逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

1年遅れたラビ・バトラの大予言「2010年資本主義は崩壊する」

2011年04月24日 | 経済

『アメリカ国債が安定的からネガティブに引き下げ』

アメリカの格付け会社大手スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は4月18日、アメリカ国債の長期格付け見通しについて、評価を初めて引き下げた。
日米が開戦した1941年に現行の格付け制度を採用して以来、アメリカ国債の格付け見通しを引き下げたのは、初めて。
S&Pは『アメリカの財政赤字が巨額で、政府の負債が増加する中、対応策が不透明』として従来の『安定的』から『ネガティブ』に引き下げたと発表。
これを受けてニューヨーク株式ダウ平均は240ドル以上下げた。
翌19日財務省は『アメリカは金融危機から脱却し強さを取り戻している』と反論した。

『AAAのアメリカ国債』

評価がネガティブに変更されても何故かアメリカ国債はトリプルAの最高ランクに据え置かれたまま。
ただし、S&P等のアメリカの大手格付け会社が『最高ランクのトリプルAの評価を変えない』から米国債が破綻しない(安心)とは到底言えない。
何故なら、最後には必ず破綻する構造の、中身がネズミ講的サラ金の詐欺的なサブプライム・ローンも、リーマンショックの張本人のリーマン・ブラザーズも、今回のアメリカ国債の様にトリプルAの最高評価のまま据え置かれたままだった。
構造的に腐敗していて永続的な運営は不可能(破綻確実)だったにもかかわらず、破綻以前に、リーマン・ブラザーズやサブプライム・ローンに対して、格付け会社はそれでも今回のアメリカ国債のように事前に格付け『評価』を引き下げていない。
評価を引き下げたのは今回のアメリカ国債だけ。
それなら、S&Pの判断が正しいと仮定するとサブプライム・ローンやリーマン・ブラザーズよりも、現在のアメリカ国債は、より危ない(崩壊確実)ことになる。

『誰も買わないアメリカ国債』

いま国債の7割を買い入れている米連邦準備理事会(FRB)による量的緩和策(QE2)が予定通り6月で打ち切られると、其れ以降は誰も買う者はなくなる。
それなら国債金利の爆発的高騰は避けれない。
アメリカでは、4年連続で1兆ドルを突破する見通しの財政赤字について、財政緊縮を主張する草の根保守の茶会運動の反発は激しい。
特に上限枠一杯まで膨らんでいる連邦債務の、更なる国債発行に必須のアメリカ連邦債務上限枠(14兆2900億ドル)の上限引き上げに関する協議や、11年度予算成立に期限後半年も費やしたオバマ政権の2012年度の予算審議は難航必至。
実体経済では2年前に実質崩壊していて、国債の発行でやっと凌いでいるアメリカ経済のリーマンショック以後の2年半のアメリカ型資本主義の終焉は近づいている。

『2010年、資本主義は崩壊する』ラビ・バトラ博士の大予言

デリー大学卒サザン・メソジスト大学経済学部教授(国際貿易理論)ラビ・バトラは1989年のソ連崩壊を1978年に予言、1991年の日本のバブル崩壊を1987年に予言していた。
大掛かりな詐欺かサラ金だった2007年のサブプライムローンのアメリカ住宅バブル崩壊を瞑想(神からの啓示?)と実体経済の数値的検証で、完全に予言して的中させている。
オカルトか、はたまたインチキ臭い占いや超科学なのか。?
それとも真の救世主、最期の預言者なのか?
それとも極めて優秀で真面目で大胆な、異端の経済学者の一人なのか。?
理論経済学者で数々の予言を的中させているバトラが1978年の時点でアメリカ資本主義の『2010年の崩壊』を予測(予言)していた。2008年には日本でも『2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測』を出版している。

『どんなに遅くとも2000年までに共産主義は断末魔の苦しい革命を経て崩壊し、2010年までに資本主義は 崩壊するだろう。』
『貧富の格差が拡大する社会はまともではない。』
『資本主義は美味しい果実を食べ過ぎたのである。』
『地球の資源や食料や物資などの物が有限なのに、そこに住まう人間の欲望が無限であれば、そこに存在する貪欲な資本主義が崩壊するのは必然ではないだろうか。』
『わが恩師サーカー師(インドの哲学者) 曰く、資本主義は「爆竹が弾けるようにして」崩壊する。
世界同時大恐慌の発生による「搾取的」資本主義の崩壊と共に、「貨幣による支配」は終了するだろう。』

『アメリカ型強欲資本主義の終焉』
『富の過剰な集中』が資本主義の崩壊を引き起こす。
少数の富裕層はひたすら貯蓄に励んでお金を使わず、多数の 貧困層はもともとお金が無いため消費できない。
この『消費の歯車』の停止が資本主義を崩壊させる。
『自由貿易』が資本主義の崩壊を引き起こす。
自由貿易による国際間の競争の激化のために生産者はコスト、ひいては人件費を削減することになる。
賃金を低く抑えれば、結局消費は鈍化する。
『消費の歯車』の停止が起こり資本主義は崩壊するのである。
将来、原油価格は投機バブルによって1バレル=100ドルを超えるだろう。しかしその後、 この『原油バブル』は崩壊するだろう。
世界同時大恐慌はアメリカ住宅バブル・原油バブルの2つの投機バブルの崩壊から始まるだろう。
NYダウは 大暴落するだろう。
資本主義は花火のように爆発する。
日本と世界は同時に崩壊するだろう。
世界は大恐慌による混乱期を経てプラウト主義経済 (均衡貿易、賃金格差の縮小、均衡財政、自国産業保護、終身雇用、 環境保護、銀行規制など)による共存共栄の社会へと徐々に移行して行くだろう。光は極東の日本から。

『資本主義の終焉』

実験国家ソ連の崩壊を見てネオコンのフランシス・フクヤマが資本主義の全面勝利であると誤解して傲慢にも『歴史は終わった』と言い放ったのですが、今では大分考え方を修正しているようです。
消滅したソ連や東欧でも人々がほんの僅か、もう少し真面目に働きさえしていれば崩壊しなかったらしいですよ。
イデオロギー問題が絡むと、とかく感情論が先に立ちフランシス・フクヤマの様に多くの人々は判断を間違える。
現在は資本主義の全般的危機は誰に目にも明らかで、『いったい、東欧やソ連の崩壊とは何であったのだろうか。?』とか、『「共産主義の敗北」で単純に片付けられる程度の問題だったのだろうか。?』との、(やっと今頃になって)冷静な科学的判断が出来る時期に来ているのではないでしょうか。?
ポーランドの有名なワレサは権力を握ったとき『経済は日本に学ぶべきだ』として来日して実際の日本の生産現場を視察して回ってそうですが、そこに見た余りに過酷な現実に言葉を失い、其れ以降は『経済は日本』とは言わなくなる。
『隣の芝生は青くみえる』ように、このお馬鹿なワレサ大統領に代表されるようにソ連や東欧の人たちは、資本主義の恐ろしさ残酷さを全く知らなかったのでしょうか。
ワレサはカトリックの熱心な信者の癖に真面目に聖書を読まなかったのでしょう。
資本主義社会とは聖書に記述されているように、『富めるものはより富み』、『貧しきものは貧しさゆえにいっそう貧しくなる』、弱者には過酷な『弱肉強食の社会である』とは知らなかったらしい。
『資本主義が発達した』のにはちゃんとした理由がある。『社会主義』にはない恐ろしい仕組みが隠されていたのです。
ノーベル平和賞を受賞したワレサは、『資本主義』が自分たちが知らない理想社会であるとでも勘違いしていたのでしょうか。?
ものを知らないのにも程がある。
そんな程度のことなら子供でもわれわれ日本人なら誰でも知っていますよ。
ところが東欧ではワレサ大統領をはじめ誰もが知らなかったらしい。何とも情けないお粗末な話である。

『政府のプロパガンダとメディア・リテラシー』

当時、東側では西側の問題点はさんざん報道されていたはずですが反体制活動家たちは、それらは全て『政府のプロパガンダである』として信じなかった。
この部分だけなら素晴らしいメディア・リテラシーで、全くもって正しい考え方なのですが、その後がいけない。
プロパガンダ(政治宣伝)の中に多くの誇張や事実の歪曲が含まれているのは事実なのですが、『プロパガンダはみんな嘘でその正反対が真実』なんて法則は何処にもない。
それどころかプロパガンダの基本は、自分に都合の良い真実の一部を真実全部であると市民に誤解させる手法なので、『プロパガンダとは真実の一部』の事なのです。
科学的事実(真実)を知る事は誰にでも出来る簡単なことではないと肝に銘じておくべきでしょう。
今日本ではピョンヤン放送などの北朝鮮の報道がニュース報道などではなく『政府のプロパガンダ』であるとは理解している。
そして東欧やソ連の先例を見ると北朝鮮市民の多くも『政府のプロパガンダである』ことを良く知っている。
ところが肝心の日本国内のマスメディアの報道がやっぱり『政府のプロパガンダである』事実には全く気が付いていない。
われわれ日本人の報道や警察やその他の公に存在しているものに対する『信頼度』は世界的に見ても異常な水準でずば抜けていて、北朝鮮なんか問題にもなら無いほどの憂慮すべき危険な病的な状態で、何故これほど信用しているのか不思議でならない。
日本もほんの66年前には北朝鮮の報道よりも、もっと凄まじい報道を行っていたし、戦前の報道機関は敗戦後もそのまま殆どパージされずに現在に繋がっている事実に注意するべきですね。
近頃ネット空間だけに流行る陰謀論談義には、ほとほとうんざりさせられます。
東ドイツなど東欧市民の爪の垢でも飲ましたい心境です。
いやしくも政治ブログを標榜していて『陰謀論』などと口走る『自分をとりまく世の中は善意だけで出来ている』と信じている素直な小学生程度のメディアリ・テラシーの無さには心底がっかりさせられます。
もう少し歴史や政治を勉強してから何かを発言して欲しいものですね。

『20年前の日本とラビ・バトラのプラウト主義経済の近さ』

日本政府の経済政策を指導した中谷巌は、最初は理想の経済システムであると信じて新自由主義を推進したが後に転向して、今では『新自由主義は悪魔の碾き臼』であると指弾する。
著書『資本主義はなぜ自壊したのか』の中で中谷 巌が『資本主義的に見れば豊かではないが国民が幸せな国家』の代表として社会主義国のキューバとヒマラヤ山中の小国ブータンを紹介しているのですが結構面白い。
ベルリンでは東側が塀を造ったが、カリブ海のキューバでは正反対にアメリカが塀を造り経済封鎖を続けている。
米の完全封鎖で大打撃を受けたキューバ経済は、豊かなはずが無い。
特にソ連の崩壊後には唯一の援助先が無くなり経済は壊滅状態になるのですが、それでも日本人の中谷 巌が見て『幸せそう』に見えたというから面白い。
もう一つのブータンも長らく鎖国状態で今でも海外から資本の導入には慎重でグローバリズム推進の正反対の姿勢らしい。
どちらも国は物質的には貧しいが『国民は幸せ』そうに暮らしているらしいが、最大の理由は世界と同じ基準(アメリカナイズ)でない独自文化の尊重と、過度の格差が存在しないことでしょう。
日本もほんの20年ほど前は世界基準とは別の、年功序列と終身雇用制による失業者や非正規雇用の少ない独自の経済システムが生きていたし、現在ほど凄まじい格差が存在せず一億総中流意識で、今よりも格段にみんなが幸せそうにしていた。
その理由(仕組み)は極簡単で前の自民党政権下でも所得税の最高税率は93%で法人税率も42%だった。
これが社民政党ではない保守政党であると自民党が行っていたのですから、現在から考えるとある意味で驚きである。
しかし現在は其々50%と30%に引き下げられてしまう。
理由は竹中平蔵の主張する金持ちを優遇して大金持ちにすると、大金持ちは貧乏人と違い金を使うので貧乏人にも金が回ってくるという新自由主義のトリクルダウンと言うトリック理論です。
このトリクルダウン理論は、金があれば自分の家の中に遊園地や飛行場を造る浪費癖のアメリカ人でも成功しなかった。
特に文化的背景の大きく違う日本では全く正反対になり、日本経済は壊滅的な打撃を受ける。
金持ち優遇政策で、まともな国家であるなら当然行わなければならない資産課税を20年間も怠った結果、日本政府の財政赤字は800兆円と言う膨大な額に膨れ上がり、対照的に納税を免除された大金持ちの個人の金融資産の総額は1400兆円を超えるまでに豊かになる。
この数字は持ち家などの不動産以外に、普通の4人家族なら日本人全員が5千万円程度の預貯金がある計算ですよ。
そんな金融資産を持つ、余裕のある日本人は一握り。
金持ちは貧乏人よりも金を使うとの新自由主義のトリクルダウンなんて大嘘である。
『宵越しの金は持たない』日本の貧乏人は持っている金を残らず使うが、正反対に金持ちは滅多に金を使わない。
上杉鷹山や二宮金次郎など昔の偉人賢人は全て質素倹約であり、金を使った者は一人もない。
唯一有名人で大金を使ったのは紀伊国屋文左衛門くらいですが、この話にはオチがあり(金を使った為)晩年は乞食に落ちぶれたとの説話になっている。
美智子皇后の実家の正田邸が取り壊される時に建築物を『文化遺産に』との声もあったが、あの程度の建物は欧米基準では中産階級の家で、決して上流階級(金持ち)の家には見えない。
皇后陛下の実家で日清コンツェルンでこの質素倹約の始末振り(欧米基準ならケチ)ではそれ以外は『推して知るべし。』で、アメリカ仕込の竹中平蔵氏の理論は日本では全く当てはまらない。
矢張り地道に貧乏人に少しでも金が回るようにして行き中産階級に出世させない事には日本の経済は良くならないでしょう。
金を使わない日本の『金持ち』から税という形で金を吸い上げないと、社会としての『金詰まり』と、その正反対の金余りのジャパンマネーによる『投機』がいつまでも続きます。
長い間、自分の稼ぐ分よりも過剰消費していた家計と企業と国家の三つ子の赤字を抱えるアメリカ経済の病巣には破綻しか道はない。誰であれ稼ぎ以上の金は使い続けることは出来ない。
それとは正反対で『もしもの時』を考えて倹約に励み、地道に貯蓄する日本人。
ところが『過ぎたるは及ばざるが如し』で、何事もやりすぎは良くない。
金持ちが溜め込むばかりで投資先がなく仕方なく国債で消化している日本の病巣では、同じように見える赤字国債の大量発行の意味がまったく違っているので結果も正反対になる。『光は極東の日本から。』とのラビ・バトラの大予言が実現することを期待したい。

コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福島第一原発電事故積算線量(... | トップ | 20mSv超地域の集団疎開報道... »

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水徒然 (tetsu)
2011-04-24 12:39:08
はいめまして。
経済のことに、疎くて全文拝読いたしまして、なるほどとそうであったのかと共感しました。充分理解しきれませんでしたが、「・・・上杉鷹山や二宮金次郎など昔の偉人賢人は全て質素倹約であり、金を使った者は一人もない。・・・」の記載。それなりの人と尊敬していましたが、お金持ちだったのですね。贅沢をしないので経済の循環にはよくないととは思われますが、今後のわが国の再建には食糧の自給、エネルギーの自製を少しでも上げる施策が必要ではないかと想われます。
 バブル時代までの努力したものが、チョピリ味わった贅沢が今では懐かしい。
一部の金融資本家の一人勝ちの世界は昔ながらのこととあきらめていましたが、政治・経済についてこれから勉強させていただきます。
返信する
tetsuさん、はじめまして (宗純)
2011-04-24 15:06:08
コメント有難う御座います。これからも宜しく御願い致します。

日本の支配層の上の人が質素倹約だったのは歴史的な事実の様で、150年前に初代アメリカ総領事のハリスが、日本では将軍でも欧米基準の王侯貴族と比べて実に質素な身なりであると驚いています。
日本の大名でも、アメリカの普通の中産階級以下の生活ぶりであること記録している。対して日本の農民や一般の庶民の生活が豊かであるとも書いているのですね。
比較的に欧米先進国に比べて封建制度の江戸時代でも日本国では歴史的に経済格差が小さかったので社会が安定していたらしいのです。
この日本の良き伝統は、つい最近まで続いていて、欧米先進国でも必ずある大都市のスラム街が、日本では今でも何処にも一箇所も無いのですね。
日本一大きい日雇い労働者の町である大阪市西成区の愛燐地区の簡易宿泊所が、安いのでバックパックの欧米の旅行者に喜ばれている。
『治安に心配では有りませんか』との質問に答えて、『こんな安全な街は有りません』と口を揃えて答えているのですね。
欧米のスラム街とはアフガンとパキスタンの間にある部族地域と同じで、完全には中央政府の権力の及ばない地域のことなのです。ニューヨークで深夜に女性が一人で地下鉄に乗るなどは危な過ぎる狂気の沙汰らしいのです。
西成の愛燐地区は単に比較的貧乏人が多い地区程度であり、決して欧米基準のスラム街ではないのです。
年功序列型賃金の為に日本では欧米のような若年失業者が今までは、ほとんど存在していなかったのです。
これも世界から見れば例外的な話であり、日本だけの特殊例で、欧米ではキャリアの無い若者は仕事も無い。だからフランスなどでは仕事が無い若者が暴動を起こすのです。
アメリカ型グローバル経済は根本的な弱点があり以前の古臭い遅れた制度だと排斥された日本型のほうが社会的に見て遥かに優れていたのです。
『もしもの時の為に』貯蓄に励むのも日本の伝統であり、これは定期的に大震災や台風や火山の噴火など天変地異が襲うので、これに事前に予想して資金的に準備して備えているのでしょうか。
アメリカの様な、事前に住宅や株が上がることを予想して、これらを担保にして自分の稼ぎ以上に消費するなどは、日本的には有り得ない発想ですね。
返信する
資本は備蓄であった (愚樵)
2011-04-25 06:59:33
宗純さん、いつもTBありがとうございます。

欧州、近代黎明期の初期の資本家たちも極めて質素な暮らしをしていたと伝えられていますね。『プロ倫』によって定説になっていますが、プロテスタンティズムの倫理が資本主義を生んだ。プロテスタントなかでもカルヴィニストたちは、資本を蓄積し有効活用することを神から与えられた使命と考え、備蓄を私的流用すること(浪費すること)を罪だと考えた。資本主義はその使命感から生まれた。

別に神から与えられた使命だと捉えなくても、備蓄の管理者は吝嗇でなければならないのは当然の理。浪費者に備蓄の管理を任せようと考える人間など誰もいません。かつての日本の支配者は備蓄の管理者たる矜持をもっていた。質素だったのはその矜持からきたのでしょう。

現代の資本は備蓄ではありません。捏造された「信用」です。したがって資本家の使命は備蓄の管理ではない。「信用」の拡大こそが彼らの使命です。ただし、この使命は巧妙に隠蔽されている。市民革命によって主権者のポジションを与えられた労働者は、自らの権利として利潤を追求・財産の獲得を許された。利潤や財産は捏造された「信用」の上に立つ虚構ですが、主権者たる労働者はその虚構を自身の所有物と信じることで、資本家の隠された使命である「信用」の拡大に全面的に寄与してきた。

資本主義の崩壊とはこの「信用」の崩壊を意味しますが、これもまた当然の理。有限な環境を大幅に超過した「信用」が長く保持される道理はないのです。
返信する
資本主義では富の増殖を強要される (愚樵)
2011-04-25 17:32:58
・宗純さん

>仏教の方が、より資本主義の精神に近いのではないでしょうか

おもしろいご意見です。たしかそんな主張をし著書をものにしている方もおられたと記憶しています。

>資本主義とは『飽くなき富の増殖の欲求』を内包していて、しかもそれを近代科学が可能としたのですが

同意と言いたいところですが、私のいいたいことは少し違うのです。「内包している」のはその通りなのですが、資本主義は「内包」を拒否する者を許さない性質がある。だから私は「強要する」と言いたい。そういった仕組みになってしまっているのです。

資本主義は我が国の年金制度に似ています。我が国の年金制度はご存知の通り賦課方式で、しかも初期の加入者(高齢者)が利益を得、後期の加入者が損失を
被る仕組みになっています。年金破綻が叫ばれる所以ですね。

国家がこのような不均衡な制度を維持しようとするなら、それは不利益を被る者も強制的に制度へ加入させるしかない。そこで国民は主権者であり制度を維持する責任があるというプロパガンダが行なわれることになります。

資本主義が備蓄をもとに再生産を行なうというのなら、それは年金でいうなら積み立て方式になります。積み立て方式で制度が設計されているならば、制度の加入者には離脱の自由を認めることが出来る。離脱者が増えれば積み立ては減りますが同時に給付も減るので制度は破綻しません。

が、賦課方式ではそうはいかない。離脱者が増えると制度が破綻するのです。

現行の資本主義も、原理は賦課方式と同じです。未来の労働を当てにして制度設計が成されている。だから資本主義は離脱者を許さない。主権者として資本主義の成員になることを要求するのです。それも暗黙のうちに。

良い例がアメリカの南北戦争です。「リンカーンは黒人奴隷解放のために戦った」などというプロパガンダを宗純さんは素朴に信じてはおられますまい。あれは、南部の領主たちの所有物であった黒人奴隷を、主権者という形で資本の奴隷とするための戦争だった。主権者となった奴隷は自分の意志で産業資本に雇用される。金融資本は、産業資本が将来生みだす資産を当てにして、「信用」の名の下に無から創造した資本を供与する。

資本主義が欲望を内包してしまうのは、この仕組みゆえにです。産業資本は欲望を現実のものとするために、金融資本が無から創造した資本の供与を受ける。欲望に「信用」が与えられる。産業資本は「信用」を守るために欲望を実現しなければならない。近代科学はこの実現に大いに手を貸したわけです。

現在の金融経済には、産業資本と労働者が未来において現実化しなければならない「欲望」が、途方もない量で蓄積されています。この蓄積は未来の前借りであり負の蓄積です。

負の蓄積は制度を破綻させる。資本主義が破綻するのは、そもそもの宿命です。
返信する
資本主義とキリスト教と近代科学 (宗純)
2011-04-25 17:38:23
愚樵さんコメント有難う御座います。

ドイツの政治学者で少し前には仙石官房長官の『軍隊は国家の暴力装置』の言葉が護憲左派のブログで大いに取り上げられたマックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の成立の間には関連があると考えていたようです。
ウェーバー的なこの考えは欧米では矢張り主流な考え方様なのです。
しかし私としては、あえてここで資本主義よりもキリスト教は共産主義(社会主義)に、より大きな影響を与えていると強調したいですね。
キリスト教は世界宗教として同じ趣旨の進化形の商売敵であるイスラム教世界を除けば、何処に行っても大成功している。
日本とは文化的に近いお隣の韓国では最大宗教とも行ってよいくらい流行っている。
キリスト教が世界で一番流行らなかった不思議の国とは我が日本国で、この国では結婚式やクリスマス等の『風俗』程度の扱いとしてしか、受け入れなかったのですよ。
ところが欧米キリスト教世界以外の沢山の世界の諸国で、唯一の先進国となっているのも、その日本だけなのです。
ですからキリスト教と資本主義の関連性は薄いか、何かの間違いです。
それで西欧ではカルビン派などのプロテスタントに限定した考えが出てくるが、これは如何でしょうか。?
資本主義の黎明期と同時期に宗教改革やルネッサンスが起きるのですが、それでプロテスタント的な禁欲主義と資本主義の関連を考える学説が出て来る。
何故なら、宗教改革以前の原始キリスト教に有った富者が天国にいけるのは駱駝が針の穴を通るより難しいとの『富は基本的に悪である』の考えや『平等主義』とは違うプロテスタントの、カルビン派が『労働によって富を蓄えることは神への道だ』とキリスト教の価値観を逆転させたとの説ですね。
確かに富の蓄積が無いと資本主義は成立しない。
そして日本では江戸時代末期には庶民層に十分な富の蓄積が存在していたので比較的容易に資本主義に移行できた、とも確かに考えられうる。
ただこの考え方には大事なキーワードである『近代科学の発展』が一つ丸々完全に抜け落ちています。
宗教が資本主義を直接生んだのではなくて、宗教改革の動乱が近代科学を生み、その近代科学が資本主義を生んだと見るべきでしょう。
科学が生んだものは『人類にとって善』だけではなく核兵器や原発など扱いを間違うと、人類文明自体を破壊する恐るべきものも生み出しているのです。
富と蓄積(偏在)だけなら何処の国でも有史以来普通に存在しているが、それは資本主義ではありません。
資本主義とは『飽くなき富の増殖の欲求』を内包していて、しかもそれを近代科学が可能としたのです。
ところが資本主義を入れる『社会』と言う器には最初から大きさに限界があるのですから『飽くなき富の増殖』は必ず最後には破綻します。

キリスト教などの一神教は、日本人的な考え方からすると不思議な宗教で、父権的な絶対的な神様が報酬とともに刑罰も与えるのですね。
母権的な相対的な日本の宗教の神様は報酬のみを約束するのですよ。(罰を与えるのは神の仕事ではない)
しかも仏教などではそもそも最初から現世での利益を肯定している自己満足的で自己肯定的になる。
対してキリスト教などアブラハム形一神教では本来現世利益は悪で目指すのは死後の世界の永遠の救済です。
ウェーバーによればユダヤ・キリスト教のそれは使命預言で、実現すべき理想とは神の国(あの世)であり現世には無いとされています。
それなら仏教の方が、より資本主義の精神に近いのではないでしょうか。
返信する
コメントが前後しました。 (宗純)
2011-04-25 18:18:32
愚樵さんから、当方の誤字脱字を修正しているあいだい愚樵さんからの返答のコメントがあり、順番が前後してしまったようです。
時間が足りないので今日ははしょって簡単にコメントしますが、
>『資本主義は「内包」を拒否する者を許さない』<
これは間違いないでしょう。
絶対に許さない。
何とかして倒そうと損得を抜きにして必死になるのですから不思議。
普通なら資本主義とは損得を最大の価値観としている筈なのですが、これだけは例外なのです
パリコンミューンの最後とかロシア革命での列強の軍事干渉とか、近いところではキューバ革命でのアメリカの歴代政権の経済封鎖なんかは有名です。
一番近い例ではNATOのリビアのカダフィ叩きですね。
カダフィは資本主義に懐疑的で、ことあるごとに盾をつくのでそれで睨まれているのですよ。
独裁云々と理由をつけているがイスラム世界では最も女性の権利を認めているのがリビアのカダフィなのです。
ただ年金制度を例にするのは適当ではないでしょう。
年金制度が破綻しかかっている最大の原因はデフレですよ。
百何十歳の高齢者の話もこれが原因です。
現役世代が働くよりも親の年金の方がデフレで高いのですよ。
資本主義は基本的に制度設計がインフレを前提としているのでデフレでは成り立たないのです。
それ以外の指摘も矢張り日本で20年間も続くデフレが最大の原因でしょう。
アメリカの南北戦争の原因は新興工業国の北が保護貿易を主張して、農業立国の南が自由貿易を主張した関税戦争であった可能性が高いでしょう。
残酷な黒人差別は実は奴隷解放の結果で、それ以前の南部の黒人奴隷は白人にとっては大切な財産なので大事にされていたなどの不思議な話も有るようです。
南部では南北戦争後の方が黒人は酷い目にあったようです。
プランテーションの黒人奴隷の待遇よりも、資本主義社会の黒人労働者の待遇の方が悪くなったのです。
これはイギリスなど初期の資本主義社会では封建時代の農民や職人の待遇よりも、明らかに生活水準が下がったのと同じことがアメリカでも別な形で起きたのです。
それにしてもラビ・バトラは実にまともなことを主張していると思いませんか。
>『貧富の格差が拡大する社会はまともではない。』
『資本主義は美味しい果実を食べ過ぎたのである。』
『地球の資源や食料や物資などの物が有限なのに、そこに住まう人間の欲望が無限であれば、そこに存在する貪欲な資本主義が崩壊するのは必然ではないだろうか。』
特に、
『富の過剰な集中』が資本主義の崩壊を引き起こす。
少数の富裕層はひたすら貯蓄に励んでお金を使わず、多数の 貧困層はもともとお金が無いため消費できない。
この『消費の歯車』の停止が資本主義を崩壊させる。
『自由貿易』が資本主義の崩壊を引き起こす。
自由貿易による国際間の競争の激化のために生産者はコスト、ひいては人件費を削減することになる。
賃金を低く抑えれば、結局消費は鈍化する。
『消費の歯車』の停止が起こり資本主義は崩壊するのである。
何か、今の日本に丸々当てはまります。
返信する
インフレとデフレについて (愚樵)
2011-04-26 05:41:37
・宗純さん、おはようございます。

ご紹介のラビ・バトラの本は私も既読です。たしか「カトラーのマーケティング言論」あたりで紹介されていたはず。

>それにしてもラビ・バトラは実にまともなことを主張していると思いませんか。

同意します。が

>年金制度が破綻しかかっている最大の原因はデフレですよ。

この意見には同意できません。宗純さんは「資本主義下の年金制度」の破綻原因を仰っていますが、それでは年金制度と資本主義の比較にはなりません。肝要は資本主義が積立方式なのか賦課方式なのかです。

>資本主義は基本的に制度設計がインフレを前提としている

はい。この制度設計と賦課方式とは不可分いったいです。

景気が良くなる(モノの流通量が増加医する)とインフレになる。これは資本主義経済での常識です。しかし、少し考えてみるとこれは妙なのです。単純にモノの流通量が増えるだけ(貨幣量は変わらない)なら、デフレにならなければおかしい。これは単純な算数の問題です。

が、見られる現象はこの逆。ということは、モノの増大量以上に貨幣の量が増大する、もしくはモノの増大に先行して貨幣の量が増大するという事実を示唆しています。

資本主義が積立方式であるならば、こうした現象は起こりえません。貨幣は資本であり備蓄ですが、積立(備蓄)が生産に先立って起こることはあり得ないからです。ですから、好景気=インフレという事実から演繹される結論は、資本主義は賦課方式という結論しかありません。

もし資本主義が積立方式なら、私たちの経済活動についての常識は根底からひっくり返ります。我々は、経済活動は利潤を追求するために行なうと考えています。ところがモノの生産が増大するとデフレになる世界では、そもそも利潤が望めません。だったら誰も経済活動などしないではないか、と考えがちですが、それは賦課方式の資本主義に囚われた考えです。

積立方式だと再生産の動機付けは、おのずと自己満足になる。あるいは神から与えられた使命になるのです。
返信する
愚樵さん・・・・・ (宗純)
2011-04-26 16:37:52
此の頃は少し以前とは違い余裕が無いというか、自説の裏を読まず、いたずらに固守する姿勢が見られますよ。
あまり関心しません。思考が硬直しています
資本主義の出発点で、資本の蓄積が必須の絶対条件である、と弁えているのは正しい経済学の知識であり、このことは評価したい。
資本主義の成立条件である『富の蓄積』とは、実は言葉を変えれば『富の偏在』を意味するので、これは、まさに今大問題になってきている『格差の存在』と同じ意味にもなるのですね。
富の蓄積とは格差の存在を意味しているので、それなら格差を無くせば資本主義は自動消滅します。
だから今まで資本主義が損得を度外視して『格差の解消』をスローガンにする社会主義撲滅に邁進するのはその意味では当然でもあるのです。
『積立方式なのか賦課方式なのか』などは些細な違いであり、物事の本質ではありません。
事実資本主義国でも積み立て方式の国は幾らでもあり、あのアメリカさえ組合が扱っている個人年金は積み立て方式ですよ。
また還付方式の日本でも数年分もの膨大な払戻し額に相当する数百兆円もの金を積み立てているのです。
それなら日本自身が積み立て方式であるとも言えるのですね。
『積み立てである』と看做さないと、年金は現在払戻し分の金は確実に振り込まれてるのですから、今の数百兆円はまったくの無駄金であるのです。
そもそも20年前までは日本はインフレが続いていたのですから、年金の制度設計が積み立て方式なら自分が納めた掛け金よりも、何十年後の受取額が目減りしてしまうので、誰も年金には入りません。
還付方式だったから今までの年金が上手く機能してるいる側面もあるのですね。
デフレだから今の問題が生まれたのです。
そして、デフレが永久に続くと仮定するなら掛け金の積み立て方式でも上手くいくのです。
これは逆に考えてみれば簡単にわかります。。
積立金方式でインフレに遭遇するとは、自分の積立金が何分の一に減少することを意味するのです。
日本経済において、20年前にとんでもない大きな出来事が起きて、根本的に物事の土台部分が変化している事実(日本だけに起きている不思議過ぎるデフレ)をもう少し考えてみてください。
この一番大きな事実(変化)を軽視しては駄目で、それ以外の物事は枝葉のことになるでしょう。
返信する
Unknown (煎茶)
2011-04-26 19:49:48
恥ずかしながら、新自由主義の方々がトリクルダウン理論という仮定で理論武装(笑)してる事を、この記事ではじめて知りました。

金を使わない金持ちを放任すると抗う事の出来ない程の力の差を生みますね。
世襲的な事が起こればなおさら…。
しかし共産主義のように極端な計画経済もまた富の分配権限を持つ人間に力が集中します。
私有財産は認め経済活動を行いつつも行き過ぎた富の蓄えを抑え貧民に分配する方法はあるでしょうか。
事の大小は有れど、共産主義と同じように特殊な人間の意向が介入する余地が残ります…。
返信する
話が噛み合わなくなりました (愚樵)
2011-04-26 19:52:47
・宗純さん

>あまり関心しません。思考が硬直しています

宗純さんがこのように言い出すと、ダメですね。もう話が進まない(苦笑)

この手の話は以前にも小野某かの主張を巡ってやり合いましたが、あのときと同様、物別れに終わりそうです。
(えっと、デフレはバブルである、でしたっけ?)

宗純さんの思考は貨幣価値説の枠内から一歩も出ていません。そこに囚われていると賦課方式資本主義のカラクリは見えてきません。

>それなら仏教の方が、より資本主義の精神に近いのではないでしょうか。

といったようなことを仰ったので、今回は話が通じるかと期待したのですが。

宗純さんは常々、最も普遍に近いのは科学であると仰います。普遍の意味を巡っていろいろとありますが、「結果はひとつ」という意味においては正しい。ならば、それ以外は、見方を変えれば全く違った結果が見えるということになるはずです。

>『積み立てである』と看做さないと、年金は現在払戻し分の金は確実に振り込まれてるのですから、今の数百兆円はまったくの無駄金であるのです。

数百兆円などというのは、所詮は虚構です。普遍ではありません。ということは、見方によっては、たとえ数百兆円あろうと無価値、ゆえに無駄もへったくれもない、ということもあり得る。

しかし、これはなにも禅問答をしているわけではありませんよ。貨幣と、貨幣によって計測される富とを切り離して考えることができさえすれば容易に理解出来ることです。
返信する

コメントを投稿

経済」カテゴリの最新記事