な有り物(既成の統治構造)にすり寄り、こと寄せて虚飾や欲望の実現を図る。主が「アメリカ」だろうが何だろうが。
 ある文芸批評家はかつて、大衆の意識と実像(子を産み育て死んでいく当たり前の人生)を思想に組み込めという意味のことを言っていましたが、それはいまだ「宗教改革」なきこの国に生きる者の、実人生における課題でもあると感じています。実生活を人質に差し出し、制度的免罪符や空虚の尻を追う自分の否定という意味で。実のある理念・制度の源泉を形成するという意味で。
 百年河清をまつだとしても、実を伴うべき思想の課題は、絶えずここにあるのだろうと思います。

 話がはみ出てしまったようです。失礼致しました。
「岩下俊三のブログ」の最新記事 (宗純)
2011-10-15 14:53:40
伯爵さん、コメント有難うございます。

昨今のメディアのニュース報道ですが、これを『真実を正しく伝えている』と思うから、事実と違う事に気が付き、
それで『真っ赤な嘘だ』と考えて腹も立ちますし、その理不尽さに不愉快になるのですよ。
それは、我々が考え間違いを最初からしているのですよ。多分。
岩下さんみたいに、
>『関が原の戦いや桶狭間の戦いを中継したりスタジオで解説したりしている番組がありますが、これは嘘ではありません
なるべく史実に基づいて構成されているのです。ただ見ている人はこれが今現実に起きている事件だと思ってみている人はおそらくいないでしょう。
なのになぜニュースだとか「報道」とか銘打った番組を信用するのでしょうか。』<
言われて見れば、正にその通りですよ。
マスコミによるニュース報道とは、桶狭間の合戦の中継番組と基本的に同じ種類なのですね。
元業界人の言葉だけに重みが違い、納得です。

千葉県の場合に落ち葉などをどけて除染したら数値が大幅に下がったとの事です。
福島第一から250キロも離れた遠く横浜市でもストロンチューム90が検出されていますが、今まで重い核種なので遠くには飛ばないと言われていた。
横浜以外でも調べれば他にもどんどん出てきそうです。
東京都の場合ですがラジウムだったが、放射線は目にも見えず匂いも無いので他にも放射性廃棄物が人家の近くに放置されている杜撰な管理が行われている可能性が有りそうですね。
住んでいた住民ですが今のところは何の変化も無いが、年間20ミリシーベルトでは1万人あたり10人が癌で死ぬ。(80人との説もある)
ですからこの民家に1000人住んでいたら1人死ぬ計算ですから、普通の家族数人なら影響がゼロなのは当然。
ラジウム温泉というのは個体のラジウムが含まれているではなくて全て希ガスのラドンの意味ですね。含有量は0・数マイクロシーベルト程度で自然界にあるよりも僅かに多い程度。
しかも温泉は其処に住んでいる人でも1日の内で短時間しか入らないし、観光客はもっと少ない時間です。
ラジウム温泉が健康に良いとの話ですが、これはスポーツが健康に良いと同じ原理でしょう。
体に負荷をかけることで活性化させるのでしょうが、少量だから良いのであり、過激なスポーツは間違いなく体に悪い。
スポーツマンが引退する原因はスポーツ障害で体がボロボロになるからですね。
可也はみ出していますが (宗純)
2011-10-15 15:24:52
あおぞらさん、コメント有難うございます。

20年ほど前から産経新聞が『日本の議員数が多い』(議員数の削減)とのキャンペーンを行っているのですが、この産経は同時に公務員制度の改革(官僚制度の改革ですが、具体的には議員と同じで定数削減)を言い続けている。
今では産経だけでなくその他のメディアも全員がこのキャンペーンに追従していて何処もここも議員数の定数削減を行っている。
ところがですが、平成の大合併で地方では劇的に議員数は減っているのですよ。
今度の歴史的な集中豪雨での被害の多い場所は、何と不思議なことに奈良県の大塔村など市町村合併で議員がいなくなった場所に集中しているのですよ。
逆に市町村合併を行わずに自力の議会も持っていた場所では被害は他と比べて格段に違いがある。議員の力だけの話では無いが、合併しか生残れない地方の小さな村の疲弊は極限まで来ていたのでしょうね。
今度の和歌山や奈良の集中豪雨被害や東日本大震災では自衛隊の活躍が報道されているのですが、これ等の地域の本来なら活躍すべき警察や消防や町役場、地元の行政組織は災害前でも削減が進んでいたので到底大災害に対処できない。
今の日本国で余裕のある組織は、自衛隊ぐらいしか残されていないのですね。これではもしもの時に対応出来なくて当たり前だったのですよ。
働き者の代名詞のアリですが、実は普通に真面目に働いているアリは2割程度で他は予備として待機している。
産経が主張するように、余裕が全く無い全員が働くのは、実は危険なのですよ。
洪水などの大災害時には、それでは種族全員が滅んでしまうのですね。

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