庄司卓完全攻略ブログ 迎春

作家庄司卓のブログです。
スケジュールは毎月一日に掲載。アクセスカウンターは2010年1月1日より集計。

3月20日(水)のつぶやき

2019年03月21日 03時30分07秒 | Weblog
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3月10日(日)のつぶやき

2019年03月11日 03時34分30秒 | Weblog
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3月9日(土)のつぶやき

2019年03月10日 03時32分59秒 | Weblog
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『仮面ライダージオウ』第25話

2019年03月10日 01時42分03秒 | Anime・特撮
折り返し地点という事で、これまでのおさらい。そして大きく話が動いてきましたな。
アナザージオウ登場! そしてアナザージオウのウォッチを持っていたスウォルツはもちろん、ウールもアナザージオウのウォッチの事は知っていた様子。いつどうしてアナザージオウのウォッチを手に入れ、そしてそもそも何の為に持ち歩いていたのだ。
また今まで語られなかったソウゴの経歴にも触れてきましたな。ソウゴは十年前、バスの事故に遭い両親を亡くしている。その事故の際、ソウゴと共に救出された少年こそが、アナザージオウである加古川飛流というわけか。ここまでお話はレジェンドライダーやアナザーライダー中心でソウゴの物語は無きに等しかったのですが、ここに来てようやく語られ始めましたねえ。
しかもソウゴは加古川飛流の事を覚えていない様子。まあ十歳の頃ですし、つらい思い出なので単純に本人が記憶から抹消してしまったとも考えられますが、飛流の方はソウゴに因縁があるようですからねえ。ひょっとして、幼少時のソウゴが「未来を書き換える能力で二人の因縁を消してしまった」。そして飛流は「『電王』の良太郎のような、時間改変の影響を受けない能力の持ち主だった」という可能性もありか。そんな能力者がたまたま事故るバスに乗り合わせていたとは思えないし、タイムジャッカーが仕組んだとも考えられますな。

そしてゲイツリバイブのウォッチを手にしながら、まだジオウを倒す覚悟が決まらずリバイブに変身できないゲイツ。しかしゲイツリバイブなら、すべてのアナザーライダーを倒す事が出来るというのは、どういう理屈なんでしょうな。ひょっとして飛流がジオウ=ソウゴを倒す為、アナザーライダーの力を集めていたのと関係あるのか。

次回、ソウゴと飛流が遭ったというバス事故の謎を追い2009年に。「平成ライダー20作品記念公式サイト」のストーリー紹介によると何か意味深な事が。2009年のライダーというと、ディケイドとW。どちらが来てしまうのか!?
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『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』第21話

2019年03月09日 00時50分45秒 | Anime・特撮
いやぁ素晴らしいできばえでした。
前半はブチャラティのスティッキーフィンガーズVSボスのキングクリムゾンという動。後半はブチャラティの裏切りを知ったチームの困惑と決断と静と対照的な構成になってましたな。特に後半の各キャラの表情が良い。荒木先生のインタビューだと五部のテーマの一つが「抜き差しならぬ状況での決断」があるそうですが、ブチャラティの裏切りを知ったときの、チームメンバーはまさにそれ。つい今しがたまでヴェネチアで何を食って帰ろうかと話をしていたのに、いきなりこんな重大な決断を迫られるのですからねえ。

またフーゴのアニメオリジナル設定が効いていたと思います。
いえね、私、フーゴは何となく理系だと思っていたのですよ。何しろ「ウィルスを発生させる能力」ですから。それが本作のオリジナル要素では「飛び級した大学では法律を学んでいた」という設定。悪くは無いけど、正直「う~~ん(;´Д`)?」という所もあったのですが、今回のフーゴ離脱の布石になっていたようで、それなら納得です。
ジョルノやブチャラティの考える「正義」とは有る意味相対的なものだと思うのですよ。相対的という言い方が悪ければ「正義とは個人の意識である」。以前、本作品の感想で福本和之先生作品の「悪を倒すのは正義じゃ無い。より強大な悪だ」という台詞を紹介しましたが、ジョルノやブチャラティ(そして荒木先生)にとっては「悪と戦うという決意をした時点で、その人は正義となる」のでしょうね。この場合の正義とはより具体的に言うと「弱いものの為に戦う。また戦う為に力を貸してくれる存在」なのでしょう。
ブチャラティは警察やあの国が自分たちを守ってくれないと分かり、ギャングに入ります。ギャングは悪ですが、少なくとも力のない少年ブチャラティに力を貸してくれました。それ故、ブチャラティはギャングを正義と信じたのです。あの国の政府や警察、司法が力のない人間を守らないならば、俺はそれを守る道を選ぶ。それが悪と呼ばれるのならば、悪と呼ぶがいい。

対してフーゴは、まだどこかで社会正義というものを信じてる。こちらもより具体的に言うならば「あの国の法律」というものを信じているんでしょうな。それはアニメオリジナルの回想シーン、ブチャラティに拾われる切っ掛けとなった食い逃げが発覚した際、過去の判例をまくし立てる辺りで分かります。フーゴも警察や司法、そしてあの国そのものは信じてないのかも知れません。しかし法律だけは自分を裏切らないと思っているのかも知れません。だからこそフーゴにしてみれば今の自分たちは「悪」。そして彼にとって正義とは公に認められた存在で無ければならないのでしょう。
今さらトリッシュ一人を助けてどうする。今まで自分たちはギャングとして散々悪を尽くしてきた。五十歩百歩ではないか。
フーゴは自分たちがやってきた事は、歴然として「法律に照らし合わせれば悪」であるという自覚があるのでしょう。
そしてブチャラティは「自分たちは悪であるが、弱い者は見捨てられない。正義漢ぶるつもりは毛頭無いが、それでも見過ごせない悪はある」という事なのでしょうね。
またジョルノを含めてブチャラティたちは比較的貧しい家庭に育った中で、フーゴだけは裕福な家庭に育ちました。やはりブチャラティ、ミスタ、ナランチャは警察や司法に救って貰えなかったという過去があり、またアバッキオは警察に身を置き、その矛盾を体験してます。対してフーゴは大学在学中に教授から関係を迫られて逆上した挙句に滅多打ちしたのが転落の切っ掛け。当然、有罪と思っていたところ、無罪になった事で逆に司法への不信感を抱いたでしょうが、他のメンバーほど裏切られたという印象はないのかも知れません。
こうしてみると、フーゴが法律を勉強していたというのは、今回の離脱への布石としてよく計算されていたのだなと舌を巻きます。

さらに言うならアバッキオのムーディーブルースが過去の悔恨から「過去を再生する能力」、ブチャラティのスティッキーフィンガーズが、麻薬密売人に父を狙われた過去から「自分のどこかに隠し、抜け道を作る能力」として開花したように、フーゴのパープル・ヘイズも彼の武器、法律観が反映されてると思うと興味深いですな。フーゴにとって法律とは「それ自体に知性はない、敵にも味方にも被害を与えてしまう=法律とは使う人間によって弱い人間を守る武器にもなれば、虐げる凶器にもなる」と考えているのかも知れません。

原作でも最後に合流するナランチャを見守るブチャラティの表情がなんとも言えず良かったのですが、アニメでもしっかり見せてくれましたね。
ナランチャが来てくれたのはうれしいでしょうが、反面、その前の「お前は来るな」というのもブチャラティの本音なのでしょう。
ナランチャは他のメンバーと違い、自分から押しかける形でブチャラティチームに入ったわけです。ブチャラティとしては弟のように思っていたのかも知れません。

さて次回は総集編。そろそろオープニングが変わるかな?
そして最後の電話はテッツァーノ? それともドッピオ?
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