逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

全会一致での小沢一郎「起訴相当」検察審査会議決の意味

2010年04月29日 | 政治

『絶対権力者だから起訴?』

今度の検察審査会の11人の考えた起訴相当にした理由とは、『小沢一郎は絶対権力者だから。』だそうです。
これ、正しいのでしょうか。?首を捻らざるを得ない不思議な理由ですね。
今、小沢一郎幹事長が現職首相の鳩山由紀夫を凌いで『力』を持っているらしい事は推察出来るのですが、容疑は権限が無い野党時代の話である。
その時の絶対権力者とは、万年与党として日本国の政治を牛耳っていた小泉や安倍、福田、麻生などの自民党総裁(首相)である。
検察は野党時代の1年以上前から、当時の民主党党首だった小沢一人に狙いを付けて、手を変え品を変え何とか摘発しようと頑張っていたのです。
ですから『絶対権力者』だから検察が摘発し様とした訳ではなく、その正反対の自民党政権という半世紀続いた『絶対権力』を守る目的で、検察は野党有力者の小沢一郎を些細な形式犯で何としても検挙し様としていたのです。
確かに道徳的には一般市民よりも野党とはいえ権威や権力を持っている人には余計に説明責任とか余分な責任が付いて回るが、法律の施行は何人にも平等で公平でないといけません。
権力を持っているとか無いとかで摘発するかしないが決まると言うのも可笑しな話ですね。

『弾劾されるべきは小沢一郎か』それとも検察特捜部か、マスコミ報道か

小沢一郎幹事長の起訴相当のマスコミ報道の『判断』と、検察審査会の『判断』は意味が違う。
正反対であると言ってもよいでしょう。
検察審議会は裁判員制度と全く同じで、我々一般人が法律の素人の立場から法律に関係ない常識的な庶民感情で判断すると言うもの。
ですから『起訴相当』の意味は、決して『小沢一郎が有罪だ』と言っているわけではない。
庶民にとっては、今までの長いあいだ続いていたマスコミ報道や検察のやっていたことがよく分からん。
対する小沢一郎の弁明もよく分からん。
大騒ぎしていたわりには『何が問題であるかさえ』良く分からん。
だから起訴相当の意味は、
『裁判でもなんでも良いから、みんなに分かるように、説明してくれ』、なのでしょう。
起訴相当の議決理由が、『公開の場で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべき』なのです。
ですから起訴相当とは、『小沢批判』(疑惑)の意味もあるかもしれないが、本当の真意は『検察批判』(疑惑)であり、『マスコミ批判』(疑惑)なのです。
この小沢事件では、1年間にも渡り検察リークの数々の報道がなされてきましたが、段々真実が明らかになる普通の事件とは正反対。
9・11事件やアルカイダの実態と同じで、報道されれば報道されるほど『真実は何か』が、分からなくなっていった不思議な事件です。
今回の検察審査会での起訴相当で小沢一郎も驚いて困ってるだろうが、一番驚いて一番困っているのは他でもない証拠不十分の理由で既に不起訴を決定している東京地検特捜部であろう。
何故なら、検察の目的が法の公正な執行ではなく、民主党のイメージダウンの印象操作、情報操作であれば今までの検察リークのマスコミ報道で十分すぎる程の成果が上がっているのです。
今更捜査しても新しい何かがでてくるはずもない。
唯一の絶対的な捜査起訴権力を持ている検察が一年間もべったりと小沢一郎に張り付いて、それでも御粗末な証拠しか集められず起訴断念に追い込まれた、出来れば今後誰にも触れて欲しくない因縁付きの事件だったからです。

『報道されたものは真実か?』

庶民はフラストレーションがたまる一方なので、検察やマスコミは当てにならない、誰も当てにできないので最後の最後に『裁判所が真実を明らかにして欲しい』と願っているのでしょう。
一年間も『小沢一郎の犯罪行為』を報道して、これだけ世間を騒がせて、関係していたマスコミや検察は『すみません』の一言も無しで小沢不起訴で幕引きなのですよ。
これで済ます方が間違っている。
今のままで終わったのでは当時は政権与党だった自民党の総選挙の勝利の為に行った、民主党幹部のスキャンダルを掲載して足を引っ張るイエロージャーナリズムと同程度の、検察の単なる世論誘導か情報操作の類であり、これでは報道とか捜査の範疇には含まれないでしょう。
悪いのは誰か。
『検察』か、『マスコミ』か、『小沢一郎』か。
誰でも良いから責任ある『誰か』が『私が間違っていました』、『世間を騒がせ申し訳ありません』と頭を下げないとこの話は収まらないでしょう。
だから、起訴相当なのです。
ただ、検察としては小沢一郎を起訴できないことを良く知っている。
法律の専門家である検察の最終決定は灰色決着の起訴猶予ではなく、より明確な不起訴だったのです。
起訴しても有罪に持ち込む事が出来そうもないことは法律の専門家である検察は誰よりも良く知っている。
だから今度も『不起訴』しかないでしょう。
このときに検察が『私が悪う御座いました、まことに申し訳ありません』と言えば、すべては決着するが、困ったことにそんな事は天地が逆さまになっても言わない。
だから『物事の白黒』が何時までもはっきりしないものだから一般庶民は欲求不満で次も『起訴相当』の判断を下すしかない。
2回の起訴相当なら否応なく裁判になるが、裁判の場で明らかになるのは小沢一郎の犯罪行為なのか。
それとも検察の犯罪行為と、それに二人三極で協力、追従したマスコミであるのかは興味深いですね。

『裁かれる検察当局』

被告が裁かれる約束の刑事裁判なのに、逆に起訴した検察側が裁かれている不思議な裁判が障害者団体向け割引郵便制度悪用事件ですが、厚生労働省元局長・村木厚子を槍玉に挙げた大阪地検特捜部の検事たちは異例の証言台で攻守とことを変えて必死に捜査を弁明していた。
元々検察側の村木被告が、『民主党の石井一衆院議員(当時、現参院議員・党選対委員長)からの口利きを受けた』とする構図が、今度の小沢一郎の疑惑と全く同じで職務権限がある与党自民党議員を無視して、当時は野党だった民主党議員を標的にするなど、最初から無理があったようです。
検事以外の全ての証人たちが検察の捜査を批判する異常事態に発展して、このままでは検察の悪事は白日のもとにさらされるが、
検察に対して、同じ司法一家の身内の裁判所にそれが出来るかどうか。?
しかしこれで有罪にすれば裁判所の権威は失墜するので有罪には出来ないが、無罪にすれば検察の権威は失墜する、
どちらにしても結審が今からわくわくするような見もので、裁判の行方が期待出来ます。


『政権与党の政治とカネ』◇「小沢問題」の本質、どう伝えてきたか
 毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告(3月度)
◇経緯
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件は、事務担当者で私設秘書だった石川知裕衆院議員が、国会開会直前に逮捕されるという異例の展開を見せた。
同事件は、鳩山由紀夫首相の資金管理団体をめぐる偽装献金事件に続く、政権与党最高実力者のカネをめぐる疑惑として、国民の大きな関心を集めた。
小沢氏は秘書逮捕を批判し、直後の党大会では「(検察と)全面的に対決していく」と表明するなど事件は「小沢対検察」の様相を呈した。
地検は2月4日、小沢氏を不起訴とし、石川議員ら3人を同法違反(虚偽記載)で起訴。

◇吉永みち子委員(ノンフィクション作家)
本来、報道によって徐々に何が起きているのかが見えてくるはずのものが、この度は膨大な報道量に接しながら、徐々に何が何だかわからなくなったというのが一読者としての正直な感想である。
強大な政治権力を持つ小沢・民主党幹事長とこれまた巨大な権力を持つ検察との攻防という図式に、メディア間の攻防が加わって、「政治とカネ」という問題の本質が、いつのまにか小沢批判と検察批判にすりかわった。
政権与党に捜査のメスを入れることは、長期自民党政権時代には検察頼みの政界浄化として心情的に拍手したのが、民意によって政権交代したばかりの政権与党への追及は、政権を揺るがす検察の政治介入と見るのか。
正当な捜査か、介入かはあいまいなまま、国民も検察派か小沢派かという攻防に巻き込まれ、どこから見るかで見える像が割れ、政治にもメディアにも失望していった感がある。

◇玉木明委員(フリージャーナリスト)
小沢幹事長の政治資金問題に関連して毎日新聞・読者室に多くの意見が寄せられた。その多くは「検察リークに基づく有罪視報道」という文脈で、新聞と検察を批判するものだったという。
新聞としては、これを重く受け止めなければならない。
背景に何があるのか。
小菅洋人政治部長は「自らの手で政権を代える実感を覚えた有権者は、検察捜査が政治を変えてしまうことに違和感を持ち始めたのではないか」(2月5日朝刊)と述べている。
裏を返せば、それだけ国民の「変化」への期待が大きいということになろう。
が、それだけではないはずだ。
もともと、捜査当局の情報に多くを依存する検察・警察報道には、宿命的と言っていいような危うさがつきまとう。
安易に新聞がリーク情報を垂れ流しているとは思わないが、結果的にそう見られても仕方がない側面があることも確かだ。
読者もそのことを見抜いているのだと思う。
新聞批判の根拠もそこにあるのではないか。新聞はそのことを自覚し、新たな検察・警察報道を模索すべきだ。

◇田島泰彦委員(上智大教授)
今回の問題について、毎日新聞を含む主要メディアは全体として、検察の意図と筋書きに乗せられて、そこからの情報を大筋、無批判に追認し、報道してきたと感じざるを得ない。
本紙は2月5日朝刊の小泉敬太社会部長の署名記事などで検察リーク報道を否定するが、紙面にあふれた供述報道一つとっても、情報の出所は検察抜きにはありえず、否定の論拠は乏しい。
一体、検察情報と離れた、独自の調査報道をメディアは今回いかなる形で展開できたというのか。
検察追随報道の一方で、国会議員を逮捕し、聴取した小沢幹事長の起訴さえできなかった検察捜査の行き過ぎや乱用に対する監視とチェックは、メディアにはほとんど欠落していた。
これだと、メディアは検察にいいように利用されてしまう。
絶大な捜査権力を行使する特捜検察こそ、メディアが監視、チェックしなければならない最大の任務のはずなのに、それもできないのなら、ジャーナリズムの存在理由が問われる。
また、裁判員裁判のための取材・報道指針で情報源の明示を掲げたにもかかわらず、「関係者によると」とする記事を連日報道してきた紙面のあり方も、深刻な反省に値する。

◇柳田邦男委員(作家)
小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件報道を追っていて、私にはさっぱり分からないことがいろいろあるが、この2カ月ほどの新聞を読み返してみてもその疑問に答えてくれる記事はなかった。
凶悪事件であれば、犯行の動機・目的の解明は捜査においても報道においても、極めて重要な要件だ。ところが、今回の事件ではその点が全く論じられていない。
毎日新聞 2010年3月15日(抜粋)


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11 コメント

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予想通りの展開です (Runner)
2010-04-28 18:07:32
何せ、日本人の7割は「マスコミを信用している」と答えているそうで、信用しない残りの3割も中身を見れば「左翼偏向しているからけしからん」という自作自演のマスコミ批判にひっかかっている右翼がかなりを占めているでしょうから、普通にメンバーを選んでいても確率的にマスコミの管理下に入っている者ばかりが選ばれるはずです。
問題はこうなることを小沢サイドや民主党が予想できていたのかという点ですね。
これまで見ていても、権力を取ったのに民主党政権はマスコミ改革らしき言動は皆無に等しいので、まあ、何度も同じことを述べて恐縮なんですが自業自得ともいえるでしょうね。
色々な解釈が出来そうです (逝きし世の面影)
2010-04-29 10:40:08
Runnerさん、コメント有難う御座います。

小沢一郎は93年の細川連立内閣の失敗を教訓に、全てを判断しているようですね。
経団連など一番目立つものだけが自民党の財布ではない。
あの時小沢は、マスコミは手中に収めて有頂天になっていて、肝心要の自民党の財布には手を付けなかったのです。
今回は正反対。
マスコミ対策は二の次で、徹底的に自民党の懐に手を突っ込んで沢山あった農協や郵便局、医師会など種種雑多な色々な財布の持ち主を全て民主党に寝返らせて徹底した兵糧攻めに出ています。
金輪際自民党が政権与党として復活することはないでしょう。小沢一郎という男は自民党を一番知っているだけに自民党が一番恐ろしいのですね。

この検察審査会制度は、もともとアメリカの陪審法がモデルのようですが似て非なるもの。
法律の専門家でもない一般人11人だけが密室で秘密裏に話し合うのかと思ったら、そうではない。
弁護士の資格のある人1人の審査補助員が法律的な助言を行うそうです。
日本のように、お上意識の強い、肩書きや権威に弱い、ついでいマスコミの権威が想像以上の国では、問題は大きいですね。
今回も、法律専門家の『起訴は無理です』の説明があれば全会一致決議は有り得なかったことが考えられ、審査補助員の人選が大問題ですね。
この人選で政局に大きく影響してくる。
検察審査会の決議は幾らでも結果が変わってくるが、それ以上に大きいのは、これまでのマスコミ報道でしょう。
この影響が一番大きい。
確か映画などのアメリカの刑事裁判では、マスコミなどで事件の報道を読んでいた人は『あらかじめ事件に対して予断を持っている』可能性があるとして陪審員には選ばれる資格が無いと排除されるのですが、日本で小沢事件報道は洪水のようだった。予断無しに判断出来る人物がそもそも日本国内には一人もいないと言っても良いくらい、マスコミ報道に影響されています。

検察審査会自体は検察や警察官僚の権限の大きく、市民御信頼感がが強い日本では、大事な制度でしょう。
武士は相身互い。
身内には誰でも甘くなるものですが、検察と警察とはお互いがお互いを捜査したり起訴したりは建前上は可能なのですが、実際面では行わない。
大阪高検の三井環公安部長が告発した検察キャリアの年間5~6億円の公金横領を警察は絶対に摘発しないし、
その見返りに検察側は明石市花火大会での警察側の職務放棄に近い怠慢を起訴しなかった。
明石署の副署長の起訴は検察審査会制度がなければ、検察官が独占する起訴の権限(公訴権)を握っているので、永久に正義が明らかになることはないでしょう。
その意味では検察審査会制度は大事な制度なのですが、
今回の議決書の作成を助言、補助した審査補助員は弁護士の米沢敏雄氏だそうですが、この弁護士は麻生グループの麻生法律事務所の弁護士で、
民主党の極右勢力に近い中井 洽や自民党総裁谷垣 禎一、野田 毅などが麻生総合法律事務所40周年祝賀会に来賓として参加しています。これは・・・問題がありそうですね。

思い出したのは小泉のワンフレーズ (逝きし世の面影)
2010-04-29 15:55:29
今度の議決を読んで感じた事は『市民目線』と言うよりは市民の好き嫌いや不平不満などの素朴な『感情』の吐露(つぶやき)でしょうね。
『感情』なので法律的な公正性や理論的な総合性などは考慮されていませんが、
今回決議も法律的な問題提起ではなく、『日本の一番の絶対権力者である小沢一郎が信用できない』ので→『公開の場で明らかにして欲しい』なのです。
誰かが、土地を購入するのは何ら犯罪ではなく、ましてや自分の現金があっても銀行から借り入れて利子を払うのも何ら犯罪行為ではない。
これを一般市民が行う事は余りないが、手持ちの現金を残す意味で株式会社など法人では普通に行われている。
ですから小沢一郎の『動機が分からない』としても、そんな事は刑事裁判で求めるものではないとの法的な問題は全く考慮されていないのです。
ところがマスコミではこの点を批判していた者は唯の一人もいない。
それどころか多くのマスコミのコメンティーター達は、庶民目線の素朴な感情の吐露として歓迎する姿勢です。
金権政治家の見本のような小沢一郎なら証拠があろうが無かろうが絶対に『何か悪い事をしているはずだ』との思い込みですね。

今度の検察審査会決議と同じで、理論的に無茶苦茶でも、何となく本心を語っていると思われてみんなが歓迎すると言うのは、
あの小泉純一郎の『人生色々』とか『私に聞いても分かるはずがない』とか『感動した』など数々の意味不明の暴言に誰も怒らなかったのに似ています。
なにやらオウム事件の時のオウム信者達が超法規的に逮捕されたのに誰も文句を言わなかったときにも似ているが、
こん回、小沢一郎なら何か悪い事をしているに違いないので『『起訴すべき』などは、
理論的に整合性が無く法律的にも可笑しいのに、何故誰も怒らず、反対に歓迎したのか。
実に不思議ですが、到底まともな責任ある判断や決定ではない事だけは確かです。

今度の検察審査会決議ですが、『裁判で明らかにして欲しい』と言っている。
これは政治ブログでみなさんが怒って問題としている『まともな法律論』というよりも、井戸端会議などの単なる庶民感情(呟き)程度ですね。
法律的な問題とか政局なんかを考えるから腹が立つのです。
庶民の素朴な感情、呟きだと思えばよいのです。
そして小泉純一郎の発言も、日本国の最高責任者である首相のコメントだと思うから腹が立つのであり、居酒屋等の酒席での酔っ払った純一郎個人の呟き(感情)の垂れ流しだったのです。

実は、最近自分のブログのコメント欄に『良く分かりません』とか『この人、変です。なに書いてるの』とかの極短い目的や意味が不明の投稿が何度か見つかり、
『何の目的で送ってくるのか』首を捻っていたのですが、今流行のtwitter風 の呟きだったのですね。
当方のブログ記事は長文なのでこれまでも内容を読まずに題名だけで判断する横着者が沢山いたので同類だと思って即座にゴミとして削除していたのですが、まったくの勘違いだったのですよ。
私がゴミだと思ったものは、読者の素直な感情(つぶやき)だったのです。
感情と感想、一字違いで大違い。
記事を読んで何を考えたかの『感想』であるブログコメントではなく、記事に対する『感情』(好き嫌いなどの呟き)だったのです。
到底公式な法律論をまともに考えて至った結論でない事だけは確か。
ただ逆に解釈すると素直な感情の吐露ともいえます。
ただ私としては、他の人の違った意見、感想は是非とも聞きたいが、他人の感情などには何の興味もない。
できたら聞きたくない。
ところがどうも世間では私とは正反対に、違った意見や感想は聞きたくないが、好き嫌いなど『感情』が大問題で、他人がどう思っているかが一番大事だと思っている(中身より見かけや印象が大事な)困った人たちもいる。
政治家には、このタイプが大勢いるし、特に世論調査ではこの『感情』が主義主張な政策論よりも一番数字に影響するようなので注意するべきですね。
何しろ正式な記者会見ではなくこのワンフレーズの記者クラブの身内の記者とだけの『ぶら下がり』での『つぶやき』だけで大人気になった小泉純一郎の先例もあるのですから。知の劣化現象でポピュリズムの権化ですね。
ひとつの民主主義の形 (伯爵)
2010-04-30 13:15:28
おっしゃる通り、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入資金が違法献金によるものではないかという疑惑は「灰色」であり、検察審査会は『起訴相当議決』によって「もっと説明が必要」を求めていますが、決定的な証拠がないので検察は『不起訴』しかありません。 従って、今後も、検察審査会『起訴相当議決』→検察『不起訴』の後、再度、検察審査会による『起訴相当議決』で検察が強制起訴されても『無罪』となるはずです。 小沢氏はよく分かっているから、幹事長職は辞任しないでしょう。

ところが、(メディアも含めて)世間の大部分は「推定無罪の大原則」を十分に認識しているとは思われず、メディアの一部も、検察審査会の『起訴相当議決』が『天の声』であるかの様に報道しています。 問題は、これが選挙にどこまで影響するかということですが、国民の大部分は「メディアの不備」や「検察の権力乱用」の危険性に関しても無知なので、民主党にとって打撃なのは間違いありません。

所詮、政治家・政党の庶民人気は「主観」「感情」によって左右されるのであり、如何ともしがたいです。 これを「客観性」「普遍性」「合理性」によって修正することが重要なのですが、庶民の集まりである検察審査会にそれを期待するのは無理です。 これを衆愚的と呼ぶのは容易いのですが、ひとつの民主主義の形なので仕方がありません。
内心を語るな (逝きし世の面影)
2010-04-30 13:43:47
『私はこう思う。』『私にとっては○○だ』など、個人の『内心』(主観)は、どれ程反社会的であれ非道徳的であれ例外なく、近代民主主義では誰にも非難されない権利を持っている『聖域』とも呼べる領域であり、誰に対しても責任を感じる必要も無ければ義務も無い、何時でも変更可能な完全に自由な領域です。
内心の特徴は、普通の社会的価値観である『普遍性』とは逆に、誰にも無い個性にこそ、その値打ちがあると一般的に考えられている。
普遍性がある(ありふれた)内心よりは、他と違っている『内心』が尊ばれる。
ですから社会的な領域である政治の世界で、安易に個人の『内心』を語ることはルール違反なのです。
何故なら、誰にも非難されないし責任も無い、民主主義のルールで完璧に保護されている(普遍性があるとは言えない)『内心』が自由に政治の正面で語られると、個人個人の集合体である社会や政治の既存のルールが円滑に働かなる危険性があるからですね。
社会で自由に語られても良いのは、誰にでも等しく同じである唯一普遍性のある客観的な科学的事実だけなのです。
この原則を逸脱したのが大量破壊兵器を日常的に扱っている航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄でしょう。
内心をワンフレーズで語って人気になった小泉純一郎などの例もある。
これ等は何れも内心の正直な吐露ではあるかもしれないが、今までの大人の社会のルールである『普遍性のある科学的事実以外は公の場所では語ってはいけない』を明確に逸脱している事に留意していないのです。
そして今度の検察審査会の集まった11人の判断とは、正に誰からも批判されない位置からの『悪党の小沢一郎なら何か悪い事をしていそうだ』とか、『確かにクロとできる証拠を集められなかったのかもしれないが、限りなくクロに近い灰色なら検察は起訴すべきだった』などは庶民の『内心』なのです。
今度の決定は、法冶国家の要である推定無罪の大原則を覆す暴論で、これ等は社会人として成熟した大人とは言えず、正直ではあるかもしれないが子供の行為でしょう。
我が日本国では大の大人が人前で政治とか宗教を語るのは長い間、タブーとされていた。
人前で、『内心を語る』ことはタブーだったのですが、インターネットの匿名空間の出現でこのタブーが打ち破られた。
これはこれで非常に良い事であると思いますが、今度の場合の様に、この匿名の11人の人々の『素朴な内心』が専門家集団である検察の判断を優先するなど如何でしょうか。?
元々『個人の内心』には、いかなる義務も証明責任は伴ってはいない自由空間であるのですから。

つい最近もイギリス与党労働党党首のブラウン首相が支持者の女性との対話後にテレビマイクをきり忘れ、『偏狭な嫌な女だ。』などの言葉がBBCで前z全国放送されるが、このブラウンの内心の正直な吐露が直前に迫った総選挙の結果に大きく影響する事は必至である。
日本では議員の数が足りなさ過ぎる (逝きし世の面影)
2010-04-30 15:04:06
伯爵さん、コメント有難う御座います。

日本の半分の人口のイギリスでは,日本の480人りはるかに多い衆議院定数は650人ですよ。
日本では今度の子供手当てでは在日外国人が,タイの孤児を数百人養子にしたので支給申請に現れたとか。
このように,幾ら良い法案でも法の網をくぐろうとする悪賢い連中は必ずいて色々と脱法行為を考える。
ですから、それ以上に賢く無いと国会議員は務まらないし、法案審議には色々なケースを事前に予知して対策を立てるだけの慎重さときめ細やかさが必要になってくる。
民主主義の先輩格のイギリスでは地方分権が進み独自の立法権がある強力な地方政府が存在しているのです。
地方政府が強力な分、中央政府の権限は自ずと狭まってくる。
日本のように世界的に見ても例外的な中央集権国家で、しかも1億人を超える大国で500人を切る議員数は有り得ない少なさ。
常識はずれなのです。
アメリカでは50もの独立した強力な州政府があり州独自の上下両院を持っているし、何と軍隊まで持っているのですよ。
ですから、一般的な市民生活に関連する法律は殆どは連邦政府ではなく、州政府の管轄範囲です。
オバマの連邦政府に対抗して医療保険改革は社会主義であるとして提訴する州政府が2割ほどもでる始末。
日本の議員数は少なすぎるのです。
平成の市町村大合併で地方議員は全国で2万人以上が減らされていますが、それで地方が良くなったなどは聞いたためしがない。
権限がすべて集中する国会議員は人数も質も全くといって良いほど足りない。
今度の検察審査会のような色々な杜撰な法律が出来て当たり前です。
それでも産経やみんなの党や枡添要一は『議員を減らせ』と主張しているのですよ。一体何が目的なのか。?民主主義のためでないことだけははっきりと断定出来るでしょう。
ギリシャ古典哲学の最高峰であるアリストテレスのお師匠様であるプラトンによると、今回の日本の検察審査会のように、民主主義とは常に衆愚政治に陥るそうです。
ですから一般市民の参加する民主主義よりも、優れた少数の貴族の政治が望ましいが、其れよりも一人の皇帝による独裁政治こそが最も優れた政治制度であると主張していたが、ギリシャでは彼の主張を聞くものはなかった。
ところが、時代が移りローマ帝国ではプラトンの主張のとうりに初期の民主主義が衆愚政治に陥ってしまう。
時代が進むにつれ政治制度が民主主義から帝政による皇帝の独裁政治に移行しているのです。
いまのようなマスコミ主導の衆愚政治が横行するようでは何時でも小泉純一郎などの愚かなかな独裁者の待望論が生まれてファシズムになりかねない。
政治の暴走を阻止する力があるのは議会であり議員であるのですが、今その力が年々弱まっているように思って心配しているのは私だけなのでしょうか。
管幹事長か首相で戦えば (逝きし世の面影)
2010-04-30 16:41:29
今度の事は,実は参議院選挙で民主党に取ってはマイナスではなく、プラスになりますよ。
7月の時期が問題で、小沢幹事長辞任以外には選挙で勝てませんが、
今度の決議がなければ間違いなく留任していた事を思えば、管副首相の幹事長か首相で戦った方が、今のままの小沢幹事長のままで選挙戦に突入するよりも間違いなく有利ですよ。
幹事長職は本当は一番テレビなどのマスコミの露出が多い部署なのですが、これまでの小沢一郎はご存知のように雄弁ではなく寡黙。
演説べたであると言ってもよいでしょう。
それに本来幹事長職は党内の調整役なのですが、この役目も口下手で敵の多い小沢には不向きで、まだ以前の鳩山由紀夫幹事長の方が向いている。
今のままでは駄目です。
名幹事長の田中角栄は多分最も雄弁な政治家でもあったが、今の平野官房長官といい小沢といい、党の肝心な人材が口下手と言うか人前に出せないような人物ばかり。
その点、管副首相が一番民主党では演説がまし(上手)で、見かけの顔立ちも好印象です。
本来、小沢一郎のような政治家なのに人相が悪く見るからに悪人顔で、しかも演説下手は、到底政治家向きではなく、政治家を陰で支えるスタッフ向きなのです。
国民 ( 農婦)
2010-04-30 18:20:47
思いっきり、いいことをおっしゃられて、私の胸は,一休宗純さま、有方や、有方や。私は感ずることはあってもなにもいえません。
素朴な語り口を批判するのはおかしい (kaetzchen)
2010-04-30 18:47:35
農婦さんの言われる通りですね.朴訥な小沢氏の言い方をなじるのは東北人に対する差別ですよ.

ただ,ブログ主さんの

| 政治家を陰で支えるスタッフ向きなのです。

はどうでしょうねぇ.個人的に知ってる国会議員の秘書なんかを見てると,野心で一杯で,自分からしゃべりだすような人が結構多そうな.あわよくば次は自分が,と思ってるのでしょうね(笑)
メディア (農婦  )
2010-05-01 07:20:48
すみません。私のような無知が、誤解を招くような、おかしなコメントをしてしまい。庶民の私がT.V からの報道を聞いてて、何か変だとは感じてました。検察審査会の11人とはどんな人たちなのだろうと疑問でした。麻生の法律顧問弁護士と聞いて、なるほどと思いました。政治家としてのプライドを持った政治家を希望してますが、いつのころから政治家は私たち庶民に頭をぺこぺこ下げ下げ、余計な神経を使わなければならなくなったのでしょうかねー。いつもすみません。

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