1996年5月に起こった、エベレスト商業的公募登山の大きな山岳事故に関するノンフィクションです。
昔、IMAXシアターでエベレスト登山の映画をみたんですが、
それ繋がりでエベレストに興味あったことと、
ニューヨークタイムス(新聞)が選ぶベストセラーでもあったことから、
アメリカで買った本なんですが、読まないままになっておりました
お正月に日本のエベレスト関連フィクション小説(神々の山嶺)を読んで、
山用語とか地理的なイメージとかが頭に残っていたので、
英語の本でも読みやすいかなあと始めました。
最初は辞書必須でしたが、後半は慣れてほとんど辞書なし。
予定より1週間ほど遅れてしまいましたが、読み終えてよかった。
「神々の山嶺」はスーパークライマーが無酸素で難関ルートに挑む話だったんで、
高所順応とか衛生問題の大変さなどの話はあまり詳しく書かれていなかったんですが、
この本でそれを感じることが出来ました。
何日もかけて頭痛や吐気や下痢その他の症状に苦しみ、睡眠不足になり、
ほかの人が同じもしくはもっと酷い症状で苦しみむのをみながら、
そして時には低いキャンプでリタイアを余儀なくされる人をみながら、
数週間かけてやっと高度順応してベースキャンプからキャンプ4にたどり着き、
これからサミットアタックと言う段階でこんどは天候との戦い。
エベレストアタックは
ホントに鍛えられた人のための命がけのチャレンジであるべきだと思いました。
でなければ、この1996年5月の悲劇のようなことが起こるのです。
たくさんのお金を出せば、大した経験がなくても世界で一番高い場所に立てる、
ということで、
ガイドつきエベレスト登山が商品化されているほか、
エベレスト登山をフィルムに収めようとするメディア隊、
小さな国では母国からエベレスト達成者を出そうと隊を編成したりと、
大きな登山チームがベストシーズンにたくさん集中するため、
キャンプや登山ルートは多くの人でごったがえします。
人が多い=エゴのるつぼ。
いろんな事が起こり、人々にストレスを与え、
それによりベテランクライマーやガイドの体力が奪われ判断力が奪われます。
なにより神の山エベレストが人間のエゴを見逃しません。
落石、悪天候に継ぐ悪天候、山は容赦なく人間に試練を与えます。
著者が参加したチームとそのライバルチームのほぼ半数が命を落としました。
そのなかに両チームのリーダーが含まれています。
クライアントやチームメイトのトラブルやアクシデントのたびに体力と神経を擦り減らし、
能力の低いクライアントのフォローにまわり、命を落としたのです。
高い山に登るときにはスピードが重要です。
山は登るものではない。
登って下るものです。
下りの時間を考えてピークに何時までには着かなければいけないという時間との闘い。
いくら我慢強くて頑張り屋さんでも、
時間との戦いに負ける体力しかない人は結局人に迷惑をかけるか死ぬかです。
そう割り切るべきだったのに、
クライエントはやはり何百万ものお金をはらって参加するわけだから、
山頂に立ちたいだろうし、
ガイドさんたちももツアーの評判を上げたいから一人でも多くサミット達成させたい。
そういう欲を山は見逃さないのです。
惨事のあと、
ある登山チームのシェルパがこういった主旨のことを言いました。
我々は神の山を守るために生きる民族であるべきなのに、
外貨を得て暮らしを楽にするために、
こうして知らない人が山に入って騒々しくしたり、
不埒なことをしたり、山を制したなどと勘違いしたりする手助けをして、
挙げ句の果てには、
酸素ボンべや何やらを山のあちこちに散らかして山を汚染している。
罰を受けるべきは我々だ、と。
人間は自然に対して傲慢になりがちですね。
つい最近、私たちも、あの地震や津波で自然の恐ろしさを思い出しました。
いつでもこういう書に触れて、
襟を正さなければなりません。
でなければ、ほんとに大事なものを失ってしまうのです。