哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

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高橋徹『意味の歴史社会学 ルーマンの近代ゼマンティク論』

2006-11-07 | 
P111)「つまり、相互作用は、「否定」によって人間が形成される場所とは別の場所になっている。これらの状況を総合的にみれば、人間形成の場、言い換えれば、人間がはっきりとした輪郭を持った何ものかになる場所は、権力、貨幣、真理、法といった「否定」を処理する独自のメディアを備えた機能システムとなり、相互作用はなるべく「否定」を排除することで互いに心地よい会話の場として次第に分化してきているということである」

 ↑を読んだ。まあ、特にコメントできることもないのだが、本書はルーマン理論理解の見通しには格好の本である。馬場靖雄先生の『ルーマンの社会理論』がルーマンの機能的分化に関する理論的研究が主であるのに対し、本書はゼマンティクという知識の歴史社会学的な研究に焦点を当てている(もっとも、双方はともに密接に関わっているというのが、この本のポイントなのだが)。とりあえず、ルーマンに興味のある人には必読の書だろう。お勧め。
 なお、冒頭に引用した部分は、本書の中でももっとも興味深かった言及である。マス・メディアなどのコミュニケーション技術の発達により、その量を加速度的に増やしていったコミュニケーションは、同時にコミュニケーションにおける否定や拒絶の量も増やしていったため、そうした否定を処理するするメディアである、象徴的一般化メディア(権力、貨幣、真理など)を発達させてきた。こうして(主に)非対面的なコミュニケーションが、受容か拒否かを明確に決定するように発達してきたのに対し、対面コミュニケーションは、否定の可能性をなるべく排除した「心地よい」場として成立するようになってきたというのである。ということは、周囲との親密な関係のためには、心地よい場を作ることが重要だということだ。こう考えると、ひきこもりなどの人間嫌い系の人は(ブログなぞを書いている僕もだ!)、そうした心地よい場を作る能力に欠けている(コミュニケーションで否定したり)などの理由から、心地よさを演出しなければならないという圧力に嫌気がさしてしまった人かもしれない。日常的なコミュニケーションの場面では、「心地よさ」が重要なメディアとして機能しているのだろうか。

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