逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

日航123便墜落と森永卓郎

2018年08月17日 | 社会
『森永卓郎は1年以上前から事故調の不可解な結論や自衛隊の組織的なサボタージュは告発していたが、・・・』

小泉純一郎首相の新自由主義を批判して、胡散臭い『痴漢事件』で唐突に失脚してマスコミから追放された経済学者の植草一秀が33年前の中曽根康弘政権(元祖新自由主義)当時の520人が死んだ日航123便墜落を取り上げるのはある意味では当然だが、なんと、元経済企画庁で『年収300万円時代を生き抜く経済学』、『年収120万円時代』、『年収崩壊』などの著書があり、テレビでライザップのコマーシャルにも出演している独協大学経済学部教授の森永卓郎が、今年は植草一秀と二人で超過激な(最悪の陰謀論かイスラム国の自爆攻撃のような)『オレンジエア』を言い出したのが不気味である。(森永卓郎は今年もユーチューブにはあるが何故か自分の記事には無いのが不可解。本気なのか、それとも悪い冗談なのだろうか)

第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎) 2017年8月30日

ニュース番組にかかわるようになって20年以上、私の心のなかには、もやもやした疑問がずっとつきまとってきた。それは日本航空123便の墜落原因だ。1985年8月12日18時12分に、大阪に向けて羽田空港を飛び立った日航123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中、520人が死亡するという、一機では、世界最大の航空機事故となった。
事故の原因は、その後の運輸省の調査で、機体後部の圧力隔壁が破損し、そのときの圧力で尾翼の一部が吹き飛んで、油圧装置も破壊され、そのことで機体のコントロールが不可能になったことだとされた。機体は、過去に伊丹空港で尻もち事故を起こしており、そのときに破損した圧力隔壁をボーイング社が修理した際、十分な強度を持たない方法で行ったため、それが破損につながったとされたのだ。
いまでも、この公式見解は一切変更されていない。
しかし、この事故原因に関しては、当初から様々な疑念が呈されてきた。
例えば、圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生する。それは、過去の機体破損の事故で共通して起きている。しかし、123便では、薄い霧は発生しているものの、機内が見通せなくなるほどの霧は、発生していないのだ。そしてこの事故で最大の疑問は、墜落現場の特定が大幅に遅れたことだ。墜落時間は、8月12日の18時56分だが、地元の消防団員が生存者の落合由美さんを発見したのは、翌日午前10時54分だった。
自衛隊が現場を特定したのも、公式には翌朝になってからということになっている。すぐに救出に向かえば、多くの人命が救えたにもかかわらず、現場の特定が大幅に遅れたのだ
しかし、内陸部に墜落したのだから、機体は直前まで、確実にレーダーで捉えられていたはずだし、近隣住民も火の手が上がるのを目撃している。
当時、地元の自治体からは県や国に通報もなされているのだが、なぜか墜落現場は、現場とは無関係の長野県とされるなど、翌朝まで報道が二転三転し、特定されなかったのだ。
もっと不思議なことは、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から山が炎上するのを確認し、自衛隊に通報するとともに、米軍輸送機の誘導で厚木基地を飛び立った米軍の救難ヘリが現場に到着しているのだ。
だが、救援ヘリは、救助開始寸前に作戦中止を命じられ、何もせずに引き返している。つまり米軍は最初から墜落現場を完全に特定していたにもかかわらず、何故か日本政府には伝わっていないことになっているのだ。
 
なぜこんな話を書いているのかというと、今年7月に青山透子氏が『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)という本を出版したからだ。青山氏は当時日本航空で働いていた客室乗務員で、事故機には彼女が一緒に仕事をしていた同僚たちが乗り込んでいたこともあって、事故の真相を探ろうと、あらゆる文献を収集整理し、目撃者証言を集めて、いわば人生をかけた調査に取り組んできた。そして、書籍のなかで、重大な事実を指摘したのだ。
予め断っておくと、123便の墜落事故に関しては、これまでもあらゆる陰謀説が唱えられてきた。しかし、青山氏の今回の指摘は、そうした根拠不明の陰謀説とは一線を画すものだ。青山氏は、東京大学の大学院を出て、博士の学位も取っている。東大を出ているから正しいというのではない。博士論文は厳密な審査が行われる。そのため論文には明確な根拠が求められる。憶測で書くことは許されないのだ。その論文作成の姿勢は、この本でも貫徹されている。証拠となる文献、そして実名での証言を集めて、青山氏は厳密な論証を行っているのだ。
 この本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。子どもたちがうそをつくはずがない。しかし、この証言を前提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握していたことになる。
 それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛隊は一体何をしていたのだろうか。本書に掲載された証言によると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭がしていたそうだ。また、現場の遺体は、通常の事故では、あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではないかということだ。
 消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも目撃されている。
 青山氏は、次のような可能性を提示している。自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で塗られていた。何らかの理由で、その飛行体が123便の尾翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。
 もしこの推測が正しいとすると、日本政府としては、とても受け入れられる事故原因ではなかっただろう。というのも、事故当時、私は経済企画庁総合計画局で働いていたのだが、国会では、防衛費がGNP比1%以内に収まるのかどうかが、連日、議論の的となっていたからだ。総合計画局の産業班は、「防衛班」と呼ばれるほど、1%問題の国会答弁作成に追われていた。当時は、野党が防衛費の膨張を強く非難し、国民の自衛隊に対する感情も、いまほど理解あるものではなかったのだ。そうした環境のなかで、自衛隊の不祥事は許されない状況だった。
 しかし事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、森友学園や加計学園よりも、はるかに重要な問題だと私は思う。なぜなら、この事件のあと、日本は以前にもまして対米全面服従になったからだ。事故の翌月には、ニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」が結ばれ、協調介入によって極端な円高がもたらされ、日本は円高不況に突入した。日本の安定成長が失われた大きなきっかけとなったのだ。それだけではない。1993年には宮澤総理とクリントン大統領の間で年次改革要望書の枠組みが決められ、それ以降、日本の経済政策はすべてアメリカの思惑通りに行われるようになった。事故の原因を作ったとされるボーイング社は、もしこれが事件だとすると、罪をかぶった形になったのだが、その後、着々と日本でのシェアを高め、いまや中型機以上では、ほぼ独占状態といってもよい状況を作り上げている。
 123便の事故に関しては、これまで、何度も事故原因の再調査が政府に申し入れられたが、日本政府や日本航空はまったく動く気配がない。しかし、2年前、私の心に希望の光が差し込んできた。あるニュースが飛び込んできたからだ。そのときに保存していたニュースを再掲する。

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年テレビ朝日系(ANN) 2015年8月12日(水)11時47分配信

乗客乗員520人が犠牲となった日本航空機の墜落事故から12日で30年です。墜落した123便は羽田空港を離陸した後、相模湾の上空で圧力隔壁が壊れました。垂直尾翼など吹き飛んだ機体の多くは海に沈み、今も見つかっていません。ANNは情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、123便の部品の可能性がある物体を発見しました。
 先月29日、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で撮影された映像です。右側のパネル状の部分は四角形に見え、側面にある黒い部分には数字などが書かれています。カメラとの距離などから調査にあたった専門家は、1.5mから2mほどの大きさではないかとしています。当時、事故調査委員会のメンバーとして墜落の原因を調べた斉藤孝一さんは「この映像だけでは分からない」としたうえで、123便の残骸である可能性を指摘しました。
当時の事故調査官・斉藤孝一さん:「仮に航空機の部品だとすると、『APU』のまわりに取り付いている『コントロールボックス』といわれてるようなもの」
 APUは機体後部にある補助エンジンで、客室に空気を送ったり電気を付けたりする役割があります。斉藤さんは圧力隔壁の破壊という事故原因は変わらないとしたうえで、残骸が見つかれば事故の状況がより詳細に分かる可能性があるとしています。123便を巡っては、相模湾上空でのトラブルの際に機体から落ちた垂直尾翼の大半やAPUを含む機体後部の部品が見つからないまま、事故から1年10カ月後に調査が終了しています。国の運輸安全委員会はこの映像を見たうえで、「当委員会としてのコメントは差し控えさせて頂きます」としています。

 相模湾の海深く沈んでいると言われてきた翼も、この近辺の浅い海に沈んでいる可能性が高いのだ。尾翼が見つかれば、事故原因がはっきりする。もしも、訓練用のミサイルが尾翼を直撃したのであれば、尾翼の残骸にオレンジ色の塗料が付着していると考えられるからだ。ところが、日本政府や日本航空は残骸の引き上げに動こうとしない。それどころか、これだけ重大なニュースであるにもかかわらず、テレビ朝日も、その他のメディアも一切続報を出さないのだ。
 日米関係がいったい何に立脚しているのか。本当のことを追及していかなければならない。それが、私を含めたメディアで働く人間の義務だろう。
2017年8月30日 森永卓郎



『日航ジャンボ機墜落の鍵握るオレンジエア』2018年8月12日 (日) 植草一秀

1985年8月12日の日航ジャンボ機123便墜落から33年の時間が経過した。
私たちは、この事故=事件の「知られざる真実」に迫らなければならない。
一連のオウム真理教事件に伴う死者は29名、負傷者は6000名以上とされるが、日航ジャンボ機墜落事件では乗員乗客524名のうち520名が死亡した。
亡くなられた方々のご冥福を、改めて心からお祈りする。
この事故=事件で生存を果たした、日本航空CAを務めていた落合由美氏は墜落直後の状況に関して重要な証言を示す。
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」
つまり、多数の乗員または乗客が生存していたことを落合氏は証言している。
しかし、公式発表の事故調査報告書は、
「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」
としている。
両者の間に決定的な相違がある。
落合氏は実際に墜落したジャンボ機に搭乗していたのであり、自分自身で現場を体験している。
これに対して、事故調査報告書を書いたのは、事故当時の現場を体験していない人物、あるいは「機関」=「組織」である。
どちらの説明の信ぴょう性が高いのかは明白だ。
落合氏は飛行機に衝撃音が発生した直後の状況についても証言している。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」
落合氏の証言は続く。
「あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。
ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生する。
過去の機体破損の事故で共通して起きている。
だが、123便では、その霧は「数秒」で消えており、空気の流れも生じなかった可能性が高いのだ。
衝撃は18時24分に発生し、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。
捜索隊が墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した13日午前8時半ころ。
救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡したとされている。
しかし、墜落から20分後には米軍機が墜落現場を確認しており、午後9時頃まで海兵隊ヘリと米軍機が救援活動を展開したが、横田基地の司令部から帰還を命じられた。
それでも米軍機は午後9時20分頃に日本の自衛隊機が現場に到着するのを確認して帰還したということなのだ。
しかし、翌朝8時半まで、救援活動は行われなかった。
謎を解く最大のポイントは、衝撃音発生直後にコックピットから発せられた、重要な言葉である。
その言葉とは
「オレンジエア」。
「フジテレビ『ザ・ノンフィクション』」
https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM
の22分35秒以降の部分で確認できる。
この言葉の意味を確認して、私たちは日航ジャンボ機墜落事件の「知られざる真実」に迫らなければならない。
2018年8月12日 植草一秀

★注、
1年前の森永卓郎の記事中でも、『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(青山透子著)という本の中に『窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできているという』云々の記述があるが、コクピットのボイスレコーダーに「オレンジエア」が見つかったは言わなかった。
ところがである.今年の8月に森永卓郎はユーチューブでコクピットのボイスレコーダーの記録内に『「オレンジエア」が見つかった』言い出したのである。(オレンジエアとは自衛隊のミサイルのこと)
植草一秀もユーチューブの森永卓郎ほどではないが、ほぼ同じ主張を今回の自分のブログで記事に書いている。(ただし、森永卓郎は、なぜか『活字』ではオレンジエアに触れていない)

フジテレビ『ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故 15年目の検証 』2013/08/05

このユーチューブの画像を見れば明らかだが、森永卓郎の1年前の記事『日航123便はなぜ墜落したのか』の元ネタらしいのである。
日本でもっとも対米従属命で、政府自民党や安倍晋三に近い右翼的な論調が特徴のフジサンケイグループが、5年前の2013年(フクシマのレベル7の核事故の発生から2年後の)時点で、日本航空123便事故の運輸省の事故調査の間違いが指摘されていた。
また森永卓郎の当該記事の半分を占める青山透子の著書ですが、この人物が何とも不可解。(多分、本名ではなくてペンネームなのだろうが経歴が不明。その背後関係がなんとも怪しいのである)

【森永卓郎】日航機墜落※事実を隠蔽した可能性が高い!自衛隊機が2機追尾していた!謎のオレンジ色の物体~画像解析で判明!ダイバー発見の垂直尾翼!中曽根首相と防衛費GNP1%問題~123便墜落の真相に迫る

このユーチューブで森永卓郎は『青山透子』の直近の著書を根拠にして喋っていることは明らかなのである。
『青山透子』は8年前の2010年4月29日『天空の星たちへ 日航123便あの日の記憶』を書いている。
ところが。最近になって『日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ』2017年3月17日、『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相』2017年7月24日と立て続けに出版しているし、今年に入ってから早くも数冊も書いているが似たり寄ったり(事故調の結論の否定)の(ほぼ森永卓郎の驚きのユーチューブの中身と同じ内容)だった。ただし、著書の中身が去年からトンデモナクどんどん過激になっている。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
青山透子(アオヤマトウコ)
宮城県出身。全国学芸コンクール、戯曲・シナリオ部門第一席、社団法人日本民間放送連盟会長賞受賞歴を持つ。日本航空株式会社に客室乗務員として入社。その後、日本航空客室訓練部のノウハウをもとに様々な企業研修を行う。全国の官公庁、各種企業、病院等の接遇教育インストラクターを経て、専門学校、大学講師。大阪国際花と緑の博覧会、愛知万博等の教育担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

『青山透子(アオヤマトウコ)は個人名ではなくて、9・11の「奥菜秀次」と同じブランド名か、それともオペレーションの名前』

植草一秀や森永卓郎の元ネタである、この『青山透子』の著書ですが、一番変なのは本人の写真も無いし住所や年齢も不明。森永卓郎は東大で博士号を受けたとあるが学部や専門分野も不明。到底実在の人物とは思えないのである。(まさに『奥菜秀次』事件のソックリさんである。『奥菜秀次』の場合は阪大物理学教授が看板のエアー御用学者の筆頭の菊池誠が推奨したので一時は有名左翼ブロガーも軒並み騙されていた)
(★注、Wikipediaで 『青山透子』を検索しても『青山透子』名の著書以外、何も出てこないので、日航機123便事故に特化したオペレーションの名前か、それともブランド名だと思われる)
中曽根時代の日航機123便事故は今まで33年も全員で必死で隠していたのに・・・。同じ経済学者でも失脚して大手メディアとは縁がない(今では失うものが少ない)植草一秀はともかく、マスコミで活躍している森永卓郎の場合は(同じ主張でも意味が違い)あまりにも縁起が悪すぎるのである。
フクシマの核事故から7年が経過して隠しきれなくなったので、みんながアッと驚く『猫だまし』の赤いニシン(間違いに誘導する偽の手がかり)か、それとも輪転機をグルグル回すアベノミクスが6年でアウトになって仕舞ったか、あるいは両方の一番痛い『往復ビンタ』か。何れにしろ最終局面が迫っており一般市民にとっては決して喜ばしい話ではない。



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6 コメント

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プラザ合意体制が終わる可能性。 (ローレライ)
2018-08-17 13:32:56
いよいよ、プラザ合意体制が終わるから、玉音放送が行なわれている可能性がある。
核武装OK (せやな)
2018-08-18 01:04:29
先日、ウジTVと言う朝鮮TVが我々日本人を舐め腐った番組を放送していた。日航機撃墜事件を可哀相な美談めいた内容だっただけに、すぐさまチャンネルを切り換えたけれども。自分的には、33年前のあの事件は、日航機に積み荷されていた核兵器の存在がアメリカ側にばれるのを怖れた日本政府の(指揮系統が及ばない勢力)に拠って故意に撃墜されて、日航機の前方と後部に生存していた乗客を火炎放射器で殺害した事件だったと聴いている。埼玉の熊谷駐屯地の自衛隊組織内の(日本人に似た容貌だが、純粋の日本人では無い外国人らの傭兵部隊が、その時に生存していた乗客の命を絶つたのだと聴いている。日本国内には、俗に桜田門と言う警視庁内部には(日本政府の力が及ばない警察組織が存在している事)あの神奈川県警内部にも、大阪府警内部にも厳然たる(組織内の裏組織)が存在する実話をだ。
なか そ ネ わるいやつ (おすたか やっぱりね)
2018-08-18 14:36:25
直ぐジエイ怠の目撃者が 大勢いるのに、生きている人を口封じで、やきころすなんて な かあそ ネ は

隠居ずらして メディアで不満漏らすが、民間機に練習ミサイル当てて隠匿の非道な指令を出した罪は重大。
何度もテレビ番組とか嘘報道で 怪訝に感じた遺体の焼失が 地上での人の皮の鬼の仕業とは…
「オレンジエア」か、それとも「ボディギア」 (宗純)
2018-08-19 16:17:45
コックピットの会話を記録したボイスレコーダにある爆発音直後にスコーク77の続きが、
機長や副操縦士、機関士の会話が「オレンジエア」(オレンジ色の自衛隊の空対空ミサイル)か、それとも「ボディギア」(胴体側の車輪). か、どちらかなのです。
ところが、この部分を政府の事故調査委員会が「オールエンジン」と解説したが、これは
尻もち事故での隔壁破壊で尾翼が吹き飛んだとのビーイング社の言い分に辻褄合わせをおこなっただけ。
白い霧が一時的に発生したとの生存者の証言にピッタリ一致しているのが「ボディギア」(胴体側車輪). だけなのです。
「オレンジエア」(空対空ミサイル)の方は、自衛隊の隠語ではあるが、一般には使われていない。日本航空のパイロットが知らないし、喋らない。
そもそも地上配備の対空ミサイルは大きいので見える。
ところが、実は戦闘機に積む空対空のミサイルは非常に小さいので発射されてものを飛行中に確認することは神業なのです。
1950年代の世界で最初のアメリカの空対空ミサイルのサイドワインダーが中国軍に対して圧倒的な戦果を挙げて、中国大陸から2キロの距離の金門島で台湾側が圧勝。
肉眼で空対空ミサイルを見ることはほぼ不可能だったのです。
青山透子(アオヤマトウコ)の「オレンジエア」(空対空ミサイル)の方は、明らかに赤いニシンなのですが、
今回も悪質なデマに影響された脳みそが腐っているとしか思えない困ったコメントが2通も送られてくる。がっかりするというか、何とも腹立たしい話である
もし自衛隊だとしても 米軍だとしても 日本に結果的に弱み的みたいなものはあった可能性がありますね。 (たけ)
2018-08-20 23:02:24
ユウチューブみて音声をお聞きしたのですが。
気のせいでしょうか おかしいんですよね。
損傷箇所チェックしてなぜオレンジエア(空対空ミサイル攻撃)とすぐ断定したのでしょうか。
外見たんでしょうかね。
確かに

謎を解く最大のポイントは、衝撃音発生直後にコックピットから発せられた、重要な言葉である。
その言葉とは
「オレンジエア」。

のとおりかもしれません。植草氏はこの言葉自体の疑義を だしても 他のお二人の様に断定されていません。
良く言えば
発言 もしくはこの言葉が出たこと自体に 意味がある と捉えている
悪く言えば
逃げ道を作っている
でしょうか。
(私の考えすぎや見当違いの可能性も高いですが)


Unknown (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2019-08-03 07:08:15
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/24a688657c8774f650a8ee0d48d4f8d3
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事における たくさんのJAL123便の元気な生存者及び、ご搭乗の昭和天皇が、日本の埼玉県警察本部交通課の警察官らの襲撃(日本語で おまわりさん?らの手により)により焼かれる等の手口で
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった


なお、米国機関で改めて調査を行ったところ、生存者の一部は、伊豆の達磨山の地下にヘリで連れていかれ、少なくとも十数年は生存していたことが新たに判明した。

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