逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

足利事件と飯塚事件の科捜研のDNA鑑定

2009年06月06日 | 社会
『死刑でなくて本当に良かった』

栃木県では足利市周辺で5人もの幼女が同じ様に殺される同様な凶悪事件が起きているが、足利事件の菅家さんは今回の事件以外にも2件も、同様事件を自白しているので(三件の別々の事件での少女三人殺しなら)本来は今回の無期懲役では無く、間違いなく『死刑』であろう。
ところが運良く(警察にとっては運悪く)明確なアリバイ等の証拠があったので自白した3件中の2件は起訴されることは無く、証拠不十分で不起訴処分となった。
有罪とされたのが自白した3件の中で、アリバイなど無実が証明出来なかった1件だけだったので、今回辛うじて死刑を免れて無事生還する事が出来たし、証拠も保全されていたので今回のDNAの再鑑定で無実も証明できそうだ。




『科学神話』

当時の科捜研の最新の科学的判定であった『DNA鑑定』に対する人々の信頼度は、最早『信仰』の範疇に入るものだった。
菅家さんに知られずに、一年間も24時間尾行していた刑事たちが何ら怪しい事柄を発見出来なかったにも拘らず『最新の科学』では一瞬にして無実の人間を有罪とする事が出来た。
今の世の中では『科学』に正面から逆らって勝てるものは一人もいない。だから日本では『科学』には誰一人も逆らおうとはしない。

『ニセ科学より恐ろしい正しい科学』

警察検察だけではなく弁護側もこの『科学神話』から自由でなかった。
一審段階の弁護士は科捜研の科学鑑定を信頼するあまり、自分の弁護する菅家さんの『無実の訴え』を真剣に聞こうとはしなかった。
科捜研の『DNA鑑定』そのものはニセ科学ではないが、決して正しくもなかった。
DNA鑑定に限らずとも、幾等『正しい科学』であったとしても運用を間違えれば『ニセ科学』など及びもしない程の甚大な損害を社会や人々に与えるものです。






『飯塚事件』

しかし世の中には運の良い人もいれば、運の悪い人もいる。
同じころに、福岡県飯塚市 で小学1年の少女が二人同時に殺される事件が起きる。
足利事件の菅家さんと殆んど同じ様な経過を辿り、久間三千年さんが任意提出した資料によって、科捜研と医科歯科大学の両方の鑑定が行われたが、『ある程度同じである』と『同じであるとは判定出来ない』と両者の判定の意見が分かれる結果が出る。
しかし、(警察に都合がよい)科捜研の足利事件と全く同じ精度の低いMCT118法DNA鑑定により『血液のDNA型が一致した』として逮捕、起訴される。
久間三千年さんは飯塚事件の数年前の幼女行方不明事件の最期の目撃者であったことから最初から容疑者として警察に目を付けられたいた模様で、菅家さんと全く同じ様に、1年間も刑事に尾行されていた。
足利事件の菅家さんは一審途中からであるが、こちらの飯塚事件の久間三千年さんの方は最初から一貫して無実を主張したが、其れが禍して裁判ではアリバイが証明などの自身の無実が証明出来なくて(被告が自白していないので)『まったく反省していない』『悪質である』として2名の少女殺しの犯人として死刑判決が下る。

彼は逮捕以来一貫して容疑を否認し続けたが、最高裁での死刑判決の確定後僅か2年後の昨年2008年10月、なんと、突然処刑されてしまった。
弁護側は再審準備中だったが、あまりの法務省の手際のよさに間に合わなかったと言う。
久間三千年さんは『自白しなかった』ので裁判では『反省していない』として死刑の厳罰が下り、其の後も『自白していないの悪質である』として短期間で簡単に処刑してしまう。
これでは日本の裁判においては、やっていなくても『やりました』と嘘の自白をした足利事件の菅家さんの方が、『自白』しなかった飯塚事件の久間三千年さんのやり方よりも正しい選択であった事が良く判るというものだろう。




『確証バイアスと自白』

確証バイアスとは「正当化思考」とも言い換えられ、正当化思考とは、定型的に都合よく一方向に自説の正しさを示そうとする思考のことである。
裁判で検察側がよく陥りやすい典型的な誤判の事例で、『自説が当てはまりそうな事実を探し出して(反対の事例は無視するか過小評価する)それの積み重ねの結果、自説が正しいと思い込んでしまう。』良くある、『正当化思考』の怖さや弊害に対するの無理解、無頓着である。
これは、いわゆる有罪の状況証拠の積み重ねであるが、日本の場合にはこれに自白偏重が加わり弊害が倍加する。

論理的には、自説が当てはまる事実の積み重ねは、自説の正しさを証明しない(論理的に言えば、帰納法は正しい推論ではない)。






『逆さまの日本の裁判』

大概の裁判の誤判には『自白をした人間は犯人である』という『自白神話』と確証バイアスと関連している。
ただ日本の裁判例の場合にはもう少し(実際はそれ以前のレベルの話として)社会常識や民度が低い(純真すぎる)かもしれません。
たとえば少し前なら鈴木宗男、今なら小沢一朗。変種としてスマップの草薙さんの例を考えると、
日本では、『警察に捕まった人間は犯人である』『逮捕=有罪』とする『警察無謬?神話』あるいは『警察絶対正義神話』が間違いなく存在します。(これが極ったものが満員電車内での痴漢事犯であろう)

世界中で日本の警察ほど信頼されている警察は何処にも無い。
世界各国の街中に警察署は有りますが、日本に幾等でもあるコウバンは何処にもない。
有るのは日本だけです。
そして日本の警察活動における交番の比重はトンデモナク大きいし、世界各国も其の事は誰でも知っているが何処の国もコウバンを作る事が出来ないのですよ。
日本におけるコウバンの存在そのものが、如何にこの国では警察が日本の市民から信頼されているかの証です。
ですから其の『絶対に正しい警察』が捕まえた者は、恐ろしい事に市民の常識では(日本では)自動的に真犯人に間違いない。
『疑わしきは被告の利益』ではなく(日本では)警察に疑われる様な悪い者は殆んど自動的に『真犯人』と思っても99・9%間違いない。
それで、(日本では)裁判になれば必ず99・9%有罪に成る。
白状すれば裁判官の温情で、『反省している』として執行猶予になる場合もあるが、『無実だ』と主張してあくまで否認を続ければ些細な罪でも『反省していない』として必ず実刑になる仕組みになっている。
これでは誰であれ(日本では)多少の損得勘定の出来る者であれば『本当に犯罪を犯したのか』か、あるいは『全くの無実か』に係わり無く白状したくなる筈です。

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10 コメント

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現在では「科警研」と言ってますけど (kaetzchen)
2009-06-06 19:39:30
私が博士課程の学生時代に使っていた「制限酵素」という「DNA 分析」のために使う試薬はものすごく高価で,国費をばんばん使う非国民でした(自爆) そしてある程度の分子量にぶち切った遺伝子を電気泳動という方法を使って濾紙の上で分けて,蛍光染料で染めて紫外線を当てると,遺伝子の塊がかけられた電流の値によって帯のように浮かび上がるという仕組みです.

この蛍光染料のことをマーカーと言うのですけど,昔はこのマーカーの性能が悪くて,ほとんど目測とカンで帯の位置を測定していました.職人芸です(笑) 人間の場合,だいたい16個の塩基対ごとに遺伝子の塊を分けて行きまして,16個の塩基対の組の数がいくつあるかで「DNA のタイプ」を決めていたのです.

ところが,科警研が DNA 鑑定として採用した「MCT118法」ではこの塩基対の組み合わせを正確に測定することができませんでした.後に科警研はその事を認める論文を出しましたけど,意地になって自らの過ちを認めようとはしなかったのです.

そして,独自に新しいマーカーを用いてより正確な「DNA のタイプ」の分析を行った弁護団は科警研が「MCT118法」さえもいい加減な「鑑定書」を提出していたことを突き止めました.そのためか,証拠隠滅のために飯塚事件の久間三千年さんは当時の法務大臣によって殺されてしまいました.当時の法務大臣が誰だかは,皆さんも知ってのことでしょう(笑)

「科学」の名のもとに人殺しを行うのはナチスだけでなく,現在の日本政府も同じなのです.私たちはこのような国に住んでいるから,武力革命つまり「内戦」も含む手段によって「この国を変えなければならない」必要性に迫られていると言えるのではないでしょうか.
新興宗教としての科学教 (ブログ主)
2009-06-07 09:45:30
何時もお世話様です。
今度の冤罪事件は『科学』の運用の問題点や、『最新科学』に対する『信仰』の恐ろしさなどが人々に認識された、またとない好例ですね。
科学の進歩の結果、今の人々は『科学』なくして一日もすごせません。
そして『科学的に正しい』事が全てに優先していて、何よりも尊ばれるのですよ。
自分には理解できなくとも『マイナスイオン』なんて如何にも科学的な名称が付いていれば付加価値が上がり電化製品が高く売れたりもする。
科学が進歩したお陰で、高等すぎて一般人には理解出来ないブラックボックス部分も増えて仕舞った。
科学を『科学』として理解するよりも『宗教』的に信じている人は予想以上に多いようです。
科警研が DNA 鑑定なんかはその典型例で、裁判にかかわった人々は被告の弁護士までもが信じていた。
科学の基本が『懐疑する心』から出発している事を理解できていない。
だからネット社会だけに蔓延る『ニセ科学は悪』として水からの伝言』だけを対象にする『ニセ科学批判』なんて新興宗教モドキも流行る不思議な現象も起こる。
今の日本での最も主要な宗教は、間違いなく科学を宗教的に信じる『科学教』です。
しかもこの宗教の怖いところは信者達が自分たちを少しも『宗教的な判断をしている』とは思っても居らず、逆に『科学的思考方法である』と信じきっているところでしょう。


今度の『科警研が DNA 鑑定』問題ですが、
この当時は検察庁は全国で一箇所しかなかった 『DNA 鑑定』を全国に導入する目的で『飯塚事件』が利用されたようです。良くある役所の利権構造や組織の拡大の為の情報操作の一貫であったらしい。
飯塚事件 足利事件 (まっちゃん)
2009-06-07 11:02:11
私のブログ「テレビ番組報告」で
リンクさせていただきました。
先ほど、コメントを名前だけで
送ってしまいましたが
何も書かない段階でエンターキーを押し、
誤って送ってしまいました。
お許しください。
前のコメントは
削除してくださってけっこうです。
まっちゃんさん、はじめまして (ブログ主)
2009-06-07 13:39:32
リンク有り難う御座います。これからも宜しく御願い致します。
(まっちゃんさんの表記より『まっちゃん』表記の方が正しいのでしょうか。?)
ブログ記事では今度始まる裁判員制度と絡んで書かれていましたが、検察や警察が提出する証拠品がこの程度では、簡単な民法ならともかく(今の法律では)普通の市民の裁判員に対して被告に対する『死刑判決』を求めるなど、ひどすぎる。土台無理な話ですよ。
しかも数日の期間で即決判決するとか・・・あいた口がふさがらない。
人一人の命の重みを如何考えているのか。今回の足利事件でも、人の一回限りの一生の重みを如何考えているのか。裁判は早ければそれで良いのか。
早ければ早いほど良いのは結婚式の祝辞ぐらいですよ。
裁判員制度のように、数日間の審議で一人の運命を決めても良いのか。とんでもない話です。
それとも今までどうりに時間をかけて裁判をするべきではないか。
一人の人間の一生がかかっているのですよ。
誰であれ軽々に判断するべきではないし、また良識が少しでもあれば出来るものではない。
日本の裁判員制度は、どの様に考えても『欠陥法案の見本』のようなお粗末な悪法です。
2つの過ち (カーク)
2009-06-07 18:11:32
面影さんの記事を読んで、警察あるいは検察が2つの過ちを同時に起こしていることを非常に残念に思いました。

1つは、無実の人を犯罪者に仕立て上げてしまったこと。今日のサンデープロジェクトに出演されていた菅谷さんから、その仕立てられる様子を聞いて、ひどいやり方だと思いました。
「本当の事を話せ。」といいながら、ウソの況実調書をつらせてしまうというやり方に怒りを覚えてしまいました。

もう1つは、真犯人を逃して、なおかつ、再犯を犯している可能性があることです。そのことに関して、警察も検察も何の反省もないようですね。

警察も検察ももっと真摯にこのことを受け止め、反省して、市民を誠実に守ることを誓ってもらいたいものです。

取調べの全面可視化では不十分。 (東西南北)
2009-06-07 20:51:50
 例えば、高知白バイ事件がありますね。警察が証拠を捏造した可能性が極めて高い事件でした。バスのスリップ痕について、検察側が示した速度のスリップ痕とは到底、いえないようなスリップ痕の証拠を真顔を出してきた。

 これに対し、弁護側が検察側のいう速度では、そのようなスリップ献はつかないということを再現した。それだけではなく、検察側が、どのようにして証拠を捏造したかの手口として考えられる方法まで示した。清涼飲料水でスリップ痕をブラシで引き伸ばして捏造するという方法だった。

 テレビでも報道されただけに恐るべき方法を駆使して、警察は白バイ隊員の恥を隠すため、組織の面子のためなら、無実の市民に罪をなすりつけるのか?と戦慄したものでした。

 DNA鑑定についても、被害者の衣服に付着していた体液から抽出したDNAと被疑者・被告人・の体液が一致したと警察・検察側が立証・主張してきた場合においても、果たして、本当に被害者の衣服に付着した体液からDNAを採取したのかどうか?でっち上げの可能性がある。そこで、被害者の衣服からDNAを抽出・採取したという証拠を全面可視化することを警察・検察に義務付けてはどうか?さらには、弁護側の方でも被害者の衣服からDNAを採取して検査するために証拠を全面提出するように警察・検察が求められた場合には、弁護側に被害者の体液がついた衣服から弁護側がDNAを採取することを権利として認める必要がある。

 現在のDNA鑑定法は約4兆7000億人のなかから一人を特定できる精度なのだから、物証としては動かしがたい証拠となる。日本の人口は約1億2000万人。それだけに、DNA鑑定の刑事手続き上の証拠調べについては、合理的に考えうる限りに慎重な手続きを保障することが被疑者・被告人の人権保障になるし、迅速な刑事裁判の前提になる。
二重遭難の様なもの (ブログ主)
2009-06-08 09:09:45
カークさん、コメント有り難う御座います。

いたいけな幼女の殺害などは誰にでも出来るものではない。
極々特殊な話ですよ。
そして菅谷さんが有罪とされた事件以外にも良く似た類似事件が足利市周辺では判っているだけでも5件も起きているので、連続幼女殺害犯の宮崎勤のような変質者の凶悪犯が、当時足利市付近に潜んでいたのでしょうか。?
考えたら恐ろしい話ですね。
無実の菅家さんの冤罪被害は、菅家さん一人が被害に遭った訳ではなく、そのために真の凶悪犯がまんまと逃げおおせて、今も一般市民の隣りで普通の生活をしているかもしれない。
そして今でも昔と同じ様に同じ事を続けているのかもしれない。

山などでの遭難者の救助活動で起こる事件・事故で最も悲惨なのは救助隊が遭難して死亡する二重遭難ですが、この場合には即座に第一次(最初)の遭難者の救助は諦めます。(これでは助かるものも助からない)
二重遭難が起これば自動的に最初の遭難者は絶望視(無視)されるのですよ。
これでは救助を願っている遭難者関係者(家族)はたまったものではないが、今回も菅家さん逮捕で全ての新たな捜査は止めていた筈です。
まったくの二重遭難状態ですね。
正しい科学ほど怖いものはない (ブログ主)
2009-06-08 12:34:37
東西南北さん、コメント有り難う御座います。

まったく仰られるとおりで『取調べの全面可視化』だけでは不十分すぎます。
一般市民的な常識では、警察が捏造などの悪い事を絶対にしないとの前提に立っていますが、この前提が間違っている。
飯塚事件の久間三千年さんの事件では、警察に都合の良い事に最初の行方不明の少女の衣服が6年以上も経ってから野外で野ざらしなのに真新しい状態で発見されています。
何年も探し続けても見つからないものが再調査したら25分後には見つかったとか。
しかも地元住民の証言では其のゴミの固まりは極最近のものだったらしい。(久間三千年さんには事件後24時間の監視が付いたいた)
『捏造が疑われる事犯』というよりも、普通の一般市民が常識的に判断すれば『警察による証拠の捏造』と判断出来るでしょう。

高知白バイ事件での警察の証拠捏造には名誉の殉職と不注意に因る自損事故という不名誉な話では残された遺族の保証金や年金に大きな差が出る。
『身内だけが可愛い』というような歪んだ善意からの警察組織をあげての犯罪行為で有ると言えます。
何故こんな事(警察の犯罪)が繰り返し繰り返し行われるのか。?
其の答えは極簡単です。
誰も警察の犯罪を取り締まれないからですよ。
昔昔小さい子供のころに喧嘩相手に対して『警察が無ければ殺してやる』と言ってみたり、言われたりしたことは誰しも経験しているのではないでしょうか。?
警察組織の犯罪を取り締まる『警察は何処にも無い』のです。
監察制度なるものも有るには有るが所詮は身内の内内の組織で基本は『庇いあい』で終わっている。
アメリカなど外国を真似て警察組織とは独立した監察官制度を日本もそろそろ創設すべきですね。
其れと警察官の『労働組合』の創設です。
今の警察官は上(組織)にゴマをするものだけが得をするようになっているが、警察官個人の基本的人権や労働権は無視されたままです。
警察の民主化のためには、警察官自身が一市民であるとの認識をしてもらう為に、先ず警察官に民主主義を適用するのが筋でしょう。





『DNA鑑定法は約4兆7000億人のなかから一人を特定』
皇女和宮の棺からは本人のものと思われる髪の毛と爪が一緒に葬られていたそうですが、理由は平安時代の昔から京都の貴族社会では本人の体の一部(爪や毛髪)は本人と一緒と看做されていたので絶対に捨てずに大事に残していた。
皇族などは切った爪や髪の毛を、密教の呪いなどをかけられない様に迂闊に捨てずに厳重に保管して、最期に亡くなった時に遺体と共に葬っていた風習があったようです。

足利事件の菅家さんは、自分がごみとして捨てた自分の髪の毛の為に17年も囚われの身になってしまった。
平安時代の密教の呪いなど及びもしないほどの信者がいるDNAの科学神話が今の日本に有る以上、『これからは我々一般庶民も皇女和宮の真似をして爪や髪の毛は絶対に捨ててはいけ無い』なんて事に成りかねません。


科学に間違いは付き物です。
それにしても『最新科学』を絶対視して信じ切っている人々がこれ程多いと、『科学とは間違いの自己修正過程のこと』とか『科学する心とは健全な懐疑心のこと』であることを繰り返す必要が今ほど高まっている時もない。
科学者など関係者は、『正しい科学ほど怖いものはない』と謙虚になってほしい。
また『ニセ科学』には何の力も無いが、正しい『科学』には其れ以外のすべてのものを凌駕する強力な力が有るだけに、『本来怖いもの』である事に皆さんはもっと注意しないといけないし、『科学は間違いを原動力として進歩するものである』ことにももっと注意するべきであろう。
そもそも科学に間違いは付き物ですし、『絶対に正しい科学』はそもそも何処にも存在しない。
近頃ネット社会だけで流行る奇妙な『ニセ科学批判』などは昔の社会では何処にも無かった。
『ニセ科学批判』が流行りだしたのもつい極々最近の風俗で、私から見れば科学教の布教活動のような不思議な現象ですね。
ブログ主さんへ。 (東西南北)
2009-06-12 06:34:47
 1 「正しい科学ほど怖いものはない 」について。

 現在のDNA鑑定法では、4兆7000億人から一人のDNAの型を特定できる技術水準であって、今後も限りなく精度は増していきます。ゆえに、DNA鑑定による証拠は物的証拠としては動かしがたい事実となることにまちがいはありません。

 ここからが補足です。しかし、「正しい科学ほど怖いものはない」。つまり、刑事裁判においては物的証拠を基礎にして判断しなければならないが、同時に、「疑わしきは被告人の利益に」が大原則であるということです。例えば、今現在そして、これからのDNA鑑定の精度であれば、被告人と一致する、考えることが合理的なのであるが、同時に、被告人のアリバイが成立していた時には、どうするか?この場合に、DNAの型が一致することを決定的に重視して、アリバイ成立を軽視ないし無視するということは誤りである。

 「疑わしきは被告人の利益に」というのが刑事裁判の原則である以上、DNA鑑定においては、合理的に考えて証拠として採用して当然であるが、同時に、アリバイについても証拠として採用して当然であって、アリバイ成立を被告人の方で証明できた場合には、無罪としなければならない。

 これが「DNA鑑定神話」、「正しい科学ほど怖いものはない」ということの意味になると考えました。もちろん、科学と刑事裁判というテーマに限ってのことです。

 さらに、再鑑定についても被告人の方で実現できないのであれば、その時点で、すべての証拠を認めてはならない、というのは言うまでもないことです。

 刑事裁判においては、弁護側、検察側の双方で同じ条件で再鑑定できもしないものを、自然科学的な証拠として採用することが「疑わしきは被告人の利益に」の原則に反するからです。
警察天国でも有り、一般の警官の地獄でもある (ブログ主)
2009-06-12 13:48:58
東西南北さん。コメント有り難う御座います。

日本より一足先に裁判員制度を導入した韓国では、検察側求刑の罪状の変更が三分の一で、なんと驚く事に『無罪』が四分の一近くに成ったらしいですよ。
何ともうらやましいというか、日本では絶対に起こらない素晴らしい話ですね。
日本では、残念ながら韓国の例の様にはならないでしょう。

韓国でも以前は日本と裁判事情は同じで、
以前の裁判官のみの裁判では『警察に捕まった時点で有罪』が粗確定していて、裁判所や裁判官の仕事とは『被告が如何に自分の犯した犯罪を反省しているか』を判断して、『どれ程の情状酌量するか』だったのですよ。
今のような『DNA鑑定法は約4兆7000億人のなかから一人を特定』などと報道されていれば、警察提供の証拠は、足利事件当時より格段に信用性が上がった分、より危険性も上がったとも解釈できる。
しかも日本は韓国とは違い、警察の信用度は天文学的な数字です。
多分、『警察のでっち上げの証拠だ』と幾等被告が叫んでも誰も信用しない。
考えれば恐ろしい、恐ろしすぎる話ですね。
日本では諸外国では当たり前の裁判における『証拠の全面開示』も無ければ、全ての『証拠の保全処置』も無い。
これで冤罪が起こらない方が不思議なほどで、これからも幾等でも冤罪が生まれる構造的な仕組みが出来上がっている。
この構造の大元は、普通の真面目な警察官の民主的諸権利の無さです。
警察官も一市民であり、そして市民は最も優秀な警察官である、そして其の事で日本は世界一の治安の良さを誇っている、との事実を完全に見落としているのでしょう。

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