他者といる技法―コミュニケーションの社会学奥村 隆日本評論社このアイテムの詳細を見る |
最近、修論研究が忙しくてそっちの関係の本や論文ばかり読んでいる。そんなわけで、今日紹介する本は社会学の一応専門書。
僕が時分の研究の途中経過を発表したところ、他大の方に『他者といる技法』を紹介してもらった。僕がやっている、メディア言説の分析ツールとしてこの本に載っている「動機の語彙」という概念を使ってみてはどうか、という話だ。まあ、この概念がほんとうに僕の研究に使えるかは、今のところ何とも言えないんだけど、専門書のわりに身近に引きつけて書いてあって、内容も興味深く良い本だった。
特に良かったのは、僕はあまり知らなかったブルデュー関係の話。リスペクタビリティを要求される場面、たとえば高級レストランなどでは、人により三つの振る舞い方がある。まず、そういう場面に慣れている人、つまりそこでの振る舞い方を知り実践できる人はウェイターなどの視線をかわす「余裕」を見せる。一方、全くそういう場面を全く知らない人、つまり振る舞い方も実践の仕方も知らない人は、気にせず自分の(粗雑な)やり方で、「勝手に」する。最後に、そのどちらでもない中途半端な人(つまり、世間の大部分の人)は、そういう場面での相応の振る舞い方があることは知っているが、それを実際にはどうするのかまでは知らない人である。その人たちは、「おたおた」と試行錯誤しながら振る舞うしかないという話。まあ、有名なディスタンクシオン(卓越化)の一例なのだろう。実際の場面をこう綺麗に三通りにわけられるとは思わないけれど、理念型の提示として考えるとなかなか興味深い。
まあ、この本に興味を持つ人というのは限られると思うが(実際5年以上前に出た本なのに、僕の前に一人しか借りていないようだった)、社会学の入門書の次くらいに読んでみるとよいかもしれない。